夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

老人の知恵と孫・・・老人の慈しみ。

2019年03月08日 16時42分06秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
春うらら 岸辺に遊ぶ 白鷺や

年休を取り午後から早退しました。

ちょっと車を降り、散策しました。

温かい日差しのなか、時おり冷たい風が吹き抜け、いよいよ桜の出番です。




老人の慈しみ


ある母親の男の子が頻尿で困って精神科のカウンセラーのところに来て相談され、

事情を聞くと、祖父母と若夫婦が同居していたのですが

祖父母の考え方や孫の接し方に不満を抱いていた両親が、

新居も求めその祖父母と別居することなり、

しばらくして子供の頻尿が始まったそうであります。

母親は悟りが早く自分で事情を話すうちに、この問題点に気がつかれ、

今まで自分の子に悪影響を与えていると思っていた祖父母が、

母親が思っていた事に反して、子供が生きてゆく上で大変な良き影響を与え、

重要な役割を担っていたことに気がついたのです。

祖父が昔話をしたり、食後に禁止されていたチョコレートを隠れて与えたり、

母親が仕事のことで精一杯だったことにより、子供に厳しい態度だった事を

和らげたりして母親代理の役割を祖母が果たしていたのに気が付かずにいたのです。

祖父母と別居して、自分の思うままに教育出来ると思っていた矢先に

子供が頻尿という警告を与えたのです。

このあと祖父母との交流を前より多くすることにより

この頻尿という問題は解決したのです。



天地一切のものと和解せよ。


天地一切のものとの和解が成立するとき、

天地一切のものは汝の味方である。

天地一切のものが汝の味方となるとき、

天地の萬物何物も汝を害することは出来ぬ。




あなたは地上に咲いた天の花



魂のない家庭は分散する



子供は神が養いたまう



春うらら 岸辺に遊ぶ 白鷺や


無我の愛・・・一切の悪は執着より生じる。(一切を捨てよ)

2019年02月27日 18時01分30秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
情報に溢れた世の中でその情報の選びかたに由って

大きくは運命を変えることになります。

最終的に選ぶには人間の直観力に依存することになります。

その直観力である閃き、霊感的なインスピレーション(inspiration)を

養うには表面に現れた分析的な化学力よりも

優しい心、感動などの目に見えない世界を大切にあつかい養うことです。

それは瞑想、座禅、先祖供養などの利他行があります。




利他行である無我の愛

人のために泣き、ひとのために憂い、国の平安を祈り、

他をいかし、他を悦ばし、他を楽しませ、他を利益するところの愛である。




『利他行』の一つである先祖供養

先祖の霊を朝夕礼拝するのは、

霊魂は善念である真理の念を向上の食物としてうけとるものであるから、

反対に妄念である呪いの念、憤りの念、恨みの念は

害を与えるものでありますから、

常に人間は神の子であり仏の子であり、

如来であり素晴らしい存在であるという真理の念を

誦経礼拝等にて放送して祖先の霊を向上進歩せしめるのは子孫として、

祖先に対する報恩感謝の行事であり勤めであります。




理趣経について

自分を離れて佛なく、

自分を離れて世界も衆生もなく、

我々が無我の大我に目覚める時に、

そのままで万徳円満の大日如来である。

                      弘法大師空海 伝経大師(最澄)への書簡

『注』
利他行・・・他者を利益する行。他人を導く行。他人を恵む行い。
       自利に対していう。
自利・・・自分を利益すること。自分のための修行。




ヒイラギナンテン(柊南天) トゲのある『ヒイラギ』は魔除けとして鬼門に当たる所や『はばかり』、家の周りの生け垣などに植えられている身近な植物です。



春のおとずれ・・・守り神のおとずれ(祖先・産土神は守り神)

2019年02月05日 22時46分31秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
春のおとずれ

