11月13日、フランスでは『フランソワ・フィヨン』首相が、内閣総辞職を行った。
翌日14日、ニコラ・サルコジー大統領は、フランソワ・フィヨン氏を『後継首相』に指名した。
つまり、一般的な『内閣改造』では無く、首相が大統領に辞表を提出し、大統領は、辞任した首相を再任した訳である。
どう違うかって?
違うのですよ、これが。
フランスの政治体制は、目下『第五共和制』と呼ばれている。
先ず『第一共和制』は、フランス大革命により、国民の手で「王制を廃し」共和制に移行した状態を指す。
ナポレオンに依る「帝政移行」までの期間をさす。
1789年~1804年。
『第二共和制』は、ナポレオンによる帝政、ナポレオン失脚に伴う「王政復古」、更に「七月革命」、「七月王制」を経て、三度目の革命である『二月革命』により樹立された。
ナポレオンの甥「ルイ・ナポレオン」に依るクーデターで倒れ『第二帝政』開始まで。
1847年~1852年。
『第三共和制』は、1870年『仏普戦争』の中で樹立される。
第二次大戦「ナチに依るフランス占領」までの時期である。
1981年~1940年。
ちなみに、1971年「全ての私有財産を否定」する<原始共産制>を夢見た『パリ・コミューン』と言う最後の革命が起きるが、亡命した第三共和制下の大統領ティエールが、敵国プロシアの軍隊を借りて帰仏し、パリ・コミューンに連なるパリ市民を虐殺し、この政権は75日間しか続かなかった。
この「最後の革命」の賛同者の呼称が『コミュニスト』である。
そこから「共産主義(者)」と言う言葉が派生する。
その「パリ・コミューン」の文化大臣に任命されたのが、自然主義の画家クールベであった。
そして、ナチに対する抵抗運動を指揮した『ド・ゴール将軍』が戦後大統領に選出された際、『共和国憲法』を改正して、大統領権限を強化した形が、『第五共和制』である。
それまでの四度の共和制下で、夫々憲法に示す大統領権限は異なり、統治システムも異なっていた。
この『ドゴール』の定めた制度が、今日まで続いている。
さて。
フランスの大統領と言う職制は、『国家元首』であり、そこから導かれる権利として「三軍の長」である。
その大統領の指名した人物が、国会の議決に依る承認を経て「首相」に就任し、内閣を組閣する。
ただ、フランスの場合、<大統領>は、単なる飾りの「国家元首」では無く、国政の頂点にある。
従って、文字通りの『強権』を与えられている。
国民議会を解散する権限。
(これに対し、国民議会も内閣不信任決議権を持つ)
大統領は、国家反逆罪を除き、議会から弾劾裁判は行われない権限。
(シラク前大統領も、現職中及び退任後1ヶ月は、パリ市長時代の汚職疑惑による訴追から保護されていた。)
議会を飛び越して法律案や条約批准案、憲法改正案を直接国民投票にかける権限。
非常大権(第五共和政憲法第十六条)を行使する権限。
この権限が行使されている間、国民議会は開かれるが、憲法改正は制限される。
つまり、大方の事は、一人で「全てやろうと思えばやれる」だけの権力を有するのである。
そこで、首相との関係性が曖昧になって来る。
フランソワ・ミッテランは、夫々に補完しあいながら、協力して内政財政外交ともに行っていた。
最終決定権を大統領がもつ。
ジャック・シラクは、「大統領は外交」で「首相が内政」と役割分担を明確にしていた。
そして現職「ニコラ・サルコジー」の登場で、全てが変わってしまった。
何しろ、跳ねっ返りの猪突猛進型の権力好き。
従って、何もかも「全て自分が決める」しか、あり得ない。
そうなると、首相とは単なる「大統領の番頭」に過ぎなくなってしまう訳だ。
サルコジーが「フランソワ・フィヨン」を首相に指名した際、皆が戸惑った物であった。
「フィヨンって誰だっけ?」
一応は、国立政治科学研究所でのドクターをもつ、27才にして最年少国民議会議員となった、超エリートである。
政経研という超難関高等教育機関での学歴以前には「パリ第一大学(ルネ・デカルト大学)大学院法学過程でドクターを取って居り、政治科学のエキスパートである。
1981年初当選以来再選を重ね、1993年からは各省大臣を歴任して来た。
