引き続いて今週も、ニースから行ける「コート・ダジュール」の、海岸の名勝地をご紹介しよう。
ニースから西へ。
高速より、海岸に沿った旧道をお勧めする。
カンヌから更に30キロ程進むと、燃え立つ様な紅の切り立つ岸壁が紺碧の海との色彩の対比が素晴らしい『コート・デストレル』という海岸を通り抜けて『アゲイ』という町が有る。
アゲイ周辺の「コート・デストレル」の海岸
更に西へ45キロで『サン・ラファエル』
ここも、素敵なリゾートの町である。
『サン・ラファエロ』周辺の海岸線
更に西へ35キロ。
『サント・マキシム』というリゾート・タウンを過ぎて程なく、「キャップ・カマラル」という山がちの岬が海に向かって突き出している。
一般道は当然岬の付け根を通り過ぎて、西進する。
敢えて岬へ入る一本道を取ると、行き止まりにサントロペ岬という小さな出っ張りが有って、『サン・トロペ』の町に至る。
『サン・トロペ』の港
ここは、敢えてこの町に来るのでなければ、あとは岬の先端に至る袋小路の細道と、山越えの悪路が通じているだけなので、知らずに迷い込んでも引き返すハメになる。
つまり「主要交通路」ではない為、1960年代までは忘れられた様な小さな漁村であった。
1890年代に<後期印象派>で『点描主義』を確立する『ポール・シニャック』が滞在して、港を描いた。
シニャック作『サン・トロペの港』
そこに、50年代に入ると「ニース」や「カンヌ」の金満的俗化を嫌い、「サン・ラファエル」や「サント・マキシム」の人ごみを嫌って、学者、映画関係、出版界、放送界、モード界などの<文化人>達が、夏のヴァカンスに集まって来る様になった。
「フランソワーズ・サガン」や「ジャン=ポール・サルトル」等が集う。
特に映画界の立役者達は、映画祭の聖地「カンヌ」から程遠からぬ「未開の地」に魅力を見いだし、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手と謳われた「フランソワ・トリュフォー」「ジャン・リュック・ゴダール」「ロジェ・バディム」やらが入り浸り、制作関係者、俳優等がたむろした。
そして、モード界から、当時16歳の少女がモデルとして一躍注目を浴び、映画界に入る事となった。
ブリジット・バルドーである。
『ブリジット・バルドー』
町は、海に面して極々小さな港が有り、その背後の交錯する細い道を上り坂で上まで登って行くと、要塞の跡が紺碧の海を睥睨している。
丘の頂上の要塞の天守閣
要塞跡の「城山公園」から見下ろすと、サン・トロペの屋根と、サント・マキシム湾を越えて、対岸の『サント・マキシム』の海岸が見晴らせる。
頂上から見下ろす「サン・トロペの被昇天の聖母マリア教会」の鐘楼。
漁師町であった頃の家並は、今も静かに残っている。
独特のパステル・カラーに彩られて海岸と向き合っている。
50年代から変わっていない家並
町の正面の小さな港は、今や世界中の富豪達の豪華クルーザーでひしめき合っている。
正面岸壁
漁港
一度30メートルのクルーザーでこの港に乗り付けた事が有った。
岸壁にはカフェとレストランとが並んでいる
岸壁に港湾管理官の誘導で着岸して、集まって来た鈴なりの観光客の見守る中で下船して、迎えの車に乗り込むのは、何とも気分のいいものでありました。
とにかく、地中海広しと言えども、このサン・トロペ程「豪華クルーザー」の似合う町は有りません。
このサン・トロペで何と言っても忘れてはならないのが、映画『サントロペのお巡りさん』である。
ジャン・ジロー監督。
ルイ・ド・フュネス主演。
ルイ・ド・フュネス
フランス喜劇映画界の大立て者『ルイ・ド・フュネス』は、この「お巡りさん」シリーズの他にも『ファントマス』シリーズその他、多くの名作に名を残している。
いまのサン・トロペのお巡りさん達
この「お巡りさん」は<Gendarme>と言う、陸軍に属する国家警察で、広域捜査や警備、安全保障を行う。