あたたかい雨だれがひびく

万物のささやきひろがり

初々しい蕾の望みふくらみ

歓びの歌を奏でる小鳥たち

ゆれる菜の花の楽しさよ




守り神(守護霊)のおとずれ

人間が現世に生まれると、

祖先の霊魂中の適当なものが選ばれて、

守護霊又は守護神と称する『守り神』として、

その人に付随して守護し、大抵は生涯その人を守護しているのでありますが、

これは産土神の支配下にあるものでありまして、

産土神様の命令により、その人の使命の重大化するに従って、

更に多くの守護霊がその人に付随して守護し、

又は精神波動により、ある指導を与えていると解されるのであります。




ささやかな愛

心は魔術師である・・・心が解放され自由自在になり豊かなる平安へのヒント。

2019年01月23日 19時07分35秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
ありふれた素材のなかにヒントがあり斬新さがある。

そのアングルを変える事により新たなる発見がある。



密室のパンドラ。

例えばエレベ―タ―に乗りボタンを押すと

自分の押した階に必ず着くのであるという誤解がある。

たとえボタンを押しても自分の押した、思い通りの階には

必ず着くとは限らない。

他の階で誰かがボタンを押しているからである。

此の事がなかなか理解出来ない。

それは他の階で押した人が認識出来ないからである。

だからエレベ―タ―の扉が開くと

着いたと思って反射的に直ぐ降りようとする。

また扉が開き、どうも目的の階ではなのではないかと感じると

まるで始めて来た別世界のように驚いて目を見開く。

この思い通りにならない状況を

なかなか直ぐには受け止めようとはしない。

その挙句いら立ちヒステリックになる。



心の退行・・・先祖返り


多くの人間はどうも幼児のように何事も

自分の思い通りに成ると云うことを信じているようである。

思い通りに成らないと『ヒステリック』になり『パニック』に陥る性質がある。

『パニック』に陥ると幼児性的な

自己保存性の強いナルチシズム(利己主義)へと退行するようである。



愛と憎しみ・・・相反する心(アンビバレンス)


おさな児が父と母の愛を求めるように。

乳児が母の乳首を噛むように

思春期に父と母を憎悪し反抗したように。

大人になると超自我(幼児時代の自我)が災いして、

隠れた意識の奥で愛と憎しみの心が相反して

『現在の自我』を悩ますのです。

隠れた意識の奥で父母と共に生活した幼児の時代に退行し

『思い通りにならない心』を貴方のお蔭であると、

父母を責めるようなものである。

このようにして無意識の世界で父と母のへの

愛と憎しみが相反して苦しむのです。

吾々はこの奴隷的であり、母の乳首を噛むという

幼児的な利己主義(ナルチシズム)から

脱け出でなければ『心に自由を取り戻す』ことは出来ない。



相対する人への感情の移入


吾々の現在意識には幼い時に父母と兄弟、周りの隣人達等に向けた

悪感情、憎悪の感情は忘れ去っているかも知れないが、

幼い時の父母、縁者の代理者として現れている現在の『夫、妻、兄弟、周りの隣人』に

『悪感情、憎悪の感情』を無意識的に移入しているのです。



父母との和解・・・心の魔術

その脱け出すヒントは生を享けた原点である父と母と和解しなければならない。

無意識の世界に抱いていた、父と母に対しての悪感情、憎悪を捨て去らなければならない。

だからこそ父母と周りの一切の人々と仲良くして和解すると、

『魔訶不思議』にも幼児的な利己主義(ナルチシズム)から脱け出でることが出来きて、

心が解放され自由自在になり平安になることが出来るのです。



感謝はすべてを癒す


そして更に前向きになり、天地一切のものと父と母と一切の人々と物と環境に

有り難く感謝することです。

すると不思議にも穏やかな平安が訪れることになります。



無条件の愛を与える


感謝とは天地一切のものである

神、佛、御先祖、父母、人々、大自然、置かれた環境などに対して

一切の自分の自我を捨てて、無条件に愛すると豊かな心を与えられます。




純潔のクチナシさん



水の仙人さん



今年は山が豊作なのだろうか、野鳥がツルウメモドキの実を食べ残している















我々の死後の存在は何処に・・・愛する人は何処に

2019年01月18日 22時47分02秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
愛し子の 波間に光る 天の川 