2003年以後「上院議員」に転出。
然う然うたる、華麗な政治履歴をもつとは言え、首相に抜擢されるまでは「非常に地味な」政治家で、何処に居るのか良く判らない、ような面も有った。
しかも、2003年から翌4年にかけて、既に「年金改革法」を提出し、ズランス全国をゼネストに巻き込んだ『フィヨン法』の当事者であり、さらには2004年から5年にかけては『高等学校終了資格制度改正案』を提出し、全国の高校生、父兄、教師達に依る「大規模反対デモ」を繰り返された挙げ句に、法案を一部削除して歩み寄りをせざるを得なかった、経歴をもつ。
サルコジー大統領の当選に伴い、並みいる「派閥のボス」達をさておいての首相指名に、誰もが驚いたのであった。
彼は、サルコジーの大統領選の「選挙参謀」を務めた事の、『論功行賞』だ、と散々陰口を叩かれたりした物である。
全ての発議、裁量、決定を一人でやりたがるサルコの元で、フィヨン首相の影は薄く、全く目立たない影の様な存在、と言われて来た。
しかし考えてみると、つい先日までフランス中をゼネストの渦に巻き込んで来た『年金改正法」』は、既にフィヨンに取っては、「かって知ったる」分野であった訳だ。
大衆の生活を犠牲にする政治姿勢(にてますねえ小泉某以下の歴代首相達に)と、年金改悪法案やら何やら、「上品さを欠く」プライヴェート生活の姿勢と相まって、大統領の支持率低下は避けられないところまで来てしまっている。
その挙げ句に、年金改悪法案がやっと成立。
しかし、労組は未だ「抵抗をやめる」とは宣言していない有様で、先行きがかなり不透明である。
与党内の「次の大統領候補」が、現職でありながらとうとう「二番手」に落ちてしまう有様。
そこへ持って来ての、内閣総辞職。
サルコは「首相の辞表」を受け取った日の夕刻、既にフィヨン氏を大統領府に呼んで会談した。
もう一人、「次期首相候補」と取りざたされていた人物とも、一応会談をもった物の、フィヨンと1時間半であったのに対し、こちらは30分ほど。
マスコミ各社は、『フィヨン第二次内閣』を最初から取りざたす有様であった。
一夜明けて、フィヨン氏は「首相就任を承諾」する。
これが、一般の「大統領に依る内閣改造」とどう違うのか。
普通大統領が、政府の支持率の低下や、政局の困難等を斬り抜ける為、改造を打ち出し、「首相に辞表の提出」を求める。
その後、首相変わる変わらないはさておき、新内閣が組閣される。
今回の事例は、「首相の方から」自らの重みを確認する為に、辞任してみせた。
通常「首相が大統領へ」辞表を出すときは、二通りのケースが一般的である。
馘になる時(大統領の失点のトカゲの尻尾)。
大統領への信頼を無くした時、つまり<反乱>。
今回は、そのいずれとも違う。
就任直後、存在感が薄かったフィヨン氏も、3年半の時を経て、実は「サルコジー政権に欠かせない」存在になっていたのだ。
国民は、トップ・ダウンで何でも決める現大統領の下での「首相の座」の難しさを、理解していた。
そして、隠れていた彼の実力を正しく評価し始めていたのである。
曰く。
『フィヨンは、サルコジーの「協力者」に過ぎなかった。
ところが、<大統領への忠誠度>に加えて、
<独自性>を確り打ち出し、
その上「アマチュア・レーサー」としてモーター・スポーツへの趣味が、国民に<親近感>を与えて、
「協力者』の立場から、『避けて通れない』存在へと、変わった。』
このような、マスコミに依る彼への評価は、概ね正しい。
現在のフランスに有って、政権を維持して行く事は、大変に難しいと、マスコミでも認識されている。
「財政を健全化」しなければならない。
「雇用を確保」しなければならない。
「大企業の国際競争力」を高めなければならない。
そして何より。
「社会保障制度の大赤字」を解消する方向性を示さなければならない。
これら、かなり相互矛盾する側面を持つ対策が「急務である」以上、並の政治家では持たない、と言うのが大方の見方である。
既に、現大統領は「フィヨン首相」抜きでは、政権の維持が難しくなっている、とすら分析されている。
