夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

潜在意識の奥には神の智慧がある。

2016年03月08日 19時10分50秒 | 自然の育み・環境
潜在意識の奥には神の智慧がある。

西から春の季節風で、どんより霞がかかり、スモッグ状態のような空です。
風は国境がありませんので、偏西風に乗り自由自在にやって来ます。
環境問題も、グローバル的な時代となりました。地球も何万年のサイクルで寒冷化、温暖化を繰り返してきました。
現象的には地球固体の生命も無限ではありません。何れ流れ星のように消滅する時がやってきます。
夜空に幽かに光る星は何万年も前に消滅した星が、今私達の認識の世界には今眼の前に光輝いて見えるのです。
このように実際に起きている事実と今吾々が認識している事実とには大きな開きがあります。
因果律の法則も、因縁を起した時から時間空間を経てから結果がでます。
環境問題も外からの原因によりまた他の影響で自分自身にその結果が降りかかると思いがちです。
吾々は一見気軽に利用した食品、製品がそのような大きな環境問題に関係しているとは認識出来ません。
特にこの様なグローバル化した時代においては、衣食住の生活の中でも、以前は殆ど国産であり、
食品に関しても同じ市町村の食材でありましたが、最近では身近な地域で生産されたもので生活することが出来ない時代でもあります。
言い換えると生活自体がグローバル化しているのであります。
これは他国のものを使うことにより、自分自身が因果律の因縁を起しているのであります。
他国の人はそれに答えて生産をします。
生産をすることにより環境問題に進化していない処は副作用である空気が汚れるような問題を招くようなことにもなります。
環境問題に配慮していないものを利用することにより自分自身が起しているともいえます。
環境問題が世界的に複層し複雑に連鎖して繫がっているところに困難な面があります。
しかし一人一人が環境問題への自覚がこの問題を解決していくためのヒントになります。
言えますのは、環境問題は外の世界にあるのではなく、自分自身の心の中にあるのです。
環境問題に配慮された一つ一つの食品、製品を良く良く吟味して身近な所で、身近な地域のものを使うことにより、
生産の熱量が下がりまた本当の意味での全体の流通等の熱量の効率が進み、環境問題に貢献することが出来ると思えます。
熱量を下げることは電気、石油製品等のエネルギーにも言えることでもあります。



潜在意識の奥には神の智慧がある。


潜在意識の中には、吾々が生まれてからの記憶が容れられているだけではなく、驚くべき大いなる智慧と力が容れられているのです。
吾々の肉体の中で行なわれている驚くべき複雑な生理作用、呼吸をしたり、消化をしたり、養分と養分でないものを選り分けて養分を吸収し、不要なものを排泄するのは、潜在意識のあるところの、大いなる神の智慧であります。
このような機能は眼で見ることも、機器でしらべても知ることも出来ません。
しかし潜在意識の智慧はそれを知っているのであります。
此の智慧は教えられないでも知っている智慧でありますから神の智慧であります。
人間はどうしたらよいかわからないでも神の智慧はそれを知っていて、消化の必要なときには、必要な消化液を出してくれるのであります。


 

大自然の力・・・『目に見えない不思議な力』

2016年02月02日 21時35分41秒 | 自然の育み・環境
大自然の力・・・『目に見えない不思議な力』

自家菜園

昨年の三月より、社会活動の一環として無農薬、無肥料の自然栽培に兆戦しています。
エマソンの友人であるソローが百六十年程前にウォールデンーの森のなかで自然農法を始めました。
土に混ぜるのは自家製の腐葉土だけです。
そして人間の愛念です。

今回は第三弾でキャベツ、セロリ、春菊です。これまでサニーレタス、ブロッコリー、オクラ、キュウリ、ピーマン、ネギ、秋トマト等作って来ました。
野菜にも自らの力で生長することが出来ます。
例えば大根に必要な栄養素は大根自ら造り出す事が出来るそうです。
確かに有機肥料を与え、除草などをおこない人間的な管理をして育てますとスーパーのショーウンドウに 
八頭身揃った美人の野菜が並べられています。
今まで何回か自然栽培をやって収穫しますと絶対的に野菜が爽やかで、スリムであります。
本来の野菜の姿が垣間見られました。
今まで見ていたのは肥満度の高い野菜だと感じました。
また自家製の腐葉土のミミズが活躍していました。
自然栽培で収穫した野菜の種で次世代の野菜を作り続けて行くと自然栽培に適した野菜へと生長すると云われています。