今日は初観音

『観音の縁日』は我が愛する子へ『回向』させて頂く尊い縁日です。

律儀で何事でも全力で成し遂げる子でした。



我々の死後の存在は何処に・・・愛する人は何処に



我々が隣人、家族を愛し、友と語らい、一筋に求めた理想、献身は

『死後』、肉体の消滅によって、肉体と同じように煙のように消えてしまうのでしょうか。

悪行三昧、悪戯に生きる事も、

ひたむきな献身も善意もことごとく同じ価値観でしょうか。

もしそうであればこの世界には直向きな愛も、

如何なる善意も無いと等しいことになります。

それではあまりにも痛ましい人生であります。

だからこそ喜べば喜び来たる、

他に祝福を与えると祝福が自分自身に来る、

悪意を持てば悪意が返ってくることのように

『因果の法則』が働くのです。

それ故に死しても善業も悪業も

現世から来世へと引き継がれ精算が行われる所以があると思われます。

一枝に真を生きた椿さえも、

潔く散り、永遠のよろこびを大地にまかせ、

ふたたび生命を輝かせるのです。



死後の霊魂

肉体を去った念(こころ)は

その念(こころ)の力で一つの個性を持続して

幽界(死後の世界)で生活を続けることになります。

これらが『霊魂』と云われています。

念(こころ)が浄化するにしたがって、

その念(こころ)に相応しい霊界(死後の世界)に留まり、

悪を念じたり、不浄を念じたり、執着を持ったような念(こころ)の浄まらざものは、

それにふさわしい境遇(幻しの世界)を念の力で造りあげ、

その境遇の世界『幻しの世界』で苦しむことなる。

是がいわゆる『地獄の世界』である。

本当は『実在していない地獄の世界』の苦しみは

自分自身の心で造りあげ、自分自身が自ら苦しんでいる『幻しの世界』である。



だからこそ明恵上人が歌われた


ながき世の 夢をゆめぞと しる君や さめて迷える 人をたすけむ



ながい人生は夢(現象の世界)であり、

真実の世界ではないということを知っている君は 

心が現している虚像の世界からさめて(覚り)。

迷える(現象の世界で苦しいでいる)人々を救いなさい。




臨死体験で『幽体離脱』を体験する人々


自分の肉体を脱ぐのをはっきりと自覚しており、

私たちが科学的用語を使って理解しているような死は、

存在しないことにも気づいている。

死とは蝶がマユを脱ぐのと同じで、

肉体を脱ぐだけに過ぎません。

より高い意識の世界への移行であり、

その世界では歓喜に満ち、苦しみの無い愛に満ちた永遠の生命を理解し、

ますます『魂』が生長することが出来るようになれるのです。

            Eキュ―ブラ―ロス(Elisabetb Kubler-Ross)