「両者の会見は、非常に和やかに行われた」という報道通り、翌日には「続投」が確認され、しかもフィヨン氏の存在感は大いに高まったのであった。
サルコジーは当選の際、「左派からの不人気」対策として、外相、財務相その他重要閣僚の幾つかを、敵対する『社会党』議員の重鎮から抜擢する、というウルトラCをやってのけてみせた。
その事に依って、新大統領の「度量の広さ」と「政策実行の為」には党派の対立等には拘らない、姿勢を見せつけた。
しかし、今回の内閣の改造により、国民から大反対された数々の政策の実行に伴う混乱を、「よりスムーズに乗り切るため」に、左派の閣僚は更迭される事になる。
つまり、首相としては、「使いずらかった左派の大物」を閣内から淘汰出来る事になったわけである。
自分の存在感を示す、と同時に、働きやすい環境をも手に入れる。
フィヨンの、今回の「計算された総辞職」に打って出たという行動力が、批判されるどころか、多いに評価されている。
今夜半にも「新内閣の閣僚」が決まるらしいが、ここはフィヨン氏の全面勝利である。
と同時に、サルコジー大統領も、身軽になる事が出来る上、国民の過半数を敵に回してしまっている現状を打破すべく、支持率の回復にめどが立つのかもしれない。
双方、共に老獪な事であった。
方や、我が祖国ニッポンはと言えば、「混乱」しか存在しないかの如き有様。
その中から、何とも情けないニュースが目に飛び込んで来た。
▶「政治主導なんてうかつなこと言った…」枝野氏(読売見出し)
>民主党の枝野幸男幹事長代理は14日、さいたま市内で講演し、菅内閣の支持率急落に対し、「おわび申し上げたい。政権が国民の意識、感覚とずれていると思われる部分が多々ある。かなり深刻な状況だ」と述べ、危機感をあらわにした。
>その上で、枝野氏は民主党政権の掲げた「政治主導」が機能していないとの批判に関連し、「与党がこんなに忙しいと思わなかった。政治主導なんてうかつなことを言ったから大変なことになった。何より欲しいのは、ゆっくり考える時間と、ゆっくり相談する時間だ」と釈明した。
【読売新聞/11月14日(日)19時38分配信】
正に「おいおい」である。
「政治主導」が機能していないのには、理由は二つしか無い。
一つ目は、そもそも「やる気が無かった」事。
二つ目は、加えて「やれる能力が無かった」事。
「政治主導」をやる気が無い事は、仙谷菅前原蓮舫野田たちを見ていれば、一目瞭然。
全てにおいて、官僚の下書きに沿って動いている事は、明々白々。
やる気が有れば、「国家戦略室」の規模縮小や、次官会議の復活等を、やる筈が無い。
やる能力が無い事も、彼等を見ていれば、一目瞭然。
全てにおいて、官僚が造った路線でしか動け無い事が、明々白々。
判断力も、分析力も、実行力もない。
その為に、自ら散々なトラブルを引き起こし、その度に「打つ手を間違えて」は、更なるド壷にはまっている。
何なんだろうなあ~!?
今更そんな事を言われなくとも、真面目に仕事に取り組めば、政治家が忙しい事等「当たり前」。
その上で、「自己増殖を続けるアメーバ霞ヶ関」を押さえ込み、かつ彼等の手助け無しでリーダー・シップを発揮する為には、その気になって全力投球しなければ不可能であろう事など、我々素人にでも分かる事。
枝野某を始めとして、小沢氏を追い出した連中が、「国民に付託された仕事」をいかに甘く見ていたか、を余すところ無く露呈してしまった、情けない一言であった。
まあ、その事に気がついても居ないらしい、他の奴らよりは、それでもまだ良しとせにゃならんのか。
▶日中首脳会談「基本的立場を明確に伝えた」(産経見出し)
【菅首相会見詳報/11月14日(日)17時43分配信】
「現行をちゃんと読みました」
って事ですね。
しかも引っかかりながら、噛みながら。
情けねえぇ。
▶「一兵卒」の小沢氏が動き出した 復権の秘策は?(産経見出し)
>鳴りを潜めていた民主党の小沢一郎元代表が、「ポスト菅」の政局をにらんでそろりと動き出した。10日、京都市内で行われた鳩山由紀夫前首相と稲盛和夫京セラ名誉会長との極秘会談。ときあたかも、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像流出事件で、上を下への大騒ぎとなっている最中だっただけに、政界では、どんなやり取りが交わされたのかと、疑心暗鬼が広がっている。
