夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

日本の食事の精神性を考える

2009年12月13日 15時57分14秒 | 日本の食文化
よく懐石料理の原点は精進料理からだと言われていますが、私どもの幼い時分は台所(キッチン)と食事を頂く所とは明らかに隔てられた別々の場所でありました。
料理する場所は大地と接する同じ高さの土間であり、そこで井戸水か近くの湧き水を使い野菜を洗い竈門神が祀ってある竈門で杉の葉、木切れなどで火を起し調理していました。
食事を頂く所は一段上の囲炉裏端か座敷でした。明らかに調理する場所と同じフロアーでは食事する事はありませんでした。
私たち食事する人は料理がどのような過程をへて出来上がったかを知らないで、厳粛な雰囲気で緊張してその食事を頂きました。今その事を考えますと食事を頂く私たちは調理する人を無意識に信頼し食べていた事を感じ、其処にただ単に食欲を満たすだけでなく人と人の間の絆を築いていた事だと思われます。
動物の世界では狩りが終わると直ちに口と手足を使い調理し胃袋に納める行為が殆どと思われます。
即ち調理と食事とは同じ場所でありまた調理から食事までの時間と空間が同じであります。人類は調理から食事までの時間と空間が別々であり胃袋に納めるまでに食材そのものを創意工夫して時間をかけます。
頂くときにも、それぞれの国々で約束事があります。日本の懐石料理も茶料理により色々な作法、約束事がありますが、懐石膳も一つの膳を多くの人が囲むことではなく、ひとりひとり別々であり、また同じ料理であり平等であります。
その事は現在意識では慈しみを意識し、自分自身の内面で他(愛)を意識し、自分自身の内面で感じた心根(愛)を相手方に表現し、出会った人々と互いに信頼関係を築く事だと思われます。
料理の技術も自然色を生かし、為るべくエネルギーを消費せず無駄なく、また料理の温度は人肌であり、過激な味覚、表現は避け、一期一会の言葉がありますようにこの一瞬の”人(芸術)と食材(自然)”との出会いを永遠と考え、一点の料理に全てを託し、その意味からも同じ料理、同じ色を使用しない、調味料も控えめに使用するように考えられています。
また木の葉の葉脈が一枚一枚違うように唇などの五感の味覚だけで味わうよりも,その食材一つ一つの自然の風景を大切にし心の奥深いところで観じられるように表現されています。
このように食事を通じて自然を敬い、自然と人との調和を意識して、永遠の生命を感じていくことが日本の食事の原点だと思われます。