夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

ゆっくりと穏やかに『今』を生きる・・・・・自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の④

2018年11月25日 18時16分40秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
新嘗祭も過ぎ、3連休も最後の日曜日。

東京競馬場のレースで騎手と馬が一つになり、

また馬の脚さばきを観ています『雌鹿の足』の話を思い出しました。

名馬はそのように脚をしなやかに美しく運ぶことに感心しました。

   『注』雌鹿の足・・・わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を
             雌鹿のようにし、聖なる高台を歩ませられる。
                                 (旧約聖書―ハバクク書3-19)



野菜料理について

大根、ほうれん草、白菜が美味しい季節となりました。

懐石料理では根菜、葉菜、豆類なども各々別々に茹で、

清い水で晒し、またそれらを別々に調理し、調味料も最低限使用して、

各々の野菜の元々の自然の色、容、薫り、純粋な持ち味を失はわないように、

互いに調和したかたちで喉元を通りねけるように仕立てます。

『懐石料理』は多様な大自然が四季を通して

各々個性を発揮しながらも共生し、

互いに助け合い調和している姿を表現しているのです。




自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の④


『色欲的要素』が破壊的傾向と対抗し、それを中和し、

そして人の部分的または全面的に救う力がある。

満ち溢れる愛の特質はなんであろうか。

愛することを拒み、如何すれば愛することが出来るかを知ることを

妨げているのは、『色欲的本能』の発達が阻害されているからである。


色欲的発達を禁止するものは、

すべてを空しくするような自己愛(narcissism)の作用である。

自己を愛する心ほど人間の愛を禁止するものはない。

愛を自分だけに偏って注ぐのは、憎悪を自分自身に蓄積させることになる。

攻撃を自分自身に向ければやるせなく苦しいと同様に、

愛を自分だけに注ぐのは情緒的不安定になり心が枯渇することになる。

愛を他人に注ぐということが『色欲衝動の精華』である。

このことが攻撃を和らげ、物事を成就させることへと静かに流れゆくことになるのでる。




イエス、死と復活を予告する

弟子たちに言われた、わたしについて来たいと思う者は、

自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。

たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、なんの得があろうか。


                            マタイによる福音書  16-24~26








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