「広がってる」なんて客観的分析を装うな。
君たちゴミが「疑心暗鬼」に陥っているのでしょうが。
>「菅政権はもう持たないよ。『ポスト菅』の号砲が鳴ったとき、直ちに戦闘態勢がとれるよう、今から準備しておくということだ。これからもちょくちょくやるだろう」
至極当然の姿勢であります。
与党政治家として、政権に危機が訪れようとしている時、しっかりと対策をとって、身辺を固めておくのは常識。
小沢氏がやる事は、一挙手一投足、全てが「疑心暗鬼」の的らしい。
すねに傷など、持ちたく無い物だ。
「すすきの影に敵の影を見、鴨の飛び立つ羽音に敵襲を見て怯える」
>小沢氏周辺は、岡田氏の足元を見透かしている。
>「岡田氏は強硬手段をとれないだろう。もしやれば、20人だが50人だかが小沢氏に同調して離党する。少なくとも政務三役は全員引き上げだ。幹事長の責任問題になるし、落ち目の菅政権にはこのうえない打撃となる」
その通りです。
当たり前。
いかにもクーデターの準備見たいに言わなくとも、まともに政治家としての準備を怠りなくやっているのであります。
>9月の代表選で敗れ「一兵卒」宣言をした小沢氏だが、復権に向けた策に思いを巡らしているに違いない。「純化路線」で政界再編を仕掛けるのか、それとも、首相退陣をじっと待って、「ポスト菅」に名乗りを上げるのか。
多いに悩め!
多いに恐れよ!
神をも恐れぬ「マスコミ」の所行は、決して国民は見過ごしにはしない。
>ただし、当然のことながら「政治とカネ」の問題を脇に置いたまま表立った活動をすれば、批判の矢面に立たされることを覚悟してもらわなければならない。
【産經新聞/11月14日(日)23時16分配信】
おうおう。
何とまあ、下品な事。
さすがに「好きな様にはさせませんぜ」の産経さま。
お里が知れますね。
そんな中、判断力がないと思っていた「国民」の中にも、少しは「何が正しいか。何が正しく無いか。」が分かる人々も出て来た、という少し安心する小さなニュースも有った。
▶住民投票で会館建設反対が多数、市長中止を表明(読売見出し)
>長野県佐久市の総合文化会館建設の是非を問う住民投票が14日投開票され、反対3万1051票、賛成1万2638票で反対票が大きく上回った。
>市は2009年1月に用地を取得したが、同4月に初当選した柳田市長が「慎重に検討する」と住民投票の実施を表明。今年9月に条例案が市議会で可決された。
>建設賛成派の市民団体は「文化の拠点として建設すべき」と主張し、反対派団体は「財政状況が悪い中で、建設すべきではない」と訴えていた。
【読売新聞/11月14日(日)23時59分配信】
この市長や良し。
この市民の判断も、また健全であります。
ハコ造るのが政治だ等と思うな。
ハコ造れば文化振興だと思うな。
それにしても、マエハラ某が「次期総理」候補として急浮上中。
世論調査の造られた不正確さはわかっていても、その上で、やはり「そう答える人達」が、それなりの数が居る訳なのだろう。
思考力停止状態の国民が、日本を沈没させる政治家を支持する。
見た目。
口先。
『シンジロウ』と『セイジ』の戦いか。
そんな投票動向を持つ層は、ホストクラブにでも言って、餓えをいやして来なさい。
投票用紙を受け取るな。
それにしても、えだのサン。
気がついたからには、「小沢の言う事は無茶苦茶だった」と考えるか、「小沢でなければ出来ない」と考えるか。
ここに、君の価値がかかっている。
さあ、どうする?
そこまで言われて悔しかったら、『幹事長代理』の辞表を仙谷に出して見せなさい。
それが出来たら、君は本物の政治家になれるであろう。
無理だろナ。
翌日14日、ニコラ・サルコジー大統領は、フランソワ・フィヨン氏を『後継首相』に指名した。
つまり、一般的な『内閣改造』では無く、首相が大統領に辞表を提出し、大統領は、辞任した首相を再任した訳である。
どう違うかって?
