夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

大自然と桜と『寂』と日本の文化。

2016年04月03日 11時38分39秒 | 自然の育み・環境
大自然と桜と『寂』と日本の文化。

東京の杉並区在住の次男の声を久しぶり聞き、大変元気そうでした。
東京はまだ寒いとのこと、吉祥寺界隈の景気もまずまずのようで機嫌が好いようでした。
次男に桜のことを常々聞きますと何時も東京の人は桜見には気合が入っていると言います。
考えて見ますと歴史的にも、江戸に幕府が開かれてからは人口が集中してからは人々には
『火事と喧嘩は江戸の花』と言われるようになり、ストレスが溜まる時代となり、
ストレス解消、憩いの場として広い小路等が整備され計画的に植えられたようです。
田舎の自然の山に自生している山桜と違って殆どの桜の木がそれぞれの時代の人々の手により
人工的に植えられた模様であります。
それ故に人々が自ら愛と心を込めて植えた桜に惹かれ、また無意識に桜に人生の栄枯盛衰を映し、
桜見物に駆り出される衝動が強く現れるのではないでしょうか。
また気高い大自然を愛でる日本人の文化が、自然が少ない江戸の町並みの中で桜見物によって
自然を身近に人々は感じていたのではないでしょうか。
それは今の東京にも云えることでもあります。




大自然の悠久さ、久遠不滅の生命の尊厳が顕れているのが『寂』であり、ただ古いと云うものではないのです。
そこに永遠なる、時間空間を貫いて滅びない生命が躍動していて、
大自然の深い味わいというものが滲み出ているものが『寂』には出ているのです。
芸術にも大自然のいのちが作品に『寂』と云う精神が染み込んでいることにより成り立つのであります。
日本人は古来よりこの『寂』というものを愛でいた民族、国民であります。
『寂』には温かい包容心と他を排除しない、対立感の無い、争い心が無い、自然と一体感のある精神であります。
この寂の精神は俳句、能、書、日本画、茶の精神、茶懐石、雅楽、華道、香道等日本の文化に脈々と息づいています。






















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