晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

【ちょっと一服】懐かしい名前を見つけた。生臭くもきな臭い話を中断し、アラン・ドロンとの青春の日々を…

2012-04-04 23:49:35 | 四季の風景
▶ドロンさん、不整脈で手術=仏(時事/見出し)

>【パリ時事】往年のスターとして知られるフランスの俳優アラン・ドロンさん(76)が体調不良を訴え、パリ郊外の病院で4日、不整脈の手術を受けた。手術は短時間で終わり、5日には退院できる見通しという。
 ドロンさんは2週間ほど前からめまいや吐き気などを覚えていた。検査したところ不整脈が見つかったという。
【時事通信/4月4日(水)22時50分配信】



いやあ~。

『アラン・ドロン』

この名前を見た途端、時計が逆回りをしてしまった。


花も恥じらう(?)高校二年生。

願を立てた。

「一年間で、映画を百本見る!」


観ましたねえ。

私らの時代は、高校生が一人で映画館に行くなんざ、バレたらエラい事でありました。

ただ、私の通った高校は「生徒をジェントルマンに育てる」事が<校是>であり、生徒を完全に大人扱いしてくれていた。

決して「勧められている」訳では無いが、校則に「喫茶店に行く事禁止」やら「映画館禁止」等どこにも書かれていなかった。

全国殆どが、丸坊主であった時代に、野球部ですら「長髪」で平気だった。

てな訳で、毎週毎週「名画座」に通い詰めたものです。


で。

「名画座」で見た「イスラエル建国秘話」の映画に、若き『ナタリー・ウッド』を見た。

スクリーンにはみ出す超アップの彼女の顔が、3分間くらい映し出されて、何処にも欠点が見えてこない、完璧な美しさだった事に、非常に驚いたものでした。

どんな「美女」でも、顔をアップで見続けると、どこか欠点が見えて来る。

目と目との間隔。
表情の微妙な筋肉の動き。
耳の形。
生え際の線。
息するときの変化。
頬骨の高さ。




その時の「ナタリー・ウッド」は、巨大なアップで何時までもスクリーン上にあって、何も不完全な、アンバランスな、過不足もなく、完璧に美しかった。

後の時代の、あの「ケバさ」など、微塵も感じられなかったのです。


それはさておき。

「地下」の映画館(名画座なんて大体地下です)で観た『地下室のメロディー』には、度肝を抜かれました。


随分後になって分った「カンヌ」の『パーム・ビーチ』なんて変な名前の海岸に絶つ<カジノ>が舞台でした。

『ジャン・ギャバン』なんて名前も知らなかったし、「フィルム・ノワール」なんてジャンルも知らなかった。

しかし、未熟な若者の頭で、傑作だと思いましたね。

ギャバンの「醜さ」は、俳優としてかなりショックだった。

そして、『アラン・ドロン』という役者の、美しかった事。

ストーリー展開も「裏の世界」の内情が興味深かったことや、ドロンがカジノの天井の「エアー・ダクト」を這いずって進入するアクション、緻密に計算された「元大泥棒(ギャバン)」の計画の素晴らしさ、など時の経つのも忘れて魅入ってしまいました。

そして、最後の大ドンデン返し。

虚脱感で、終わった後も席をたてなかった。



それで、『アラン・ドロン』に嵌ってしまいました。

目についた彼の出演作は、片っ端から観た。

大人になってからもずっと。


振り返ってみると、思い出すだけでもざっと…43本!