違うのですよ、これが。
フランスの政治体制は、目下『第五共和制』と呼ばれている。
先ず『第一共和制』は、フランス大革命により、国民の手で「王制を廃し」共和制に移行した状態を指す。
ナポレオンに依る「帝政移行」までの期間をさす。
1789年~1804年。
『第二共和制』は、ナポレオンによる帝政、ナポレオン失脚に伴う「王政復古」、更に「七月革命」、「七月王制」を経て、三度目の革命である『二月革命』により樹立された。
ナポレオンの甥「ルイ・ナポレオン」に依るクーデターで倒れ『第二帝政』開始まで。
1847年~1852年。
『第三共和制』は、1870年『仏普戦争』の中で樹立される。
第二次大戦「ナチに依るフランス占領」までの時期である。
1981年~1940年。
ちなみに、1971年「全ての私有財産を否定」する<原始共産制>を夢見た『パリ・コミューン』と言う最後の革命が起きるが、亡命した第三共和制下の大統領ティエールが、敵国プロシアの軍隊を借りて帰仏し、パリ・コミューンに連なるパリ市民を虐殺し、この政権は75日間しか続かなかった。
この「最後の革命」の賛同者の呼称が『コミュニスト』である。
そこから「共産主義(者)」と言う言葉が派生する。
その「パリ・コミューン」の文化大臣に任命されたのが、自然主義の画家クールベであった。
そして、ナチに対する抵抗運動を指揮した『ド・ゴール将軍』が戦後大統領に選出された際、『共和国憲法』を改正して、大統領権限を強化した形が、『第五共和制』である。
それまでの四度の共和制下で、夫々憲法に示す大統領権限は異なり、統治システムも異なっていた。
この『ドゴール』の定めた制度が、今日まで続いている。
さて。
フランスの大統領と言う職制は、『国家元首』であり、そこから導かれる権利として「三軍の長」である。
その大統領の指名した人物が、国会の議決に依る承認を経て「首相」に就任し、内閣を組閣する。
ただ、フランスの場合、<大統領>は、単なる飾りの「国家元首」では無く、国政の頂点にある。
従って、文字通りの『強権』を与えられている。
国民議会を解散する権限。
(これに対し、国民議会も内閣不信任決議権を持つ)
大統領は、国家反逆罪を除き、議会から弾劾裁判は行われない権限。
(シラク前大統領も、現職中及び退任後1ヶ月は、パリ市長時代の汚職疑惑による訴追から保護されていた。)
議会を飛び越して法律案や条約批准案、憲法改正案を直接国民投票にかける権限。
非常大権(第五共和政憲法第十六条)を行使する権限。
この権限が行使されている間、国民議会は開かれるが、憲法改正は制限される。
つまり、大方の事は、一人で「全てやろうと思えばやれる」だけの権力を有するのである。
そこで、首相との関係性が曖昧になって来る。
フランソワ・ミッテランは、夫々に補完しあいながら、協力して内政財政外交ともに行っていた。
最終決定権を大統領がもつ。
ジャック・シラクは、「大統領は外交」で「首相が内政」と役割分担を明確にしていた。
そして現職「ニコラ・サルコジー」の登場で、全てが変わってしまった。
何しろ、跳ねっ返りの猪突猛進型の権力好き。
従って、何もかも「全て自分が決める」しか、あり得ない。
そうなると、首相とは単なる「大統領の番頭」に過ぎなくなってしまう訳だ。
サルコジーが「フランソワ・フィヨン」を首相に指名した際、皆が戸惑った物であった。
「フィヨンって誰だっけ?」
一応は、国立政治科学研究所でのドクターをもつ、27才にして最年少国民議会議員となった、超エリートである。
政経研という超難関高等教育機関での学歴以前には「パリ第一大学(ルネ・デカルト大学)大学院法学過程でドクターを取って居り、政治科学のエキスパートである。
1981年初当選以来再選を重ね、1993年からは各省大臣を歴任して来た。
2003年以後「上院議員」に転出。
然う然うたる、華麗な政治履歴をもつとは言え、首相に抜擢されるまでは「非常に地味な」政治家で、何処に居るのか良く判らない、ような面も有った。
しかも、2003年から翌4年にかけて、既に「年金改革法」を提出し、ズランス全国をゼネストに巻き込んだ『フィヨン法』の当事者であり、さらには2004年から5年にかけては『高等学校終了資格制度改正案』を提出し、全国の高校生、父兄、教師達に依る「大規模反対デモ」を繰り返された挙げ句に、法案を一部削除して歩み寄りをせざるを得なかった、経歴をもつ。
サルコジー大統領の当選に伴い、並みいる「派閥のボス」達をさておいての首相指名に、誰もが驚いたのであった。