日本では「憲兵隊」と訳される事が有る。
市警は自治体の警察官であり、ジャンダルムは全国警察であります。
ここサン・トロペは、90年代からは観光化してしまって、文化人や芸術家には敬遠されてしまっているが、それでも「業界」の人達や余裕の有る若手のお金持ちが(しか)滞在する。
60年代から、有名人御用達のホテルがある。
『ビブロス』と言う名は、世界中でレストランやクラブに借用されている筈だ。
『オテル・ビブロス』
このホテルはアルプスにも有り、夏は地中海、冬はアルプスで休暇を過ごす「ビブロス族」が多いらしい。
私自身は、このホテルは余り好きでは無い。
やたら「スノッブ」だし、何より海に面してないから。
私自身の一押しホテルは別に有るのです。
サン・トロペの入り口に有るので、町まで10分程歩かなければならないけれど、海の真ん前。
レジダンス・ド・ラ・ピネッド
この「丸い塔」の中も上下それぞれジュニア・スイートになっています
プライヴェート・ビーチ
このホテルのビーチは、直ぐ眼の前で水はあくまで清く青く、砂はあくまで柔らかい。
でもその海を見晴らすプールの方で水浴びをします。
海岸は、あくまで甲羅干しかペダル・ボートでの楽しむだけ。
このホテルのレストランは、昨年まで二つ星だったのですが、遂に今年から三ツ星を格上げされました。
町に面白いレストランを見つけた。
店内は一見ケーキ屋さんの様で、右側にケーキのショーケースが並び、テイクアウトで買って帰れる。
クリストフ・ルロワというシェフは、オリエンタルなテイストを織り交ぜて、無国籍料理でかなりの存在となっている。
この店に面白いデザートが有った。
その名も「サン・トロペのお巡りさん」
そう来たら取らない訳にはいきませんよね。
出て来たら、あのジャンダルムの帽子の形をしたチョコレート・ムースのケーキでした。
「Le Gendarme de Saint-Tropez」というケーキ
このサン・トロペで60年代から70年代に大流行りだった車が有る。
シトロエンが作っていたオープンカーである。
鉄板の「かまぼこ板」を切り抜き線に従って切り抜き、折り線に従って折り曲げ、のりしろに従ってのり付けしただけ、みたいな超手抜きオープンカーなのです。
高級なスポーツカーではなく、若者が自分で買えるオープンカーと言う事で、世俗の高級リゾートを嫌って集まった文化人達が愛用し、瞬く間に若者達に広まって行ったのです。
そして、遥か何十年も前に当然生産画終わったこの車を「レストア」して、未だにヴァカンス族にレンタルしているガレージが有ります!
本物はセンターピラー(中程の柱)も無い、ただの平たい四角い船みたいなボディーだったのですが、さすがに現代はEUの安全基準やら何やらで、今では転倒時に乗員を守る(建前の)ロールバー変わりのリブが付けられています。
そして、このサン・トロペで未だに住んでいる有名人と言えば、誰をさておいても『ベベ』ことブリジット・バルドーを挙げなければなりません。
往年の色香は影をひそめ、すっかり「しわくちゃ」のおばあちゃまになっても、未だに「野生動物愛護」運動で鼻息が洗い、かくしゃくとした現役有名人なのです。
捕鯨を認めず「日本は嫌い」とのたもうたりもしましたが、実際彼女のかy須藤の影響で、今ではフランスで本物の毛皮を切るご夫人は希少種となりました。
世を挙げての<フェイク・ファー>ブームは、勿論本物の毛皮を使わず安価にデザインと雰囲気とを味わう事も理由でしょうが、90年代から知識人階級の間で急速に毛皮離れが起こった事が、広く人々に拡散して動きが出来上がった事も、大きな理由です。
毛皮屋さんが次々と姿を消して行きました。
今や、フランスではミンクやシルバー・フォックスのコートを買うのはロシア人観光客だけ、と言われています。
サン・トロペの海岸でポーズをとるブリジット・バルドー
映画のワン・シーンで「メイク中」のベベ
Vive BéBé!