大自然の力

種の中から芽を出させ、それを伸ばし、葉を作り、蕾を作り花を咲かせる働きは、種の中にある『目に見えない不思議な力』即ち神様の力であります。
この種の中にある不思議な力は、素晴らしい智慧をもっているのであります。
黒い土の中にある色々の肥料成分を吸い上げて、その成分の分子を、いちいちどの成分は何処に並べ、それをどんな形ににならべて、葉や、蕾や、花の形にしようと云うことを考えて、その通りにならべているのであります。
『この不思議な力』を神と云うのであります。
この花の中にある素晴らしい智慧こそ神様の力だと云うほかはないのであります。




水は生命の源であります。

2016年01月30日 23時59分34秒 | 自然の育み・環境
水は生命の源であります。

まだ水の不便を被っています。病院の委託業者でも水道管の損傷で機能が制限されています。

災害が起きると素朴なな生活と文化的な生活の比較が顕著に現れます。
文化的な電気、水道、住居、食べ物などが不自由になり時代が逆流したかのような状態に置かれます。
現代では基本的なインフラである電気、水などは特別の会社、病院などでは自家発電の施設を設けていますが、殆どは一つの機関で合理的に管理されていますので、
是が絶たれると、夜の明かりは耐えられても、食料、生理作用、飲料水、また自家発電の施設等の施設が無い処では、緊急の手術、透析作業など生命の維持にも不都合が起こります。
食料品などの製造もオール電化が進み、電気、水が無いと製造することが出来ません。
エネルギー資源も天然ガス、石油、石炭、核燃料、水力、薪、自然の油脂等があります。
これ以外にも太陽光発電、風力等の自然エネルーギーがあります。
太陽光発電等の自然エネルーギーも送電線、機械的等が機能しなくなると使えません。
これ等のエネルギー資源も核燃料以外は自然環境からしか得ることが出来ません。
天然ガス、石油、石炭、自然の油脂等は無限に蓄積されているわけではありません。
又再生することも出来ません。
これらのエネルギー資源でリサイクルして再生することが出来るのは薪、自然水であります。
薪は樹を植林することによって再生することが出来ます。
森を再生することにより自然水をも再生することが出来ます。
また森の清らかな水が海に流れ込むことにより海が再生されます。
日本は山頂から海までの距離が短く清らかな水を産む地形に恵まれています。
このように植林の思想を拡大することにより、
豊かな森を育て自然を大切にして行く事が瑞々しい『青い地球』を保全することになります。
自然環境を保全して後世に引き継ぐことが人間に与えられた使命であり、義務でもあります。




これも神の御心で成す業であります。

永平寺では道元禅師の言葉に『水は是生命なりと知るべし』とあります。
永平寺の(総門)表札に『杓底一残水 汲流千億人』一杓の水で使った残り水を安易にしないで、
その生命である一滴の水を他(大自然=仏)に施すと無限の人々を潤すことが出来ると説かれています。
また一滴の生命の水を通して仏の教え(小さな愛)を流布せとの教えでもあります。

水は生命の源であります。



空間とは、エネルギーの運動範囲である。
だから現代の新しき天文学が説いているいるように空間はひろがりつつあり、
宇宙はつくられつつあるのである。
無限の空間と云う容れ物があって、その中にエネルギーが走っているのではなく、
エネルギーが運動する範囲が空間であり、エネルギーの運動の持続が時間である。







水と火との無限性

2016年01月28日 22時41分22秒 | 自然の育み・環境
水と火との無限性

豪雪に因る影響で此の地区でも一万世帯程が断水しました。
地下水を利用している我が家でも管が破損しました。水道業者より雪がまだ融けない状況であり、天気が良くなり地面が乾燥しないと破損箇所が特定できないと言われました。
長期戦の模様になりました。
今ではコインランドリー等があり便利であり、
また温泉、浴場などの施設が無料で提供するなど福祉活動が活発であります。