一枝に真を生きる椿



愛し子の 波間に光る 天の川







愛の萌 ・・・・・ 自己破壊からの救い(再建のための社会的技術) 最終回

2018年11月30日 21時53分04秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
愛の萌

その人を説得する前に、人にはそれぞれの人生がある。

その人の悲しみ、苦しみ、喜びが、今、此処にある。

その思いを、心を尽くし、力を尽くして、立ち向かってくる。

一度、立ち止って、その人の思いに、耳を傾けてみよう。

その人の思いは、私自身の思いでもあるから。

その人の思いに、心をよせることができれば、

そこに真実の愛がめばえる。




自己破壊からの救い・・・(再建のための社会的技術) 最終回


われわれの知性と愛情とが、自己破壊に対抗していくうえに、もっとも信頼のおける防壁である。

このような力がわれわれ自身の内に既にあるのを認識することが、

自己破壊の力をコントロールする第一歩である。

おのれを知ることは人間の色々な本能の邪悪性を知ることであり、

その邪悪性を取り除く力があることも知らなければならない。

自己破壊性の存在に盲目的であったり、

また無関心でいることは自己破壊性、そのものを存続させることになる。

知性を支援するためには、われわれは意識的に、

具体的な目的を持って愛を導き、勇気づけなければならない。

自分を救うにも、他人を救うにも、友情、笑顔こそは強力な武器である。




迷い出でた羊のたとえ


これらの『小さな者』を一人でも軽んじないよに気をつけなさい。・・・・・

あなたがたはどう思うか。

ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出でたとすれば、九十九匹を山に残しておいて、

迷い出でた一匹を捜しに行かないだろうか。

はっきり言っておくが、もしそれを見つけたら、迷わずいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。

そのように、これらの『小さな者』が一人で滅びることは、

あなたがたの天の父の御心ではない。

                             
                                  マタイによる福音書 18-10、12~14




あなたがたは世の光である。・・・自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の⑤

2018年11月29日 23時26分03秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
街の広場には年末恒例のイルメネーションが現われ、

闇夜に顕われる煌きには不思議な魔力があります。

闇夜に発光ダイオードの淡い色が輝き、デザインが変化に富んでいて、

澄み切った冬の夜空のイルメネーションは人の心をかきたてる魅力があるようです。



自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の⑤


交響曲第5番、ハレルヤコーラスなどの音楽、芸術、演劇等の事項は自己破壊に対抗する防壁の強化である。

音楽や、芸術に治癒的効果があると言うよりも、これ等によって喜びを感じたときには、つねに愛がそこに含まれており、

この愛を引き出してくるものは、それがなんであっても、そこには自己破壊に対抗して闘う要素がある。


仕事というものが攻撃を利用して行われるものであり、

しかも攻撃が自分に向かうのをそらせる役割を演じるものである。

仕事をすることは、それは創造的昇華となりうるのである。

社会福祉、伝道、医業など多くの職業は『色欲的本能』の表現が昇華されたものである。

このことは自分自身から外へ愛を導きだすことであり、

自分の身近にある愛の対象から、隣人へ愛を及ぼすことになるからである。

ここに言う隣人はイエスが『汝の隣人を愛せよ』と説いた意味である。

この隣人に対して、われわれの『原始的本能』はわれわれが敵対するようにさせるのであるが、

われわれの『自己保存的欲求』は、この人々を大切にすることを要請するのである。



柔和な人々は幸いである。

その人たちは地を受け継ぐ。


あなたがたは世の光である。


またともし火をともして枡の下に置くものはいない。

燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。


そのように、あながたの光を人々の前に輝かしなさい。



          マタイによる福音書 5-5、14、15、16.(山上の説教より)








ゆっくりと穏やかに『今』を生きる・・・・・自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の④

2018年11月25日 18時16分40秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
新嘗祭も過ぎ、3連休も最後の日曜日。

東京競馬場のレースで騎手と馬が一つになり、

また馬の脚さばきを観ています『雌鹿の足』の話を思い出しました。

名馬はそのように脚をしなやかに美しく運ぶことに感心しました。

   『注』雌鹿の足・・・わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を
             雌鹿のようにし、聖なる高台を歩ませられる。
                                 (旧約聖書―ハバクク書3-19)



野菜料理について

大根、ほうれん草、白菜が美味しい季節となりました。

懐石料理では根菜、葉菜、豆類なども各々別々に茹で、

清い水で晒し、またそれらを別々に調理し、調味料も最低限使用して、

各々の野菜の元々の自然の色、容、薫り、純粋な持ち味を失はわないように、

互いに調和したかたちで喉元を通りねけるように仕立てます。

『懐石料理』は多様な大自然が四季を通して

各々個性を発揮しながらも共生し、

互いに助け合い調和している姿を表現しているのです。




自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の④


『色欲的要素』が破壊的傾向と対抗し、それを中和し、

そして人の部分的または全面的に救う力がある。

満ち溢れる愛の特質はなんであろうか。

愛することを拒み、如何すれば愛することが出来るかを知ることを

妨げているのは、『色欲的本能』の発達が阻害されているからである。


色欲的発達を禁止するものは、

すべてを空しくするような自己愛(narcissism)の作用である。

自己を愛する心ほど人間の愛を禁止するものはない。

愛を自分だけに偏って注ぐのは、憎悪を自分自身に蓄積させることになる。

攻撃を自分自身に向ければやるせなく苦しいと同様に、

愛を自分だけに注ぐのは情緒的不安定になり心が枯渇することになる。

愛を他人に注ぐということが『色欲衝動の精華』である。

このことが攻撃を和らげ、物事を成就させることへと静かに流れゆくことになるのでる。




イエス、死と復活を予告する

弟子たちに言われた、わたしについて来たいと思う者は、

自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。

たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、なんの得があろうか。


                            マタイによる福音書  16-24~26








神の愛(光り)を心に降りそそぐ。・・・・・自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④

2018年11月21日 22時42分45秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
秋水に紅葉映える、巫女舞う神楽の鈴冴えわたる。