最後に、ここサン・トロペは私たち日本人にもゆかりの地なのです。
時は時は1615年2月。
建長遣欧使節団を率いた支倉常長は、イスパニア国王フェリーペ3世に
謁見を賜った支倉は、バルセローナを発ってローマに向かう途中嵐に遭遇し、難を避けて寄港したのがサン・トロペだったのです。
フランス人の日本人との最初の接触でした。
ここ「サン・トロペ」は、イタリア国境から92キロしか離れていません。
さて、コート・ダジュールのフォトの旅は、まだまだ続きます。
お楽しみに。
ニースから西へ。
高速より、海岸に沿った旧道をお勧めする。
カンヌから更に30キロ程進むと、燃え立つ様な紅の切り立つ岸壁が紺碧の海との色彩の対比が素晴らしい『コート・デストレル』という海岸を通り抜けて『アゲイ』という町が有る。
アゲイ周辺の「コート・デストレル」の海岸
更に西へ45キロで『サン・ラファエル』
ここも、素敵なリゾートの町である。
『サン・ラファエロ』周辺の海岸線
更に西へ35キロ。
『サント・マキシム』というリゾート・タウンを過ぎて程なく、「キャップ・カマラル」という山がちの岬が海に向かって突き出している。
一般道は当然岬の付け根を通り過ぎて、西進する。
敢えて岬へ入る一本道を取ると、行き止まりにサントロペ岬という小さな出っ張りが有って、『サン・トロペ』の町に至る。
『サン・トロペ』の港
ここは、敢えてこの町に来るのでなければ、あとは岬の先端に至る袋小路の細道と、山越えの悪路が通じているだけなので、知らずに迷い込んでも引き返すハメになる。
つまり「主要交通路」ではない為、1960年代までは忘れられた様な小さな漁村であった。
1890年代に<後期印象派>で『点描主義』を確立する『ポール・シニャック』が滞在して、港を描いた。
シニャック作『サン・トロペの港』
そこに、50年代に入ると「ニース」や「カンヌ」の金満的俗化を嫌い、「サン・ラファエル」や「サント・マキシム」の人ごみを嫌って、学者、映画関係、出版界、放送界、モード界などの<文化人>達が、夏のヴァカンスに集まって来る様になった。
「フランソワーズ・サガン」や「ジャン=ポール・サルトル」等が集う。
特に映画界の立役者達は、映画祭の聖地「カンヌ」から程遠からぬ「未開の地」に魅力を見いだし、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手と謳われた「フランソワ・トリュフォー」「ジャン・リュック・ゴダール」「ロジェ・バディム」やらが入り浸り、制作関係者、俳優等がたむろした。
そして、モード界から、当時16歳の少女がモデルとして一躍注目を浴び、映画界に入る事となった。
ブリジット・バルドーである。
『ブリジット・バルドー』
町は、海に面して極々小さな港が有り、その背後の交錯する細い道を上り坂で上まで登って行くと、要塞の跡が紺碧の海を睥睨している。
丘の頂上の要塞の天守閣
要塞跡の「城山公園」から見下ろすと、サン・トロペの屋根と、サント・マキシム湾を越えて、対岸の『サント・マキシム』の海岸が見晴らせる。
頂上から見下ろす「サン・トロペの被昇天の聖母マリア教会」の鐘楼。
漁師町であった頃の家並は、今も静かに残っている。
独特のパステル・カラーに彩られて海岸と向き合っている。
50年代から変わっていない家並
町の正面の小さな港は、今や世界中の富豪達の豪華クルーザーでひしめき合っている。
正面岸壁
漁港
一度30メートルのクルーザーでこの港に乗り付けた事が有った。
岸壁にはカフェとレストランとが並んでいる
岸壁に港湾管理官の誘導で着岸して、集まって来た鈴なりの観光客の見守る中で下船して、迎えの車に乗り込むのは、何とも気分のいいものでありました。
とにかく、地中海広しと言えども、このサン・トロペ程「豪華クルーザー」の似合う町は有りません。
このサン・トロペで何と言っても忘れてはならないのが、映画『サントロペのお巡りさん』である。
ジャン・ジロー監督。
ルイ・ド・フュネス主演。
ルイ・ド・フュネス
フランス喜劇映画界の大立て者『ルイ・ド・フュネス』は、この「お巡りさん」シリーズの他にも『ファントマス』シリーズその他、多くの名作に名を残している。
いまのサン・トロペのお巡りさん達
この「お巡りさん」は<Gendarme>と言う、陸軍に属する国家警察で、広域捜査や警備、安全保障を行う。
日本では「憲兵隊」と訳される事が有る。
