平成26年12月23日、天皇誕生日の休日、久しぶりに東京ウォーキングを行った。
千ちゃんが、歴史ヒストリーを見て、「服部半蔵」に、甚く興味を持ったのが行くきっかけになった。
誰もが知っているように、皇居の「半蔵門」は、家康に使えた「服部半蔵」が「伊賀越え」等で、功績を買われ、当時の江戸城近くのこの辺りに住処を構えたということから使われた地名だという。
まずは、半蔵門から。
ここからは、ホント真っ直ぐに甲州街道が伸びていて、恐れ入った。このままこの甲州街道を進めば、私たちの家の近くの、「小原宿」まで行けると、千ちゃんが言って、是非とも試してみたいと、話が盛り上がった。
また、この半蔵門で写真を撮っていたら、ブザーが鳴る。警察官がこっちを向いている。不審者センサーが反応してしまった。
もう一つ、年配の女の方が、この半蔵門で座り込んでいる。何をしているのか気になったので、聞いてみたら、何と、雅子さまが華麗なファッションでお出ましになるのを待っているという。雅子さまが一般参賀参加での入場を待っているのである。雅子さまの追っかけしている、こんな人たちもいるのかと知って驚いた。
この半蔵門近くには、太田道灌が、娘の病を治すために立てた、「太田姫観音」(江戸城内にあったものを移設)があったり、
どら焼きの発祥の地である花屋さんがあったり、
太田道灌が江戸城内に作ったと言われる「平河天満宮」があったり、
日本の伝承文化を継承している立派な「国立劇場」があったりする。
ぶらぶら探し当てながら歩いた。
国立劇場では「東海道四谷怪談」がやっているというので、興味が出て、行ってみた。ほとんど満席で、何席か残っているが、日にちが合わず、断念。
その中に、1500円とリーズナブルな3階席があることを発見。他の演目で、見られるものがあったら見てみたいと、思った。
この辺りは、紀伊藩、尾張藩、井伊藩の藩邸が連なっていて、紀伊藩の藩邸跡が、今の赤坂御用邸で、井伊藩の藩邸跡が、今、ホテルニューオオタニが建っている。
この三邸に囲まれた坂が「紀尾井坂」で、「大久保利通」が斬られた所だという。でも実際には、この坂の近くの「清水公園」でのことであり、碑が建ってあった。勘違いで殺されたとブログにあった。
そして、次に一番行きたかった、服部半蔵と家康の長男の信康の墓がある「西念寺」に行く。
2代目服部半蔵は、信康の子守役でもあった。信長から武田氏との内通を疑われた信康が自害する折、半蔵は介錯を命じられる。でも、そんな信康を介錯することが出来ない半蔵。でもそれがかえって家康の信頼を生むことになり、伊賀超えの功績につながる。
近くにお岩さんを祭っている神社があるというので行く。鶴屋南北が作った話では、うらめしやと出てくるが、実際は仲が良かったと書いてあった。
最後に、今日の終点である四谷大木戸である。交差点の向こう側に、都庁のビルが見えた。すぐそこは、内藤新宿である。高遠藩のお殿様が、内藤氏で、参勤交代の折に、甲州街道を使って来たが、高井戸宿から江戸城までが遠いとのことで、その間に宿場を作った。内藤氏が新しい宿を作ったから内藤新宿と命名したそうである。
東京付近は、まだまだ面白そうなことがいっぱいありそうである。
徒歩数 21986歩(約12キロ)
千ちゃんが、歴史ヒストリーを見て、「服部半蔵」に、甚く興味を持ったのが行くきっかけになった。
誰もが知っているように、皇居の「半蔵門」は、家康に使えた「服部半蔵」が「伊賀越え」等で、功績を買われ、当時の江戸城近くのこの辺りに住処を構えたということから使われた地名だという。
まずは、半蔵門から。
ここからは、ホント真っ直ぐに甲州街道が伸びていて、恐れ入った。このままこの甲州街道を進めば、私たちの家の近くの、「小原宿」まで行けると、千ちゃんが言って、是非とも試してみたいと、話が盛り上がった。
また、この半蔵門で写真を撮っていたら、ブザーが鳴る。警察官がこっちを向いている。不審者センサーが反応してしまった。
もう一つ、年配の女の方が、この半蔵門で座り込んでいる。何をしているのか気になったので、聞いてみたら、何と、雅子さまが華麗なファッションでお出ましになるのを待っているという。雅子さまが一般参賀参加での入場を待っているのである。雅子さまの追っかけしている、こんな人たちもいるのかと知って驚いた。
この半蔵門近くには、太田道灌が、娘の病を治すために立てた、「太田姫観音」(江戸城内にあったものを移設)があったり、
どら焼きの発祥の地である花屋さんがあったり、
太田道灌が江戸城内に作ったと言われる「平河天満宮」があったり、
日本の伝承文化を継承している立派な「国立劇場」があったりする。
ぶらぶら探し当てながら歩いた。
国立劇場では「東海道四谷怪談」がやっているというので、興味が出て、行ってみた。ほとんど満席で、何席か残っているが、日にちが合わず、断念。
その中に、1500円とリーズナブルな3階席があることを発見。他の演目で、見られるものがあったら見てみたいと、思った。
この辺りは、紀伊藩、尾張藩、井伊藩の藩邸が連なっていて、紀伊藩の藩邸跡が、今の赤坂御用邸で、井伊藩の藩邸跡が、今、ホテルニューオオタニが建っている。
この三邸に囲まれた坂が「紀尾井坂」で、「大久保利通」が斬られた所だという。でも実際には、この坂の近くの「清水公園」でのことであり、碑が建ってあった。勘違いで殺されたとブログにあった。
そして、次に一番行きたかった、服部半蔵と家康の長男の信康の墓がある「西念寺」に行く。
2代目服部半蔵は、信康の子守役でもあった。信長から武田氏との内通を疑われた信康が自害する折、半蔵は介錯を命じられる。でも、そんな信康を介錯することが出来ない半蔵。でもそれがかえって家康の信頼を生むことになり、伊賀超えの功績につながる。
近くにお岩さんを祭っている神社があるというので行く。鶴屋南北が作った話では、うらめしやと出てくるが、実際は仲が良かったと書いてあった。
最後に、今日の終点である四谷大木戸である。交差点の向こう側に、都庁のビルが見えた。すぐそこは、内藤新宿である。高遠藩のお殿様が、内藤氏で、参勤交代の折に、甲州街道を使って来たが、高井戸宿から江戸城までが遠いとのことで、その間に宿場を作った。内藤氏が新しい宿を作ったから内藤新宿と命名したそうである。
東京付近は、まだまだ面白そうなことがいっぱいありそうである。
徒歩数 21986歩(約12キロ)
東海道ウォークが終了したら、今度は甲州街道ウォークなんですね。新しい街道でどんな発見があるのか楽しみだね。WakuWakuさん、ワクワクですね~(^^)/