はや四十一年目のお祭り、尊師の華やかさ蘇る。

今、生かされている有難さをかみしめる。

帰りは先輩の車で海岸線を迂回して帰路につく。

山の傾斜地『伊木力 みかん』の段々畑が続く懐かしい山道の風景を走りぬける。

お目当てのみかんは売り切れでありませんでした。

先輩が尋ねると、出荷するのに人手不足とのことでした。




自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④


無意識の罪悪感を解消させる手段として、もっとも広く行われているのは

『償い』である。

『償い』は犠牲を払うという形で形成される。

世の中の標準から考えてあまり高価すぎる犠牲を払わずに、

しかも罪悪感を解消させることの出来る『償い』を利用すれば人の再建を促進できる。



宗教が持つ償いの要素の顕著でまた具体的な治癒的効果を認めないわけにはいかない。

宗教は別の面ででも人々を救済する。

あらゆる宗教の信者たちのあいだに行われている種々の行事―

『懺悔(告白)』すること、『象徴主義』、『勤行』、『奉仕』すること、

悔恨して罪業消滅を認めてもうらうことなどを通じて、多数の人々を救済する機能を発揮している。



自分自身が意識していない、小児時代に形成された『超自我』は

『現代の現実』とは、かけはなれている。

多くの人はこの小児時代に形成された『超自我』の強制する不合理な命令を克服して、

良心を実際の役たせられる程度の知性と取り換えている。


神経症的な弱い自我を苦しめ、強権を振り回している超自我を処理するためには、

良心の再教育などは無駄な努力である。

叡智という光を良心に向けることができさえすれば、

良心を王座から落とすことが出来、弱い自我を強化させることが出来る。


知性的再教育より、情操的再教育がの方が一層大切である。




銀河ひろがり、心ときめく・・・自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④

2018年11月19日 19時56分57秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相


一雨毎に秋が深まり、

夜空には銀河が広がり、

走馬灯の如く今までのことが

一瞬に顕われ消えゆく。


四男が転居し

神棚奉斎の御祓いを頼まれ

休日に行ってきました。



思いは必ず実現する。

先日長年あきらめていた 

絶版になっていたいた本が偶然手に入りました。

心に留めていたものは必ず時を越えて

実現することを改めて実感しました。



無意識的罪悪感

自己懲罰の要素は、自分自身が意識していない

罪悪感に起因する無意識的罪悪感である。

この無意識的自己懲罰要素を減少させるために、

科学的手段にアルコール飲料が知られれいて、

鎮痛剤、薬品(麻薬類)なども同一原理に基ずくと思われている。

あまりにも容易に、速やかに罪悪感を減少させ、効果をあげる手段がたやすいからである。

しかし薬品の効果が消滅すると同時に、もとのもくあみになる。


もっとも健康的で効果がある手段として

罪悪感を刺激する攻撃そのもを減退させれば

罪悪感それ自体の減退を促すことが出来る。

攻撃性と自己懲罰的要素は相互に作用し影響し合っている。

罪悪感に悩む人が挑発的になる傾向があるのは

過去の罪悪感があたかも復讐と自己懲罰が再来し、

新しい攻撃的傾向が起こるように

挑発的になる傾向が刺激を与える機会となり易いからである。



敵を愛しなさい

しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく、

敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

悪口を言う者に祝福を祈り、

あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。・・・・・・・・・・

いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、

情け深いからである。

あなたがたの父が憐れみ深いように、

あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。


                    ルカによる福音書6-27・・・36





                  
                                                             

