夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

目に見えないものにも慈しみを

2009年12月12日 13時01分41秒 | 日記・エッセイ

政治、小子化、環境問題を思う

変化の中にもチャンスがあると思われますが、葉っぱが美しく紅葉し、はかなくも大地に没しやがて春になると私達に初々しく、清清しい新緑を見せ、五感で感じられない見えない処でも私達に不愉快に思われている炭酸ガスを吸収し地球上に新鮮な酸素を供給している、けなげな姿を感じます。

地球上に必要で大切な水と火(炭酸ガス)と空気との循環を担っている樹木と草ぐさの存在、最近たびたび論議されている小子化、環境、経済問題等、消費と生産と再生の循環を考える時、一枚の葉っぱの存在が全てのヒントになっていると思われてなりません。

日本は古より山を神と崇め、其処には川、樹木と草ぐさ、生き物等全てを分け隔てなく神と崇め慈しみ祖先を偲び、荒れた地には帝自ら樹木を植えて山を大切になされ、常に物事を否定的でなく肯定的に考え、和と結びの精神を大切にし、明るい生き生きとした文化がありこの事が祭り事(政治)の根幹でありました。

ひとつの小さな集落でも老人も大人も子供も共に希望を祈り、収穫を祝い山々が荒ぶれ循環が乱れている様なときにも、収穫に恵まれ幸多き時にも等しく直会を開き(祭り事)自然と共に喜びと苦しみを分かち会い、一年を感謝し未来の希望と平安を祈り再出発してきました。見苦しいように思われているような一枚の葉っぱさえも、大切に掃き集められ焚き火(消費)として燃やされ灰となり、やがて水と結合して肥料(再生)となり見事な万朶の美しき花を咲かせ、豊かな実(生産)を実らせる原動力となります。

このように一見無駄と思われ、今現在には必要では無いと感じている存在にも等しく慈しみを持ち、明るい光りをあて工夫と研究を重ね再生して行く事が大切に思われ、また子供を生む事(再生)の未来に価値感を持ち、心が振り向けられるように働き懸ける事が政治及び小子化、環境問題の根幹だと思われてなりません。


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