彼は、サルコジーの大統領選の「選挙参謀」を務めた事の、『論功行賞』だ、と散々陰口を叩かれたりした物である。
全ての発議、裁量、決定を一人でやりたがるサルコの元で、フィヨン首相の影は薄く、全く目立たない影の様な存在、と言われて来た。
しかし考えてみると、つい先日までフランス中をゼネストの渦に巻き込んで来た『年金改正法」』は、既にフィヨンに取っては、「かって知ったる」分野であった訳だ。
大衆の生活を犠牲にする政治姿勢(にてますねえ小泉某以下の歴代首相達に)と、年金改悪法案やら何やら、「上品さを欠く」プライヴェート生活の姿勢と相まって、大統領の支持率低下は避けられないところまで来てしまっている。
その挙げ句に、年金改悪法案がやっと成立。
しかし、労組は未だ「抵抗をやめる」とは宣言していない有様で、先行きがかなり不透明である。
与党内の「次の大統領候補」が、現職でありながらとうとう「二番手」に落ちてしまう有様。
そこへ持って来ての、内閣総辞職。
サルコは「首相の辞表」を受け取った日の夕刻、既にフィヨン氏を大統領府に呼んで会談した。
もう一人、「次期首相候補」と取りざたされていた人物とも、一応会談をもった物の、フィヨンと1時間半であったのに対し、こちらは30分ほど。
マスコミ各社は、『フィヨン第二次内閣』を最初から取りざたす有様であった。
一夜明けて、フィヨン氏は「首相就任を承諾」する。
これが、一般の「大統領に依る内閣改造」とどう違うのか。
普通大統領が、政府の支持率の低下や、政局の困難等を斬り抜ける為、改造を打ち出し、「首相に辞表の提出」を求める。
その後、首相変わる変わらないはさておき、新内閣が組閣される。
今回の事例は、「首相の方から」自らの重みを確認する為に、辞任してみせた。
通常「首相が大統領へ」辞表を出すときは、二通りのケースが一般的である。
馘になる時(大統領の失点のトカゲの尻尾)。
大統領への信頼を無くした時、つまり<反乱>。
今回は、そのいずれとも違う。
就任直後、存在感が薄かったフィヨン氏も、3年半の時を経て、実は「サルコジー政権に欠かせない」存在になっていたのだ。
国民は、トップ・ダウンで何でも決める現大統領の下での「首相の座」の難しさを、理解していた。
そして、隠れていた彼の実力を正しく評価し始めていたのである。
曰く。
『フィヨンは、サルコジーの「協力者」に過ぎなかった。
ところが、<大統領への忠誠度>に加えて、
<独自性>を確り打ち出し、
その上「アマチュア・レーサー」としてモーター・スポーツへの趣味が、国民に<親近感>を与えて、
「協力者』の立場から、『避けて通れない』存在へと、変わった。』
このような、マスコミに依る彼への評価は、概ね正しい。
現在のフランスに有って、政権を維持して行く事は、大変に難しいと、マスコミでも認識されている。
「財政を健全化」しなければならない。
「雇用を確保」しなければならない。
「大企業の国際競争力」を高めなければならない。
そして何より。
「社会保障制度の大赤字」を解消する方向性を示さなければならない。
これら、かなり相互矛盾する側面を持つ対策が「急務である」以上、並の政治家では持たない、と言うのが大方の見方である。
既に、現大統領は「フィヨン首相」抜きでは、政権の維持が難しくなっている、とすら分析されている。
「両者の会見は、非常に和やかに行われた」という報道通り、翌日には「続投」が確認され、しかもフィヨン氏の存在感は大いに高まったのであった。
サルコジーは当選の際、「左派からの不人気」対策として、外相、財務相その他重要閣僚の幾つかを、敵対する『社会党』議員の重鎮から抜擢する、というウルトラCをやってのけてみせた。
その事に依って、新大統領の「度量の広さ」と「政策実行の為」には党派の対立等には拘らない、姿勢を見せつけた。
しかし、今回の内閣の改造により、国民から大反対された数々の政策の実行に伴う混乱を、「よりスムーズに乗り切るため」に、左派の閣僚は更迭される事になる。
つまり、首相としては、「使いずらかった左派の大物」を閣内から淘汰出来る事になったわけである。
自分の存在感を示す、と同時に、働きやすい環境をも手に入れる。
フィヨンの、今回の「計算された総辞職」に打って出たという行動力が、批判されるどころか、多いに評価されている。
今夜半にも「新内閣の閣僚」が決まるらしいが、ここはフィヨン氏の全面勝利である。
と同時に、サルコジー大統領も、身軽になる事が出来る上、国民の過半数を敵に回してしまっている現状を打破すべく、支持率の回復にめどが立つのかもしれない。