捨て去る勇気(捨無量心)、そして微笑み・・・自己破壊からの救い(攻撃性』)其の③

2018年10月14日 12時37分37秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
花園

 
陽だまりの花園に

蝶が遊んでいる。

ふと時間をわすれ

温かさに包まれ

しなやかさが広がり

悠久の抱擁が蘇り

慈しみが満ち満ちる。




自己破壊からの救い(攻撃性』)其の③


子供は遊びという技法を用いて、

攻撃的な意味で、ものを汚すことと、

創造的な意味で何かを描くということ

とのあいだに橋渡しをするものである。

子供は無心にその遊びを楽しむ、

そしてある種の自慢等の態度を放散させる。

科学的な方法で遊びを巧妙に利用し、

それによって攻撃の鉾を収めて自己破壊から再建を計る


一見愛の対象のようであって実は憎悪の対象になっているものがある。

このような愛は『愛』と『憎しみ』がうらはらとなっていることがある。

このような愛の対象は強制的に放棄することが賢明である。

このような愛の対象を心の奥に秘めておくことは、

いたずらに紛糾を生じるさせるだけである。

なぜならこの愛の対象を守り貫こうとする色情的な結合力が、

いくら努力しても繕いきれないほど攻撃性が破裂するからである。

この攻撃性はその対象に直接的向けることが困難であるが故に、

自分自身に向けられ、被害を蒙るのは本人自身である。

このような憎しみの対象は人生の初期に現れた人物を

子供心に猛烈に憎みその憎んだ人の代理になっているのです。

ですからその憎しみが強大なので置き換えたり、

放棄することが困難となるのです。

このような人が憎しみの為に

自分が病気になることは極めてあるうることである。



機知とユーモア、笑いの効果とは

相手次第で敵意に満ちた衝動を解消する利益がある。

ユーモア、笑いという変装を着せられ心を解放されると、

抑圧された敵意の感情を持っている人は

すべて途端に明るい良い気持ちになる。








山道をあるく・・・自己破壊からの救い(攻撃性』)其の②

2018年10月13日 22時46分28秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
朝靄の 谷間にけむる 初穂かな

小さな沢を登りました。

考えていた以上に、変化に溢れた坂道を登るのは息があがり、

バランスを保つのが大変でした。

年月を感じさせられました。




攻撃性と対抗して闘う手段



攻撃性を食い止めるには攻撃性の直接的表現に対抗するには

ただ拘束(restrsin)あるのみと考えてはならない。

自己破壊(攻撃性)の手段は容易に別のものに取り換えるることができる。

当人自身が攻撃を認識しなければならない。

一旦攻撃性に含まれている自己破壊性が認識されると、

それを自分向けたり、また無害な攻撃をしかけてこない(ionffensive)対象物に向けたりせず、

別の方向に向け直し、攻撃しても差し支えのないもに振り返ることである。

悪口三昧などの攻撃性を周りの者や近親者に向けることは、

はた迷惑なものであるがこれは喜ぶべきことなのである。

このような攻撃性の傾向が差し支えの無い対象に吐き出されさえすれば

その攻撃性は癒されるのである。

攻撃性エネルギーを応用して、ゴルフで歩いたり、隣人の悪口を言ったり、

妻の平和を乱したり、畑を耕したり、討論会で意見を述べたり、工場で働いたりすることが

攻撃性の昇華(sublimation)を意味していて、はるかに賢明なことである。

われわれの憎悪のうち、もっとも深刻なものは子供時代に形成されたものであり、

攻撃性を処理する手段のなかでもっとも効果的なものは

本質的には子供じみたものであるという事実を忘れてはならない。

これこそは遊びの主な機能なのである。

ヴァン・ゴッホは芸術に自己を傾注して、

情熱をカンパスにぶつまけた為に自殺を延期することが出来たのである。


入院中のある婦人が糞便を壁になすりつけて、

医者や看護婦の悪口を書き散らしたる

ある婦人が回復をするにつけて、ペンとインクで美しい詩句が書けるようになった。

このことはわれわれの原始的な攻撃手段が、

初歩的であるが社会的に是認される形態の様々な活動に置き換えられいく有様を見ることが出来る。










自己破壊からの救い(愛を憎しみに変え、おのれを傷づける死の本能からの救い)・・・・・其の①

2018年10月08日 15時42分30秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
久しぶり穏やかな日差しが戻り、