此処で水の事について考えてみたいと思います。


環境問題でも水のことはよく取り上げられますが、専門的なことは学者さんにお願いすることにして。
幼いときには、水は自然の湧き水か、渓流、小川、井戸、などの身近に存在している水が生活として使用されていました。
ですから水の源の大切さを良く理解していました。
その源を注連縄などで浄め、竜神さんと崇め大切にして来ました。
奇蹟のルルドの泉を聖泉と崇めたように、
一年または一日の最初である早朝の清らかな自然の水を『若水』と称して神様、
閼伽(あか)、功徳水として仏様に供養して来ました。
禊(みそぎ)、神社の参拝、潔斎、洗礼などの時は滝、川、井戸などの自然の水で身と心を浄めました。



お湯でなく水であることが大事なことです。
水を火で熱して火が勝ちますと蒸発して水が消えてしまいます。
反対に火に水をかけ水が勝ちますと火が消えます。
この陰なる水と陽なる火の陰陽をつなぎ合わせ天地宇宙の創造を成し給う神である『水火津霊(しおつちのかみ)』、
亦の名を鹽竈神社などに祀られている塩土老翁、『鹽土大神(しおづちのかみ)』、
上津瀬、中津瀬、底津瀬の秩序を整え給う、住みよい世界即ち龍宮世界の神である『住吉大神』と称しています。
『水火津霊(しおつちのかみ)』、『塩土老翁』、『鹽土大神(しおづちのかみ)』、『住吉大神』は別名でありますけれども御一体の神であらせられます。
樹木、植物、水が半分程占めている人間などは水の影響が甚だ大きいといえます。
水も一箇所に停滞すると濁り腐敗します。
動くと清らかな清水となります。
例えば水が氷点下になると氷になり、温められえると水になり更に熱せられると雲となり、
やがて雨となり川となり地面を潤わし、全ての地球上のものに恩恵を与え、海に還り、丸い円の如く輪廻転生します。
火は真っ直ぐに立ち上がり、水は横に広がりをみせます。
この火なる縦と水なる横と交差した姿が十字架であり、その交わった処が絶対的な無であり、無限を顕わします。
即ち神であり、仏であります。

水は地球環境、あるいは肉体的な生命の維持にも必要でありますけれども、
水を通して宇宙的な生命、宗教的、哲学的な思考など、私達に深い影響と思索を与えています。



行雲流水の心

太陽はただ照っているのである。
雲は唯たたずまい、
又川は流れている。
山は唯そびえ、
川はただ流れ、
空の鳥はただ飛び、ただ謳う。
それは実に『無心』の展開である。
無心をを破ったところに人間の悲劇がある。
智慧の樹の実は人類をしてついに楽園をより追放せられたのである。
そのままにいたら人間は幸福であるものを、
ついに禁断の果実に手を出したが故に不幸に陥ったのである。



優しい、慈しみの月明かり

2015年12月25日 22時59分15秒 | 自然の育み・環境
優しい、慈しみの月明かり

二〇一五年一二月二十五日金曜日午後六時三十分、東の空に輝く満月、三十八年前の一二月二十五日のクリスマスの夜が今夜のような満月だったそうです。
買物を終え、明るさが微妙に違うのでふと見上げると厚い雲の合い間に煌々と大きな真ん丸い月が光輝いていました。
街での『月明かり』は、街全体が人工的な電灯により輝いているので明るいとさほど感じませんが、
街の人工的な光がない山里などの『月明かり』は懐中電灯が要らないほど明るいので、ありがたい事です。
古人は闇夜の中での自然な月明かりは有り難いと深く感じていたのではないでしょうか。
人々は月とは月暦、汐の干満等身近な生活に深く関わり、ある意味で生活の糧であり縁の深いもので有りました。
現代は昔ほど月に神秘性を感じることはなくなり、科学的、頭脳的な智覚で月を見つめるようになりました。
病院の産科でも不思議にも満ち潮時に出産が集中するようであります。
月は不思議な力を持っているようであります。
人類、自然環境は変化し続けていますが、月は千年の前も今も変わらずに人類を照らし、新鮮な息吹と慈しみを降りそそぎ、優しく導いているようであります。
月を頭脳明晰な知性的な心で感じることでは無しに、情感的、直感的に、月光菩薩、月愛三昧、月光摩尼の仏心を『清い心の湖面』に映し、その月の慈愛に満ちた清涼感を観じて、優しさ、慈しみを懐き人類の苦厄を除き、一切の病を癒し、世界の平和を祈ることが必要な時代であります。 

月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ。
                                                       法然上人

