夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

病気は本来無い

2015年04月18日 08時20分29秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
病気は本来無いことについて

本当の人間は皆素晴らしい神の子である。仏性であり、真理であり、ただこれのみ唯一が本当の姿であります、病気の姿に現れているのはいかに実在するように見えても、それは迷いの姿であり、自分の心が勝手に描き、その描いたものを蜃気楼のように空中に描き出しているのであって、蜃気楼のような病気は決して存在しないのであります。
その迷いの姿は何であるかと云いますと、人間の生命の本当のすがたは、神様の生命が光明燦然と輝いている神そのものだけれど、その輝きを見ないで眼を閉じて感じていない状態であります。
迷いの姿である病気を無くするには、心の眼を開いて人間の本当の姿である、人間は素晴らしい神の子であり、仏性であることを認めることであります。
それが懺悔であります。
今まで人間を肉体の人間、物質的存在の人間だと思っていた、根本的間違いから考えからクルリと永遠なる霊的実在の人間を見るということなのであります。
これが大いなる悔い改めなのです。
そうすれば自分の掌中に、今此処に天国があるということなんです。
心の中に塵、間違いの観念や、一切の物質的なものを投げ捨てて、肉体本来無しと観じて、自分の内に宿っている神様の生命と一体となる時、今此のままで病気の無い神の国天国に行くことが出来るのであります。
人の肉体は心で思う通りになるのであります。
肉体は心の影である。心が苦しいと感じていられればこそ、その念のあらわれなる肉体が苦しいと感じるのです。苦しみは心にあって物質の肉体にあるわけはないのであります。こうして肉体が心の影だということがわかれば、病気しても何もあわてることはないのであります。
病気は本来無いのであります。それはあるように見えているに過ぎないのである。それは本当は無いけれど、あるように見えている迷いでなのです。
迷いいという心の状態が客観的にあらわれ映っているのが、病気とかいろいろなの人生苦とかいうのであります。
人間には真の人間と迷いの人間とふたつ相がある。一方は実在であるが、他方は迷いであってあるように見えていても、その実は存在しない。
生命の実相を自覚すれば病気は癒やされるのであります。