wakuwakuな生活

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津久井城は根小屋式山城

2011-11-03 12:33:53 | 神奈川・相模原近隣の歴史・旧跡
平成23年10月23日(日) 秋の一日天気に誘われて、津久井城址に行く。

実は、この夏に埼玉県の忍城に行ったときに、石田堤防跡の公園に説明看板があり、そこに、「秀吉が小田原征伐の際、最後まで残ったのが、小田原城本陣とこの忍城、韮山城、八王子城、それと津久井城であった。」と書いてあるのがあり、それを見たときに、埼玉の地で地元の地名を見つけた驚きが頭にこびりついていた。いずれ行って確認しなければと思っていた。

津久井城に行く前に、「三増合戦跡地」へ行く。
武田信玄の時代、ここ津久井城は、小田原城主北条氏の統治下にあった。
小田原を囲んだ武田信玄は小田原を攻めきれずに、囲いを解いて甲斐に戻ろうとした。その時に、津久井城からは北条勢(北条氏照・氏邦)が出て、小田原からは北条本軍(北条氏康)が出陣し、挟み撃ちをしようと試みたが、北条本軍が到着する前に戦闘が始まってしまい、北条軍は大きな犠牲を出した戦いの地である。
   


今の東名厚木カントリークラブの敷地内に、武田信玄が本陣の印の旗を掲げた松があると看板に書いてあったので、行ってみたが、その松はもう枯れてしまってなかった。
三増という場所は見回して見ると、遠くに城山が見えるが、川があり平野が続く田園地帯が広がっていた。きっと当時も広い野っ原で戦いがし易いところだったのであろうか。
  


次に、いよいよ津久井城址へ行く。山梨県の方から相模川が流れている。その流れが、まかないきれなくなって、相模湖や津久井湖が造られたようである。その津久井湖のほとりに城山があり、そこの頂上に津久井城があった。

城山の麓に津久井湖城山公園があるが、そこに行くまでに、急な坂道を車で登っていった。そうすると、急に視界が開け、平坦な土地が広がっていた。そこが根小屋である。そこには、城主や家臣が居城し、、いざ戦いになったら山の上で最終防御をする形態のお城で、山全体が城として機能していたということである。だから、なかなか潰されないで、残っていたのであろう。

   


そして、小田原城が落城したとき、津久井城も徳川方に引き渡され、幹線街道が整備され宿場等も作られた。
 


また、城山南麓の根小屋地区にあるパークセンターでは、城山の歴史や自然はもちろん
わかるが、組紐体験が楽しめて、とは言ってもくるくる取っ手を回すだけで、組紐が出てきて、それを切り取って、お土産にできた。これはウオーキングの時にいつも使っているバックにぶら下げて記念の品にした。

小田原でもアンケートに答えて、小田原城を建てたという2代目北条氏綱の名が入っているストラップを貰えたのでそれもぶら下げている。これからもどんどん増やすぞ~

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

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Unknown (みなちゃん)
2011-11-06 17:22:01
すごいね。名だたる武将が津久井とも繋がってるね。こんなに具体的に見せてもらうと実感します。写真が大きくできるので看板の字も読めて勉強になるわ。ありがとう。
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津久井城 (しお)
2011-11-07 19:53:03
看板や立て札や石碑で よく勉強できますね。
教育委員会ってこういうこともしてるとは。

地元の歴史って より一層興味が湧くね。
これが させられてる勉強だとそうは行かないのよね。
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次は八王子城! (wakuwaku)
2011-11-08 20:10:06
 次回は八王子城に行こうと思っています。
千ちゃんいわく、北条氏照の居城だそうです。
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