お嬢さん、お手やわらかに! - Faibles Femmes (1959) *
太陽がいっぱい - Plein soleil (1960)
生きる歓び - Che gioia vivere (1961) *
素晴らしき恋人たち Amours célèbres (1961)
太陽はひとりぼっち - L'Eclisse (1962)
フランス式十戒 Le Diable et les dix commandements (1962)
地下室のメロディー - Mélodie en sous-sol (1963)
山猫 Il Gattopardo (1963)
黒いチューリップ - La Tulipe noire (1964)
危険がいっぱい Les Félins (1964)
黄色いロールス・ロイス - The Yellow Rolls-Royce (1964)
名誉と栄光のためでなく Lost Command (1966)
テキサス Texas Across the River (1966) *
パリは燃えているか - Paris brûle-t-il? (1966)
冒険者たち - Les Aventuriers (1967)
サムライ Le Samouraï (1968)
悪魔のようなあなた Diaboliquement vôtre (1967) *
さらば友よ - Adieu l'ami (1968)
あの胸にもういちど - The Girl on a Motorcycle (1968)
太陽が知っている - La Piscine (1968) *
シシリアン Le Clan des Siciliens (1969)
ボルサリーノ Borsalino (1970)
仁義 - Le Cercle Rouge (1970)
もういちど愛して Doucement les Basses (1971)
レッド・サン - Soleil Rouge (1971)
高校教師 La Prima notte di quiete (1972) *
暗殺者のメロディ The Assassination of Trotsky (1972) *
リスボン特急 - Un flic (1972)
ショック療法 Traitement de choc (1972)
スコルピオ Scorpio (1973)
暗黒街のふたり Deux hommes dans la ville (1973)
個人生活 La Race des 'seigneurs' (1974) *
愛人関係 Les Seins de glace (1974) *
アラン・ドロンのゾロ - Zorro (1975)
フリック・ストーリー - Flic Story (1975)
ル・ジタン - Le Gitan (1975)
パリの灯は遠く - Monsieur Klein (1976) *
ブーメランのように Comme un boomerang (1976)
プレステージ L'Homme pressé (1977)
友よ静かに死ね - Le Gang (1977)
エアポート'80 The Concorde ... Airport '79 (1979) *
危険なささやき Pour la peau d'un flic (1981) *
カサノヴァ最後の恋 Le Retour de Casanova (1992) *

「*」印は、テレビで。


中でも、私の中でベストスリーはと言えば…。

『地下室のメロディー』
『太陽がいっぱい』
『あの胸にもう一度』

番外。

『黒いチューリップ』


あたりでしょうか。

特に『あの胸にもう一度』は、素晴らしい出来だった。

新婚の若い女性が、夫の不在中に、前から続いている不倫相手(ドロン)との逢瀬の帰り道、オートバイで田舎の街道をひた走って、夫が帰宅する前に帰り着こうと疾走して、事故死するまでの、ほんのひとときのストーリー。

真っ暗な街道の、大型バイクに打ち跨がり、整然と続く並木をヘッドライトで照らしながら、木のトンネルの中を疾駆する、黒い皮のオールインワンに身を包む女性の「体の線」の色っぽかった事。

フランスに来て分った、地方の街道の並木道の、バランスの取れた美しい様子。
街灯など無いため、夜は真っ暗。

走るバイクの轟音と振動。

その間に、僅か一時間前まで続いた、フラッシュバックで繰り返し再現される、めくるめく愛の交歓の様子を思い出すシーンが、の激しさ。

まるで、自分が女性になって、愛しい男の体で深海の海底へ連れ込まれ、次の瞬間大空に打ち上げられて太陽に焼かれ、又また大海原を沈んで行く、それの繰り返しのような、尽きぬ快感の嵐を実際に、からでで感じている様な、生々しさ。

次の瞬間、余韻に火照るからだと、意識が現実に戻っていない頭とで、漆黒の闇を切り裂きながらバイクで疾走する心地よさ。

又また甦る、快楽の嵐。

その繰り返し。

時間が遡って、二人の出会い。

数々の逢瀬の情景。

感情の激突と、その後の体の快楽の歴史。

その間の、他の男とのん結婚。

ドロンとの関係を断ち切れない未練。


それが、交互にフラッしバックで疾走シーンに挟み込まれて、突然激突して終わる。

新婚の「夫がプレゼントした」オートバイでの事故。。。


それだけの構成なのですが。

銀幕から受ける視覚的作用が、実際の体感と錯覚させられ、自分の五感が研ぎ澄まされる、一時間半だったのです。


『黒いチューリップ』
『山猫』

これも、もエキゾティックだった。

シチリアという、特殊な風土と歴史。

19世紀、北の勢力「サヴォイア王家」によるイタリア統一の動きの中での、地方貴族の「独立」を守りたい自負と、逆らえない歴史の流れの中での、身の振り方の選択への苦悩。


『黄色いロールスロイス』も面白かった。

能天気なコメディーの中で、黄色く輝く『ロールス・ロイス・シルバー・ゴースト』のかっこよさに目を奪われた。

考えてみると、私がクラッシックカー好きになる、原点で有ったのだろう。


『レッド・サン』

三船の侍の凛々しさ。

アメリカ人の悪漢ガンマン(チャールズ・ブロンソン)を追う、欧州の貴族出身の同僚(ドロン)との不思議な協力関係から生まれる友情。

監督が<007シリーズ>の『テレンス・ヤング』
音楽が<ドクトル・ジバゴ>の『モーリス・ジャール』

スパイ・アクション全盛の時期に、廃り切っていた「西部劇」を、日本の侍を主人公に作る、という途方も無い無茶をやった、プロデューサー『テッド・リッチモンド』に感謝な作品。


『パリは燃えているか』

これは、映画ファンならずとも、ヨーロッパに於ける第二次大戦終盤の、対ナチの社会の様子を正確に伝える必見の佳作。

米仏合作のオールスター大作です。

監督が『ルネ・クレマン』!
共同脚本の片方が『コッポラ』!

