固い玄武岩の国ブルターニュ。
その岩は、太古の時代より、人々の精神の支えであり続けます。
固い岩盤を削り尽くす荒波、浸食されてできた深く細く入り組んだ入り江。
その海を渡ってやって来た人々。
入り江の奥にひっそり住み着き、荒海で漁をして暮らして来た。
海と岩は、ブルターニュの精神なのです。
そこで彼等は、一般の<西欧アカデミズム>の世界史に現れない、不思議な、そして高度の、独自の文明を<岩>とともに築き上げたのです。
『古代巨石文明』が、ブルターニュの一方の<顔>なのです。
●巨石遺跡その1<メンヒル>
何も無い林の中や叢に埋もれる様にして、<柱>の様に巨大な岩が屹立しています。
『メンヒル』と呼ばれますが、最も早い時期(紀元前七千年以前)から出現しています。
この写真は、<ベル・イル島>のまっただ中に、道路沿いの畑の中にポツンと立っています。
●巨石遺跡その2<アリーニュマン>
その<メンヒル>を、延々と一列に並べてたてる事が行われる様になりました。
『アリーニュマン<列柱>』と呼ばれます。
最も名高い物が、『カルナック』の<大列柱群>です。
●巨石遺跡その3<ドルメン>
狭い幅に二列に並べた<メンヒル>の列の上を、平らな巨石で<蓋>をしてしまうと、『ドルメン』と呼ばれます。
この写真は、ブルターニュ最大のドルメン『妖精の岩』と呼ばれている物です。
●巨石遺跡その4<テュミュルス>
その<メンヒル>を、小振りの岩で覆い尽くしてしまう物も出てきます。
『テュミュルス』とよばれます。
これらの<巨石遺物>は、ケルト族以前の先住民族が紀元前七~八千年前から、紀元前二千五百年くらいまでの間に残して行きました。
ブルターニュ最大の<メンヒル>は、南ブルターニュ、ロクマリケール村に残る、四つに割れて倒れている物で、立っていた時の高さ26メートル!!
立っている姿を見たかった!
<アリーニュマン(列柱)>で最も名高い<カルナック>は、同じく南ブルターニュのカルナック村郊外に、お互いにほど近い三カ所のサイトに分かれて、夫々2500~3700本の石柱が、何列かに整然と並んでいます。
まるで<飛行場の滑走路の誘導灯>のようにまっすぐ。。。
かねてより、「祭壇ダ」「イヤイヤ天文学的な何かに違いない」「古代の戦いに破れて戦死した兵士達の墓ダ」「違う違う暦だ」「城跡ではなかろうか」。。。。とかしましく論議の的になってきました。
現在では、<天文歴>と合わさった<宗教施設>で、宗教権威の権力の象徴であろう。。。という説が有力のようですが。。。
そして、<ドルメン>は、小規模な物は高さ1メートル、幅80センチ、長さ2メートルくらいな物から、最大の『妖精の岩』に至るまで、さまざま。
この写真は、カルナックの<列柱群>の一角にあります。
特に<天板>をのせずに、両側の<メンヒル>を斜めにたてて、上で接触させて支えた変形もあります。
これは北ブルターニュですが、保存状態の良い部分は長さ5メートル、高さ1メートルくらいですが、判別できる範囲だけでも数十メートルつながっています。
そのように<長い>ドルメンは、特に<覆われた径>とも呼ばれます。
中をのぞくと、倒れたメンヒルも見られますが、実にきれいな三角形のトンネル状になっているのが分かりますね。
そして、ブルターニュの<巨石文明>の<カルナック列柱群>と並ぶ、もう一方の代表格が、ブルターニュ東のはずれ、南北半ばにある『妖精の岩』。
延々と畑の中の緩やかな起伏の続く道路を、レンヌから一時間ほど走ると、栗の木の小さな林の中に、それこそコツゼンと姿を現します。
入り口の開口部の高さが、全体で一番低くて2メートルくらいあります。
左右のメンヒルと天板が形作る完全な矩形は、当時の技術の完璧な事をはっきりと示しています。
内部は大人が楽に立って歩ける程。
中央部の最も高い所は3メートル以上もあり、全体の長さ10メートルほど。
見た瞬間、ただただ驚くのみ。
ため息しか出てこないスゴサです。
日本だったら、さしずめ(鬼の。。。)とか(天狗の。。。)とか呼ばれそうなところですが、そこはフランス、<妖精の岩>と来たか!