市警は自治体の警察官であり、ジャンダルムは全国警察であります。
ここサン・トロペは、90年代からは観光化してしまって、文化人や芸術家には敬遠されてしまっているが、それでも「業界」の人達や余裕の有る若手のお金持ちが(しか)滞在する。
60年代から、有名人御用達のホテルがある。
『ビブロス』と言う名は、世界中でレストランやクラブに借用されている筈だ。
『オテル・ビブロス』
このホテルはアルプスにも有り、夏は地中海、冬はアルプスで休暇を過ごす「ビブロス族」が多いらしい。
私自身は、このホテルは余り好きでは無い。
やたら「スノッブ」だし、何より海に面してないから。
私自身の一押しホテルは別に有るのです。
サン・トロペの入り口に有るので、町まで10分程歩かなければならないけれど、海の真ん前。
レジダンス・ド・ラ・ピネッド
この「丸い塔」の中も上下それぞれジュニア・スイートになっています
プライヴェート・ビーチ
このホテルのビーチは、直ぐ眼の前で水はあくまで清く青く、砂はあくまで柔らかい。
でもその海を見晴らすプールの方で水浴びをします。
海岸は、あくまで甲羅干しかペダル・ボートでの楽しむだけ。
このホテルのレストランは、昨年まで二つ星だったのですが、遂に今年から三ツ星を格上げされました。
町に面白いレストランを見つけた。
店内は一見ケーキ屋さんの様で、右側にケーキのショーケースが並び、テイクアウトで買って帰れる。
クリストフ・ルロワというシェフは、オリエンタルなテイストを織り交ぜて、無国籍料理でかなりの存在となっている。
この店に面白いデザートが有った。
その名も「サン・トロペのお巡りさん」
そう来たら取らない訳にはいきませんよね。
出て来たら、あのジャンダルムの帽子の形をしたチョコレート・ムースのケーキでした。
「Le Gendarme de Saint-Tropez」というケーキ
このサン・トロペで60年代から70年代に大流行りだった車が有る。
シトロエンが作っていたオープンカーである。
鉄板の「かまぼこ板」を切り抜き線に従って切り抜き、折り線に従って折り曲げ、のりしろに従ってのり付けしただけ、みたいな超手抜きオープンカーなのです。
高級なスポーツカーではなく、若者が自分で買えるオープンカーと言う事で、世俗の高級リゾートを嫌って集まった文化人達が愛用し、瞬く間に若者達に広まって行ったのです。
そして、遥か何十年も前に当然生産画終わったこの車を「レストア」して、未だにヴァカンス族にレンタルしているガレージが有ります!
本物はセンターピラー(中程の柱)も無い、ただの平たい四角い船みたいなボディーだったのですが、さすがに現代はEUの安全基準やら何やらで、今では転倒時に乗員を守る(建前の)ロールバー変わりのリブが付けられています。
そして、このサン・トロペで未だに住んでいる有名人と言えば、誰をさておいても『ベベ』ことブリジット・バルドーを挙げなければなりません。
往年の色香は影をひそめ、すっかり「しわくちゃ」のおばあちゃまになっても、未だに「野生動物愛護」運動で鼻息が洗い、かくしゃくとした現役有名人なのです。
捕鯨を認めず「日本は嫌い」とのたもうたりもしましたが、実際彼女のかy須藤の影響で、今ではフランスで本物の毛皮を切るご夫人は希少種となりました。
世を挙げての<フェイク・ファー>ブームは、勿論本物の毛皮を使わず安価にデザインと雰囲気とを味わう事も理由でしょうが、90年代から知識人階級の間で急速に毛皮離れが起こった事が、広く人々に拡散して動きが出来上がった事も、大きな理由です。
毛皮屋さんが次々と姿を消して行きました。
今や、フランスではミンクやシルバー・フォックスのコートを買うのはロシア人観光客だけ、と言われています。
サン・トロペの海岸でポーズをとるブリジット・バルドー
映画のワン・シーンで「メイク中」のベベ
Vive BéBé!
最後に、ここサン・トロペは私たち日本人にもゆかりの地なのです。
時は時は1615年2月。
建長遣欧使節団を率いた支倉常長は、イスパニア国王フェリーペ3世に
謁見を賜った支倉は、バルセローナを発ってローマに向かう途中嵐に遭遇し、難を避けて寄港したのがサン・トロペだったのです。
フランス人の日本人との最初の接触でした。
ここ「サン・トロペ」は、イタリア国境から92キロしか離れていません。
さて、コート・ダジュールのフォトの旅は、まだまだ続きます。
お楽しみに。