出演者が、ドロンの他にも、これ以上無い豪華な布陣。

カーク・ダグラス
グレン・フォード
ゲルト・フレーベ
イヴ・モンタン
ジャン=ポール・ベルモンド
ロバート・スタック

どうだ! てなもんです。

1944年6月6日、「連合国軍」による『ノルマンディー上陸作戦』の後、フランスの抵抗組織「レジスタンス」がパリを解放するまでの秘話。

パリのレジスタンスの重用な部分に「学生レジスタンス」が有りました。

各地のレジスタンス組織と密かに連絡を取りながら、パリ・学生レジスタンスが、「フランス救国臨時政府」を形成して、首相府「マティヨン宮」に向かった時。

ナチの手で接収され、閉鎖されていた「マティニヨン宮」の警備に当たっていた警官が、近づいて来る若者を追い払おうとした時の、彼の台詞。

「こら、ここは立ち入り禁止だ。近づくな。立ち去れ!」(警官)
「マティニヨン宮を受け取りに来ました」(若者)
「しゅ、首相閣下…。」

と、警官は直ちに門を開けて、挙手の礼と共に、恭しく彼を中に導き入れます。

フランスでは、首相が任命されて「首相府」に始めて登庁する時の決まりの台詞が「マティニヨン宮を受け取りに来ました」と言うのです。

このシーンでは、胸がジーンとして目頭が熱くなった。

警官達は、自国がナチに占領されて、占領軍の命令に従わさせられて、自分達の首相府をナチの為に警備していた時、「自分達の抵抗政府」が組織された事を、瞬時に理解したのです。

学生と言えども、自分達の首相、と首相府付き警察官としての栄誉礼で迎えたのです。


最後、ベルリンが陥落しかかっている時、ヒトラーがパリ占領司令官に電話して、パリの爆破命令が実行されているかを、確認するシーン。

「おい! パリは燃えて居るか? パリは燃えているか?」

パリの魅力に捕われていた「占領軍司令官デートリッヒ・フォン・コルティッツ将軍」は、もともとナチでは無い『国防軍』出身でもあり、ヒトラーのパリ破壊命令を無視します。


ドロンは、将来の首相となる、有名な政治家「シャバン=デルマス」の若き姿、レジスタンス軍大佐で登場。



それにしても、1960年代から80年代頃まで、映画スターと言えばアラン・ドロンの右に出る物は居なかった、と言えるくらいの人気でした。

彼が始めて『カンヌ映画祭』で<誰か>の目に留まろうとカンヌに出て来て、ハリウッドのエージェントの目にとまったときの、テレビのニュースに映った彼の「美しさ」は、尋常な物では無かった。

世の中に、こんなに美しい男が居た!

大騒ぎになったのも、むべなるかなでした。


もともと、出生にコンプレックスが有り、人嫌い、特に女性不信になってしまった彼は、ひと際扱いにくいスターでした。

後に彼と口をきく事になろうとは、夢にも思ってもみなかったけれど、会ってみると気難しく、写真もフィルムも、自分で決めているアングル以外一切認めようとしない、そう言う意味で「可能性を狭くして」居たのかもしれません。

