夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

名残の月

2009年12月29日 11時59分35秒 | 日記・エッセイ

今まで溜まっていた沢山の家電品を廃品回収で引き取って頂いたが、その中に88年製のテレビが含まれていました。13年前にタイムスリップするなかで過去が意識され、またそれ以上に強く現在が意識されこれからどの様に変化するのであろうかと、未来までも創造してしまいました。身近に存在し現在も生き生きとお役に立っているものには感じられないものが、このように活動を停止した廃品のテレビをみるとしじみと自分自身の内面を意識しプラネタリウムの星のごとく歴史が意識され素直に慈しみを感じ、このリタイヤしたテレビに新しい生命が吹き込まれ装いも新たに再び煌く星のごとく輝くことが想われ嬉しく思われました。このように“静”のなかには内面を深く意識することができますが、“動”のなかには中々動きに惑わされ心が浮き草のように流され本質を見失いがちであります。確かに動きは刺激的で魅力がある様に思えますが、静な心を中心として動くことが大切だと思えました。一日のなかで静寂なひと時を積極的に持ちたいものです。


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