『注』
月光菩薩―・・・月の光のような優しい慈しみの心で苦しみを除く。
月愛三昧―・・・釈尊が阿闍王の身心の苦悩を除くために入った三昧。
          月光が人を慰めて熱悩を除くように、王の苦しみを除去したという如来大悲の三昧。
月光摩尼―・・・その光が月の光のように輝く宝珠をいう。熱毒に病む者が、この珠に触れるならば、清涼を得るという。
          千手観音の右手に持っている物の一つ。





闇の夜は 苦しきものを、いつしかと、我が待つ月も、早も照らぬか 
                                                   万葉集 作者不明

雨晴れて 清く照りたる、この月夜 またさらにして、雲なたなびき 
                                                   万葉集 大伴家持

久方の 月夜を清み、梅の花 心開けて 我思へる君 
                                                   万葉集 紀小鹿女郎

ぬばたまの 夜渡る月の さやけくは、よく見てましを 君が姿を
                                                   万葉集 作者 不明





神の愛、仏の慈悲に根ざした多様性

2015年12月20日 15時53分46秒 | 自然の育み・環境
神の愛、仏の慈悲に根ざした多様性

自ら与えるものは、自ら喜びを得る
思いのままにならざる末に、新しき発想を得る
全ての経験に愛と優しさを持ちましょう
真の愛に目覚め、新しき光明世界への幕開けとなりましょう。
無重力の世界は平等で自由であるけれども、水自身がバラバラとなるように秩序性がありません。
綱を張って両方から同じ力で引くと力が均衡する事により、
亀裂が生じ切れます。
同じ力が平等に働くとバランスが崩れる。
例えば山と海が同じ高さにあるとバランスが崩れ秩序が失われます。
ライオンにはライオンの生きる大地があり、
クジラにはクジラの生きる海がある。
水稲には水稲の育つ水田があり、
松は水田で育つことが困難である。
適正に置かれた場所で生き生きと生きることは
其処には厳然たる秩序性があることである。
松葉は幹、根、大地に従い美しい緑の世界をひろげる。
決して松葉は幹、根、大地に逆らい、また否定もしない。
松は葉、幹、根、大地と協調して生きている。
色々な人種の人達は美しい青い地球のそれぞれの地域に暮らしています。

宇宙生命体の世界に『ライオンの理念』『クジラの理念』『水稲の理念』『松の理念』『人種の理念』が
宇宙生命体を貫いている。
それぞれの理念の背後に神の愛、仏の慈悲、法則、秩序が現れている。
この神の愛、仏の慈悲、秩序性に根ざし、『それぞれの理念』を認識して、理解して尊び、
多様性を認識することが必要であります。






汚れたもの、暗きもの、悪なるものは、神は造らないのであるから、
それは妄想の産物であって本来ないものである。












手垢の付かない魅惑の街

2015年11月29日 20時13分56秒 | 自然の育み・環境
手垢の付かない魅惑の街

バーチャルと幻想に満ちたファンタジックな世界が広がるテイラスポリ、未来と現実が交錯する世界。
高層ビルの街に四次元世界の自然が吐息をかける。
まるで空中遊歩の宇宙人が棲む世界。自然と人間が織りなすファンタジックな世界。
老練と剛健と美しい乙女のハーモニーが麗しく地中海の街々に輝く。






大地よ恐れるな、喜び踊れ。
主は偉大な御業を成し遂げられた。
野の獣よ、恐れるな。
荒れ野の草地は緑となり
木は実を結び
いちじくとぶどうは豊かな実りをもたらす。
シオンの子らよ。
あなたたちの神なる主によって喜び踊れ。
主はあなたたちを救うために
秋の雨を与えて豊かに降らせてくださる。
元のように、秋の雨と春の雨をお与えになる。
麦打ち場は穀物に満ち
搾り場は新しい酒と油に溢れる。
ヨエル書 二―二十一~二十四