日本の『石舞台』やや色あせる?
そして、その<ドルメン>を、石くれで覆い尽くしてしまうと、『テュミュルス』と呼ばれ、これはおそらく<墳墓>か<宗教施設>だろう、と意見はかなり一致しているようです。
ロクマリケール村の二つ相接する<テュミュルス>の一つは、2メートルの高さで5メートル位の長さの<玄道>が4メートル四方くらいの<玄室>につながっていて、左右の壁には素朴な<先刻文様>が見られます。
この、カルナック村郊外の『テュミュルス・サン・ミッシェル』は完全に植物層に覆われて、小高い丘のような様相を呈し、いただきに『聖ミカエル(サン・ミッシェル)>の礼拝堂が建っています。
ただ、側面に<玄道>があり(後世の扉で閉ざされてはいますが)、テュミュルスである事が分かります。
そして、最も大規模、かつ状態の良い物が、北ブルターニュ『バルルネーズのケルン』と呼ばれている物です。
海にはり出す岬の、小高い先端に残っています。
側面に残る11の入り口から、夫々玄道が伸び、反対側が一部崩れている為に、突き抜けている物も。
このようなテュミュルスが崩れ去り、玄道の壁だけ残ったものが<ドルメン>だ、という説もありますが、ドルメンの中には、どう見ても最初からその形で造られたとしか考えようが無い物もあり、面白いところです。
この他にも、ブルターニュ全域に渡って、巨石文明の名残をとどめる遺跡が、それこそ<無数に>遺っています。
諸君、ブルターニュを訪れましょうぞ!!
その岩は、太古の時代より、人々の精神の支えであり続けます。
固い岩盤を削り尽くす荒波、浸食されてできた深く細く入り組んだ入り江。
その海を渡ってやって来た人々。
入り江の奥にひっそり住み着き、荒海で漁をして暮らして来た。
海と岩は、ブルターニュの精神なのです。
そこで彼等は、一般の<西欧アカデミズム>の世界史に現れない、不思議な、そして高度の、独自の文明を<岩>とともに築き上げたのです。
『古代巨石文明』が、ブルターニュの一方の<顔>なのです。
●巨石遺跡その1<メンヒル>
何も無い林の中や叢に埋もれる様にして、<柱>の様に巨大な岩が屹立しています。
『メンヒル』と呼ばれますが、最も早い時期(紀元前七千年以前)から出現しています。
この写真は、<ベル・イル島>のまっただ中に、道路沿いの畑の中にポツンと立っています。
●巨石遺跡その2<アリーニュマン>
その<メンヒル>を、延々と一列に並べてたてる事が行われる様になりました。
『アリーニュマン<列柱>』と呼ばれます。
最も名高い物が、『カルナック』の<大列柱群>です。
●巨石遺跡その3<ドルメン>
狭い幅に二列に並べた<メンヒル>の列の上を、平らな巨石で<蓋>をしてしまうと、『ドルメン』と呼ばれます。
この写真は、ブルターニュ最大のドルメン『妖精の岩』と呼ばれている物です。
●巨石遺跡その4<テュミュルス>
その<メンヒル>を、小振りの岩で覆い尽くしてしまう物も出てきます。
『テュミュルス』とよばれます。
これらの<巨石遺物>は、ケルト族以前の先住民族が紀元前七~八千年前から、紀元前二千五百年くらいまでの間に残して行きました。
ブルターニュ最大の<メンヒル>は、南ブルターニュ、ロクマリケール村に残る、四つに割れて倒れている物で、立っていた時の高さ26メートル!!