柿の実が色づき素晴らしい秋日和です。

私共が小学生の時分は

此の10月に運動会があり、

肌寒い中での駆けっこでした。


地震、台風、大雨等の災害等が毎回繰り返されますが、

自然災害の被災者は生活環境の進歩等により

80年前よりも40分の1程に減少しているそうであります。

災害を肌で感じていると以外であります。

温暖化と言われますが、

人類の自己破壊・自己懲罰の姿のようであります。





人間は自己破壊に平衡して自己再建が常に行われている。


自殺からはじまって、種々の慢性的、間接的形態などの

ある種の肉体的疾患等は臓器上の間接的自己破壊である―

われわれは内部的および外部的諸勢力が、自己破壊の諸傾向に対抗して働き、

その結果、実際に起こる事柄が生きようと願う意志と、死にたいと思う意志と―

すなわち生本能と、死本能―とのあいだに行われる妥協が臓器上の間接的自己破壊である。

しかし人間は自己破壊に平衡して自己再建が常に行われている。


自己破壊性を認識することは、

実に多様な自己破壊に抵抗し、

生本能の闘いを激励・支持する目的を持っている。


『精神分析』は自己破壊的な諸傾向の仮面をひんむいた。

自己破壊が実際に成就されるありかたをみると、

三つの要素―

『攻撃性』

『自己懲罰』

『色欲』

を動機とする諸活動ならびに機能がそこに働いている。



カール・A・メニンジャー(Karl  Augustus  Menninger)







  

痛みからの解放。    神への信頼・・・・ゆだねる心の大切さ。

2018年09月14日 22時45分20秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
道場の先祖供養祭でした。

まだ袴まで汗ばむ暑さでした。



痛みの心、傷ついた心を見詰め、

色々と痛みから逃れようとしていると

不思議にも痛みが増してきます。


丁度、植えた種の芽が未だ出ていなので、

土をほじくり回し

終に其の種を駄目にしてしまうのと似ています。


植えた種は大自然にゆだねて、

本来の姿である実相(必ず芽が必ず出てくること)を信じて、

その時期が来るのを静かに待つことが大切であります。


色々な痛み心も、自分流の方法で画策しないで、

神様にゆだねて回復の時期を待つ忍耐が必要であります。


そうすると必ず癒されます。



端座して実相を念え、衆罪は霜露(そうろ)の如し、

慧日(えにち)能く消滅す






                         法華経・・・観普賢菩薩行法経

『説法印』の神秘に突いて・・・癒しのプラナ

2018年03月24日 20時30分56秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
春休みになり、

朝の登校もお休みになり、

子供たちの弾む動きと、

白い息づかいの生き生きとした、

楽しい風景が見られなくなり、

チョッと寂しいです。



希望の春

青い空と

白い雲と

麦の青さがひろがり、

心も豊かにひろがり、

新しい希望が芽生える

春一色のこの朝よ。



『説法印』の神秘について


釈迦が説法しているときに、『説法印』と称して聴衆の方へ手のひらを向けているのは、

一種の催眠術の於けるパス(Pass 人体磁気想念法)である。

想念は必ずしも神経系統と通じてのみ伝わるものではないのであって

『プラナの体』(又は人体磁気の体)を通して伝わるものである。

神経系統があってもプラナの体が消耗すれば肉体は無感覚となる。

而して人体磁気はオーラ(後光的雰囲気)のように其の人の全身から放散されるものであって、

誰かがその雰囲気の中に入ると、激しい一種のショック又は感動を受け、

時として病気が癒されたりするのである。

病人がイエスの衣の房に触れたときに

『力われより流れ入りて汝に入れり』とイエが云ったとき、

既にその病人が癒されていたと云うのも、

イエスの強烈な磁石的雰囲気の中に入ったときに、

その病人が非常な感動を受けたと云うことを顕している。