野菜さんの喜び

2015年11月28日 23時02分26秒 | 自然の育み・環境
野菜さんの喜び

明日は野菜作りのボランテアです。
キャベツ、セロリ、春菊を三十株程買いました。
すると店員さんが役所の方ですかと尋ねました。いやボランテアで明日野菜つくりをしますと答えると素晴らしいですねと誉められました。
どうして役人さん見えるのかなと不思議に思いました。
春先の一回目はブロッコリー、レタス、ネギ、二回目はピーマン、オクラ、キュウリ、秋トマトそして今回は3回目となります。自家製の腐葉土を使い、有機肥料等を施さない自然農法に挑戦しています。
神様が野菜に必要な栄養素は自ら野菜自身で作り出すように仕組まれているそうであります。
人間もそうであって体内は複雑な化学工場と同じであり、ビタミンが欠乏すると自らビタミンを作り出すと云われています。
初夏に植えたピーマンがいまだに生っているのに驚いています。
明日は責任者なので少し早く行かないと思いプレッシャーがかかっています。
以前信州の松本で頂いたキャベツの、あの甘い味が忘れられません。
皆さんの愛と優しさで野菜さんに喜んで貰らえるように、頑張りたいと思います。







無生物であれ、生物であれ、自然物が、心に与える影響は効力があり鋭さをもっている。
牢にとじこめられた人間、結晶体となった人間、植物的生長をする人間が、人格化された人間に語りかける。
量を尊重せず、全体と部分とを同様に通路として浸透してゆくあの力が、その微笑を代表として派遣するために、
朝が清清しいものとなり、また、その精髄を蒸留して、雨の一滴一滴とする。
あらゆる瞬間が、そして自然のあらゆるものが、人間を教育する。英知があらゆる形のものに、浸透しているからである。
               ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)







カルガモのおともだち

2015年11月19日 21時23分09秒 | 自然の育み・環境
カルガモのおともだち

夕暮れの本明川に、たくさんの小さなコガモがはしゃいでいます。
街の小さな用水路に、綺麗なカルガモが泳いでいますので階段を下りて、近く行きますと、流石に街にいるカモガモさんは人に馴れている様子で手を出すと近くに寄って来ます。しかし近くに来るとプイとユータンして仲間たちの処に行ってしまいます。
若い頃十一月の狩猟解禁になりますと、父と一緒に、英国ポインター犬を連れ立って、雉の狩猟に朝早くから山に行っていました。しかし二連の散弾銃で雉めがけ撃ちますけど当りません。今迄一度も鳥に当った事がありません。
一度は渓谷で山鳥が優美な長い長い羽を、たなびかせ谷を舞い降りて、目の前に来た時も当りませんでした。
それ以降は狩猟に行く事はありませんでした。






今考えますと私に打ち落とす意思と気迫が無かったのではないかと思えます。
どうもその様なことは私には不向であったのでしょう。
しかし良い面も学びました。
口から吐く息が白くけむり、手がカジカミ、朝陽の当る山肌の斜面に出ると、鳥たちが土浴びをしている跡が見受けられ、
自然と共に生きる鳥たちの清清しい風景が垣間見られ、また渓谷の岩肌を歩くときのたどたどしさ、
横を流れる清水の美しさ、ポインター犬も登れないような急斜面を、犬を押し上げて登り、上り詰めて見下ろす世界の爽快さ、山の険しさと温かさが心深く広がりました。
その様な経験を教えて頂いた父も、今は山の頂から見守ってくれていると思えます。父からは色々な事を学びました。




合掌すれば妙楽の世界今開く、父を拝まん母を拝まん









水鳥の癒し

2015年11月06日 22時21分32秒 | 自然の育み・環境
水鳥の癒し

勤務を終えて駐車場に来ると、可愛らしい白黒の水鳥のお迎えにホットしました。勤務先の駐車場が本明川の土手の直ぐ側にあり、朝夕白鷺、なべ鶴等色々な水鳥の歓迎をうけます。
その度に心に安らぎをうけます。この本明川の下流には問題の潮受け堤防があり水門があります。水門が無い、私共が中学生の頃は毎年梅雨時になると支流の川が逆流して、当時の黎明酒造の付近は床下、あるいは床上の浸水にあっていました。
昭和三十二年七月二十五日、激しい濁流により死者・行方不明者は諫早市だけでも、五百八十六人等多くの尊い人命が失われました。二十四時間降水量が1109Mmという驚異的な降水量を記録し、六時間降水量と十二時間降水量では日本歴代最高記録を記録しています。毎年七月二十五日には供養祭が執り行われています。

日本の善き思想である、聖徳大子の『和をもって貴しをなす』の思想が薄くなり、水門の開閉の事で、利害が激突するようになりました。
相手の幸せを祈る『愛』、『四無量心』の心が必要な時代であると感じています。