双方、共に老獪な事であった。
方や、我が祖国ニッポンはと言えば、「混乱」しか存在しないかの如き有様。
その中から、何とも情けないニュースが目に飛び込んで来た。
▶「政治主導なんてうかつなこと言った…」枝野氏(読売見出し)
>民主党の枝野幸男幹事長代理は14日、さいたま市内で講演し、菅内閣の支持率急落に対し、「おわび申し上げたい。政権が国民の意識、感覚とずれていると思われる部分が多々ある。かなり深刻な状況だ」と述べ、危機感をあらわにした。
>その上で、枝野氏は民主党政権の掲げた「政治主導」が機能していないとの批判に関連し、「与党がこんなに忙しいと思わなかった。政治主導なんてうかつなことを言ったから大変なことになった。何より欲しいのは、ゆっくり考える時間と、ゆっくり相談する時間だ」と釈明した。
【読売新聞/11月14日(日)19時38分配信】
正に「おいおい」である。
「政治主導」が機能していないのには、理由は二つしか無い。
一つ目は、そもそも「やる気が無かった」事。
二つ目は、加えて「やれる能力が無かった」事。
「政治主導」をやる気が無い事は、仙谷菅前原蓮舫野田たちを見ていれば、一目瞭然。
全てにおいて、官僚の下書きに沿って動いている事は、明々白々。
やる気が有れば、「国家戦略室」の規模縮小や、次官会議の復活等を、やる筈が無い。
やる能力が無い事も、彼等を見ていれば、一目瞭然。
全てにおいて、官僚が造った路線でしか動け無い事が、明々白々。
判断力も、分析力も、実行力もない。
その為に、自ら散々なトラブルを引き起こし、その度に「打つ手を間違えて」は、更なるド壷にはまっている。
何なんだろうなあ~!?
今更そんな事を言われなくとも、真面目に仕事に取り組めば、政治家が忙しい事等「当たり前」。
その上で、「自己増殖を続けるアメーバ霞ヶ関」を押さえ込み、かつ彼等の手助け無しでリーダー・シップを発揮する為には、その気になって全力投球しなければ不可能であろう事など、我々素人にでも分かる事。
枝野某を始めとして、小沢氏を追い出した連中が、「国民に付託された仕事」をいかに甘く見ていたか、を余すところ無く露呈してしまった、情けない一言であった。
まあ、その事に気がついても居ないらしい、他の奴らよりは、それでもまだ良しとせにゃならんのか。
▶日中首脳会談「基本的立場を明確に伝えた」(産経見出し)
【菅首相会見詳報/11月14日(日)17時43分配信】
「現行をちゃんと読みました」
って事ですね。
しかも引っかかりながら、噛みながら。
情けねえぇ。
▶「一兵卒」の小沢氏が動き出した 復権の秘策は?(産経見出し)
>鳴りを潜めていた民主党の小沢一郎元代表が、「ポスト菅」の政局をにらんでそろりと動き出した。10日、京都市内で行われた鳩山由紀夫前首相と稲盛和夫京セラ名誉会長との極秘会談。ときあたかも、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像流出事件で、上を下への大騒ぎとなっている最中だっただけに、政界では、どんなやり取りが交わされたのかと、疑心暗鬼が広がっている。
「広がってる」なんて客観的分析を装うな。
君たちゴミが「疑心暗鬼」に陥っているのでしょうが。
>「菅政権はもう持たないよ。『ポスト菅』の号砲が鳴ったとき、直ちに戦闘態勢がとれるよう、今から準備しておくということだ。これからもちょくちょくやるだろう」
至極当然の姿勢であります。
与党政治家として、政権に危機が訪れようとしている時、しっかりと対策をとって、身辺を固めておくのは常識。
小沢氏がやる事は、一挙手一投足、全てが「疑心暗鬼」の的らしい。
すねに傷など、持ちたく無い物だ。
「すすきの影に敵の影を見、鴨の飛び立つ羽音に敵襲を見て怯える」
>小沢氏周辺は、岡田氏の足元を見透かしている。
>「岡田氏は強硬手段をとれないだろう。もしやれば、20人だが50人だかが小沢氏に同調して離党する。少なくとも政務三役は全員引き上げだ。幹事長の責任問題になるし、落ち目の菅政権にはこのうえない打撃となる」
その通りです。
当たり前。
いかにもクーデターの準備見たいに言わなくとも、まともに政治家としての準備を怠りなくやっているのであります。
>9月の代表選で敗れ「一兵卒」宣言をした小沢氏だが、復権に向けた策に思いを巡らしているに違いない。「純化路線」で政界再編を仕掛けるのか、それとも、首相退陣をじっと待って、「ポスト菅」に名乗りを上げるのか。
多いに悩め!