しかし、そんな些細な事など超越した、大スターであった事は確かです。

『私に出来る事は俳優と、子供を作る事だけ』

なんて、冗談を言ってました。



彼が尊敬した日本人は、ただ二人。

黒澤明。
三船敏郎。


私にお金があったら、映画から引退を宣言した彼を引きづり出して、『地下室にメロディー、30年後』というのを製作したかった。

「男と女」の『25年後』という作品が作られた様に。


引退していても、黒沢サンが出て来てくれれば、彼は受けた筈。

日本人の「美しい」男の子を、若い頃のドロン役に見立て、功なり名を遂げて隠棲している、政財界の大立て者ドロンがギャバンの位置。

その彼に、有る計画を持ちかける。

勿論、現代に舞台を移す訳だから、「金融取引」かなんかの「ハイジャック」作戦。

コンピューターのハッキングかなんかで。

とぼけてしらを切るギャバンの位置のドロンに、過去の「栄光」を思い出させ、口説き落としてその気にさせる。

彼の作戦立案と指導とを受けて、日本人の若い男性が、突拍子も無い大作戦で「天文学的」金額をかすめ取る。

最後の最後で、予期せぬ手違いで、全部パーになる…。


本当にこんな映画を制作したいと、夢見て居りました。


その内、黒沢先生はお亡くなりになってしまう。

お金のメドは全く絶たない。

で、儚い夢のママで有りました。


私の「青春」は、映画の事だけで言えば『アラン・ドロン』と共に有りました。


付け加えるならば、高二の一年間で、105本の映画を観た事が、自慢です。

若い頃のドロンは、美しかった。

熟年になり、深みが加わって「本物」のいい男、になった。


彼の健康の事が話題になる事等、無かった気がする。

もっと、生きていて欲しい。

私の「思い出したくも無い暗い青春時代」の証人として。。。


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8 コメント

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タイトルなんていらない、タイトル! (Himbeere)
2012-04-05 10:16:44
パリさま、

素敵な話題をありがとうございました。色々な事が思い出されました。^^

『地下室のメロディー』
『太陽がいっぱい』
『あの胸にもう一度』
私も大好きです。「あの胸にもう一度」はマリアンヌ・フェイスフルと・・・、彼女の可愛かった事。

アラン・ドロンは素敵でしたが、ジャン・ピエール・レオを始めてみた時は、余りの美しさに、衝撃的でした!^^;

たまには、こんな話題も素敵ですね!^^
返信する
アラン・ドロン 好きです (fuuta)
2012-04-05 17:52:12
パリ様
私もドロン大好き人間です。
先だって、「若者のすべて」
を映画館で観てきました。
見逃していて、とっても気にしていたので
とんで行きました。
若いドロンの、なんという
美しさ。
ほんとに、見に行ってよかった。
久しぶりに心が洗われた
気持ちでした。
美しいって、いいですねぇ。
 
パリ様もドロンファンとうかがって
うれしくてちょっと元気になりました。
ありがとうございました。
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太陽がいっぱい (おのま@カナダ)
2012-04-06 00:57:53
大学二年生のとき一年下の女性と「太陽がいっぱい」を見て、そのあと彼女を家まで送りました。別れぎわに彼女が言いました。「デートでアランドロンの映画をみてはだめですね」

可愛くない女だと思いました(笑)

あのとき行ったのは日比谷映画館・・・・今はありません
返信する
フランス=ドロン、ドヌーブ (猫大好き母)
2012-04-06 02:26:08
私もあこがれました。ドロンやドヌーブ・・。最近も思い出していました。そういえばドロンやドヌーブってもう亡くなったんだったかなって。 良かった。まだ御健在だったんですね。 私達の青春時代の憧れの映画スターでしたよね。パリ様が見たドロン映画の、半分くらいしか私は見ていないけど・・。 銀幕のスターに心ときめく時代も有ったんだなあ~。パリ様がドロンが好きだったとはちょっと意外でした。でも嬉しい。
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Himbeereさま。 (時々パリ)
2012-04-08 06:19:43
コメントありがとうございました。
肩の力を抜く事が出来て、楽ですね。
この種の話は。
時々、息抜きをしましょう。
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fuuta様。 (時々パリ)
2012-04-08 06:23:32
コメントありがとうございました。
ドロンファンもなにも、世代そのものです。
カンヌに最初に現れた時が、最も美しかったです。
しかし、50代くらいから年と共に渋くなって、余計よくなって行ったかも。
稼いでは手切れ金と慰謝料とで、大変な人生なんでしょうが。
人も、自然も、文化も、美しい方が絶対二いいですね。
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おのま@カナダ様。 (時々パリ)
2012-04-08 06:26:07
お久しぶりです。
コメントありがとうございました。
確かに可愛く無い女ですねえ(苦笑)
男を見る目が無かった…。
その逆のケースは考えていないのでしょうか、その人は。
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猫大好き母さま。 (時々パリ)
2012-04-08 06:30:14
コメントありがとうございました。
ドヌーヴも、健在ですよ!
全欧でも一二のベテラン大女優と自他ともに認める存在です。
たまにサン・ジェルマン・デ・プレの「ヴェトナム料理屋」に現れるらしいですが、残念ながら私はまだ有った事は有りません。
ドロンは、気難しいオッサンですが、面白い所も有ります。
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