貧しい人々は、私たちのお情を必要としていません。彼らが求めているのは、私たちの愛と優しさなのです。
貧しい人々が求めているのは、憐れみでなく愛なのです。
彼らは自分たちの人間としての尊厳に敬意を払ってほしいのです。
そして彼らが有している尊厳は、他の人間のそれと全く同じ質と量の尊厳なのです。

私たちは、愛し、愛されるために神に創られました。

一人の若者が死にかけていましたが、何とかして生き長らえようと三、四日日必死の努力をしていました。『どうして、そんなに生きたいの』と、シスターが尋ねました。
『父親に赦してもらえるまで、死ねないのです』がその答えでした。
父親が彼のもとに到着した時、青年は父親に抱きついて赦しを願いました。その二時間後、青年は平安のうちに死んでいったのです。

他人を咎める資格が私たちにあるのでしょうか。
たしかに正しくないと思うことをしている人たちがいます。でも、なぜそうしているかという理由はわかりません。
イエスは人を裁くなと言われました。
もしかしたら、他人の誤った行いの責任は私たちにあるのかも知れないのです。
                                マザーテレサ



森と地球と人々に愛を

2015年10月22日 21時25分08秒 | 自然の育み・環境
勤務先の災害拠点に指定されている総合病院で災害訓練がありました。
以前は雲仙普賢岳の火砕流、JRの特急列車の転覆事故などを経験しましたが、緊急時の災害に備えての訓練は始めてでした。沢山の非番の職員達を動員しての訓練でした。
自然災害、人災が出来るだけ起こらないように、普段から備える事が必要であり、その為には、どの様な小さな報われない仕事でも誠実に成し遂げることが必要であります。娘婿が橋や高速道路を設計していますが、この様な公共施設は長年使われるものであり、人命に関わることでもあり、未来に不測の事が起こると誰が設計したか直ぐ判るものであり、大変苦労が多い仕事と思われます。
また神様から頂いた素晴らしい自然を礼拝し、何百年も里山を守って来た経験を生かして、質素で、何事にも謙虚な姿勢で生活を営むことが大切であると思えます。


今から一六一年前の一八五四年に書かれたアメリカの詩人博学者でインドのガンジーに多大な影響を与えたソローの
ウォールデンー森の生活(WALDEN,OR,LIFE IN THE WOODS)には朝陽の昇ると僅かな時間で畑仕事をこなし、畑には肥料を施さず、草も刈らずして種を蒔き、蔵に入るほどの収穫もせずして、湖水と森の中で動植物と共に質素な自給自足の素朴な生活営み、空いた時間を読書や思索に費やしたそうです。





この様に自然の恩恵を生かした、太陽光発電、水素を使った自動車、風力発電鑰等、の自然エネルギーを使い、日本の葉隠れ精神等の質実剛健の心を生かした生活。神様からの恵みである身近な四季に採れる植物性の食物を生かした茶懐石料理、精進料理等の食べ物を頂く事が真の生活であります。
禅の生活は一人畳半畳で生きる事であります。





僧院の修行者が肉食を配して清浄なる植物食をとることにしているのは、植物性植物は血液を清浄にして、心に平和と、請謁とを与え、戦闘の心を鎮め、真理を獲得するのに適当な心的状態を与えるからであります。
                                                心と食物と・・・・


節食して他に施す心
節食してそのあまりの食物を人々に施したいという心
自分の本性として持っているほとけごころ(菩提心)がおのずから内心に育って行って、さらに仏の光が外から照らして加護してくれれば、本能のままにの心にも、突然に、節食してそのあまりの食料を他の人々に施したいという心が生じてくるのです。
                                秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)  弘法大師空海




オーロラの神秘的な世界

2015年10月14日 20時28分28秒 | 自然の育み・環境
色々な物質と時と場所の悪戯が融合して吾々に幻想的な世界を魅せる。
まさに神業としか思えません。
色々なメカニズムでこの様な現象が現われる事だと思われますが、
色々な議論は抜きにしてこのオーロラ世界を楽しみその魅惑的な芸術を楽しみたいと思います。
現代は現地に行かなくともこの様に素晴らしいオーロラを見ることが出来ます。
ありがたいことです。