多いに恐れよ!
神をも恐れぬ「マスコミ」の所行は、決して国民は見過ごしにはしない。
>ただし、当然のことながら「政治とカネ」の問題を脇に置いたまま表立った活動をすれば、批判の矢面に立たされることを覚悟してもらわなければならない。
【産經新聞/11月14日(日)23時16分配信】
おうおう。
何とまあ、下品な事。
さすがに「好きな様にはさせませんぜ」の産経さま。
お里が知れますね。
そんな中、判断力がないと思っていた「国民」の中にも、少しは「何が正しいか。何が正しく無いか。」が分かる人々も出て来た、という少し安心する小さなニュースも有った。
▶住民投票で会館建設反対が多数、市長中止を表明(読売見出し)
>長野県佐久市の総合文化会館建設の是非を問う住民投票が14日投開票され、反対3万1051票、賛成1万2638票で反対票が大きく上回った。
>市は2009年1月に用地を取得したが、同4月に初当選した柳田市長が「慎重に検討する」と住民投票の実施を表明。今年9月に条例案が市議会で可決された。
>建設賛成派の市民団体は「文化の拠点として建設すべき」と主張し、反対派団体は「財政状況が悪い中で、建設すべきではない」と訴えていた。
【読売新聞/11月14日(日)23時59分配信】
この市長や良し。
この市民の判断も、また健全であります。
ハコ造るのが政治だ等と思うな。
ハコ造れば文化振興だと思うな。
それにしても、マエハラ某が「次期総理」候補として急浮上中。
世論調査の造られた不正確さはわかっていても、その上で、やはり「そう答える人達」が、それなりの数が居る訳なのだろう。
思考力停止状態の国民が、日本を沈没させる政治家を支持する。
見た目。
口先。
『シンジロウ』と『セイジ』の戦いか。
そんな投票動向を持つ層は、ホストクラブにでも言って、餓えをいやして来なさい。
投票用紙を受け取るな。
それにしても、えだのサン。
気がついたからには、「小沢の言う事は無茶苦茶だった」と考えるか、「小沢でなければ出来ない」と考えるか。
ここに、君の価値がかかっている。
さあ、どうする?
そこまで言われて悔しかったら、『幹事長代理』の辞表を仙谷に出して見せなさい。
それが出来たら、君は本物の政治家になれるであろう。
無理だろナ。
こちらのイスラム圏は今犠牲祭のため今週末までお休みです。
たくさんの羊がそこここで首を切られます。
私は菜食主義者ではないので何もいえませんが
あの泣き声がいつまでも耳に残ります・・・。
さて、フランスの政治の事は私は何も分かりませんが、フィヨン氏の一か八かの大博打、吉と出たわけで、本人はきっとホット胸をなでおろしているのでしょうか?
それとも最初からサルコジ氏との出来レースだったのでは?
なんて勘ぐりたくなる位の収まり方、
サルコジもフィヨンも狸ですね。
それにしてもフランスでも>社会保障制度の大赤字<なんですね。
歴史上の「・・たら、・・れば」は
ナンセンスですが、パリコミューンが成功していたら今のフランスってどうだったんだろうって馬鹿な想像をしてしまいました。
フィヨン氏は、確実に存在感を増し、内閣も18ヶ月後の大統領選への地固めとして、社会党と中間派を一掃し、挙党一致内閣を造りました。
やはり政治が丁寧で綿密です。
それに引き換え。。。。。
『パリ・コミューン』は、続かなかったでしょう。
私有財産を一切認めず、全てを共有する発想は、理論としては成り立つ物の、現実には、無理里思います。
人間は、競争心や向上心によって発達出来るのだと思います。
真面目もズルも、有能も無能も、そこで差がつかない社会は、絶対前進しないのでは?