立っている姿を見たかった!
<アリーニュマン(列柱)>で最も名高い<カルナック>は、同じく南ブルターニュのカルナック村郊外に、お互いにほど近い三カ所のサイトに分かれて、夫々2500~3700本の石柱が、何列かに整然と並んでいます。
まるで<飛行場の滑走路の誘導灯>のようにまっすぐ。。。
かねてより、「祭壇ダ」「イヤイヤ天文学的な何かに違いない」「古代の戦いに破れて戦死した兵士達の墓ダ」「違う違う暦だ」「城跡ではなかろうか」。。。。とかしましく論議の的になってきました。
現在では、<天文歴>と合わさった<宗教施設>で、宗教権威の権力の象徴であろう。。。という説が有力のようですが。。。
そして、<ドルメン>は、小規模な物は高さ1メートル、幅80センチ、長さ2メートルくらいな物から、最大の『妖精の岩』に至るまで、さまざま。
この写真は、カルナックの<列柱群>の一角にあります。
特に<天板>をのせずに、両側の<メンヒル>を斜めにたてて、上で接触させて支えた変形もあります。
これは北ブルターニュですが、保存状態の良い部分は長さ5メートル、高さ1メートルくらいですが、判別できる範囲だけでも数十メートルつながっています。
そのように<長い>ドルメンは、特に<覆われた径>とも呼ばれます。
中をのぞくと、倒れたメンヒルも見られますが、実にきれいな三角形のトンネル状になっているのが分かりますね。
そして、ブルターニュの<巨石文明>の<カルナック列柱群>と並ぶ、もう一方の代表格が、ブルターニュ東のはずれ、南北半ばにある『妖精の岩』。
延々と畑の中の緩やかな起伏の続く道路を、レンヌから一時間ほど走ると、栗の木の小さな林の中に、それこそコツゼンと姿を現します。
入り口の開口部の高さが、全体で一番低くて2メートルくらいあります。
左右のメンヒルと天板が形作る完全な矩形は、当時の技術の完璧な事をはっきりと示しています。
内部は大人が楽に立って歩ける程。
中央部の最も高い所は3メートル以上もあり、全体の長さ10メートルほど。
見た瞬間、ただただ驚くのみ。
ため息しか出てこないスゴサです。
日本だったら、さしずめ(鬼の。。。)とか(天狗の。。。)とか呼ばれそうなところですが、そこはフランス、<妖精の岩>と来たか!
日本の『石舞台』やや色あせる?
そして、その<ドルメン>を、石くれで覆い尽くしてしまうと、『テュミュルス』と呼ばれ、これはおそらく<墳墓>か<宗教施設>だろう、と意見はかなり一致しているようです。
ロクマリケール村の二つ相接する<テュミュルス>の一つは、2メートルの高さで5メートル位の長さの<玄道>が4メートル四方くらいの<玄室>につながっていて、左右の壁には素朴な<先刻文様>が見られます。
この、カルナック村郊外の『テュミュルス・サン・ミッシェル』は完全に植物層に覆われて、小高い丘のような様相を呈し、いただきに『聖ミカエル(サン・ミッシェル)>の礼拝堂が建っています。
ただ、側面に<玄道>があり(後世の扉で閉ざされてはいますが)、テュミュルスである事が分かります。
そして、最も大規模、かつ状態の良い物が、北ブルターニュ『バルルネーズのケルン』と呼ばれている物です。
海にはり出す岬の、小高い先端に残っています。
側面に残る11の入り口から、夫々玄道が伸び、反対側が一部崩れている為に、突き抜けている物も。
このようなテュミュルスが崩れ去り、玄道の壁だけ残ったものが<ドルメン>だ、という説もありますが、ドルメンの中には、どう見ても最初からその形で造られたとしか考えようが無い物もあり、面白いところです。
この他にも、ブルターニュ全域に渡って、巨石文明の名残をとどめる遺跡が、それこそ<無数に>遺っています。
諸君、ブルターニュを訪れましょうぞ!!