初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり
神の霊が水の面を動いていた。
神はいわれた。

『光あれ』
創世記一

いかなる形、いかなる面てにもまして
セイドが愛した美は
石のようにまどろむことをせず
光を放って舞い、かき消えてゆく美。
いたるところに美を追う彼は、これを
炎のなか、あらしのなか、大空の雲のなかに求めた。
彼は湖の面を打ち、さざ波が
緑柱石のように輝くのを、あくことなく眺めた。
湖上に小石をうまく投げ、
その一瞬の音楽に、耳をかたむけた。
うなずきかける極地と、そこをとりまく地方から
気高い音が、彼のために、時折鳴り響いてきた。
中心の天体と周遊する天体から
彼だけにきこえる声を聞いた。
大地震える時は、韻をふんで震え
海のみちひきは、抒情詩の格調をもっていた。
情熱の洞穴、悲嘆の深淵で、彼の見たものは
力強いエロスの神が苦悩して進み
闇を照し、呪いを払い
宇宙の果てまでも輝かそうとする姿。
このように、彼は毎日を愛に捧げ
愛を心より礼拝し、賞賛を軽蔑していたが
その間、不順な野心と不正な利得が
誘惑の手を彼にさしのべ、しりぞけられた。
彼はパンのために生きるよりは
美のために死ぬることを倖せと考えた。

エマソン

日本の美しい文化の相撲甚句と環境問題

2015年10月10日 21時41分44秒 | 自然の育み・環境
友人の手作りの相撲土俵での土俵開きに招待されました。
諫早相撲甚句会の代表の方とその一門による相撲甚句が厳粛な御祓いの後奉納され、
その謡いが朗々とコスモスと真赤な鶏頭が咲きみだれる谷間に響わたりました。相撲甚句は江戸時代の頃から始まり、邦楽の一つだと云うことです。
日本の伝統芸能を真近に接し、聞くことが出来たことは有り難いことでした。
以前は、ほとんどの中学校にも相撲土俵があり、友達と相撲をして遊んだものでした。
身近な日本の文化が失われて行くような気がしてなりません。





伝統文化を失った民族は滅びると云われていますが、この身近な緑豊かな里山に育まれた日本の美しい風景と日本精神を失いたくありません。

再度、里山に育まれた自然と山に生きる生き物達と調和した関係を築き、共に豊かに、健やかに生き、
緑豊かな自然と山に生きる生き物達を友人として助けあって暮らして行く事を願っています。
伊勢神宮の式年遷宮のように持続可能な再利用(リサイクル)、二十年ごとに日本の国の魂を生まれ変わらせることによって、
国家が若返り、そのことにより永遠を目指そうとするのである。
これは「常若(とこわか)」という言葉で表す思想です。
伐採したら元の姿に復元をする植林の思想も大切だと思えます。
この様な日本独特の環境保全、リサイクル、もったい無いと物質を神様からの賜わりと考え
無駄なく、大切に扱い、衣食住、必要最小限の質素な生活をする『茶の心』の如く、
日本の美しい心を育てることが、現代の環境問題の解決に必要だと思えます。



美しい青い空の冥王星

2015年10月09日 20時58分01秒 | 自然の育み・環境
2015年10月8日 タイム誌にNASAの宇宙船は、冥王星の青い空と赤い氷が存在することを発見しました。と報じられました。





この青い、青い海と森に恵まれた地球にソックリな冥王星の丸い、青い空、素晴らしい存在です。
感動しました。宇宙に地球と同じような惑星が存在するという事は想像していましたが見事な青い空です。
表面の氷がどうして赤い色に着色したかは解っていません。


森と地球に捧げる祈り

生きとし生けるものを生かし給い、有りとし有らゆるものを育み給う、
森よ、地球よありがとうございます。
この優しい森と地球に神の無限の愛と生命と癒しがながれ入り給いて、
美しく、浄らかで、健やかな、緑に溢れた豊かな森と青い、青い地球が光明燦然と輝き給う。
吾らを生かし給える森よ、地球よありがとうございます。
吾らを生かし給える森よ、地球よありがとうございます。

新たなる機会

2013年09月27日 21時05分46秒 | 自然の育み・環境

 

われ最早や我れに依って生きず、キリスト(真理)我れにあって生きる。

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廃品になりけむスチール椅子、しかれども<o:p></o:p>

 

心の奥底に輝く、ピカピカの自由自在に動き回るスチール椅子。<o:p></o:p>

 

温かい秋の日差しを享け他の廃品仲間と共に<o:p></o:p>

 

新たなる機会へと羽ばたこうと楽しそうに鎮座している。<o:p></o:p>

 

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