きのうのNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、「自分を信じる強さを持て バレリーナ吉田都」でした。
「吉田都」という名前はどのくらい有名なのだろう?私は1年前のこの時期には知らなかったけれど。バレエファン以外の人でこの人のことを知っている人はどれくらいいたのだろう?
「イチロー」や「中田英寿」は誰でも知っている。でも、吉田都さんという人が到達しているレベルは、おそらくイチローレベルなのだと思います。つまり、世界のトップの中のトップということ。おそらく熊川哲也さんも。
私はバレエの技術的なことは分からないので、外面的な経歴からしか判断できませんが、世界の三大バレエ団と言われているイギリスのバレエ団で最高位に上り詰めているわけですから、やはりすごいのでしょう。
日本人がヨーロッパの伝統芸能の世界でそこまでたどり着くということはすごいことのはずなのに、なぜか世の中全体が盛り上がっているという感じはしない。イチローや中田英寿はあれだけ騒がれたのに。それとも、たんに僕が野球とサッカーについてはちょっと知っているからであって、世の中全体はイチローや中田に対してそれほどすごいとは思っていないのだろうか。
昨日の番組は、それなりに楽しみにしていたのですが、何かあまり意外性がなかった。これは製作者たちの掘り下げが浅かったのだと思う。
ストーリーは他の回と同じ展開です。挫折をきっかけに世界観が変わり、それまでとは取り組み方が異なるというもの。
それはそれでいいのですが、昨日はあまりにもその類型的な展開をなぞりすぎて、吉田さんからしか引き出せないような話がなかったと思う。
例えば、日本人がバレエをすることについて。素人の私には、おそらくこのテーマは日本のダンサーたちがもっとも葛藤する問題だと思う。
スポーツではなく芸術である以上、単に技術的なことではなく、その踊りが表現するものにダンサーがどれだけ感情移入できるかが重要になるはずです。
海外で暮らした人や日常的に欧米の人と接する人はわかっていることだけど、やはり欧米の人の対人関係における我の強さというのは日本の人の比ではない。それぐらい強く振舞っていないとやっていけない社会なのだとよく聞きます。
たしかに同じ人間である以上は根っこの部分で共通するともいえますが、性格の強さという点で欧米と日本の人たちの間には明らかな差があるのです。
そのような、明らかに日本社会とは異なる伝統を持つ社会の芸術に取り組むことは、自分のもつアイデンティティがその芸術表現に合うのかどうかという点で、大きな悩みに直面するものなのだと思います。
彼女自身も言っていたように、吉田さんは外見はごくごく平均的な日本人に見えます。そのような人が、欧米社会でも理想とされる体型の人たちが集まって演じている芸術に取り組むのです。単純に見栄えの点でも周りとの違いは明らかだし、それ以上に、役柄になりきって感情表現をする際には、その欧米人という役柄と日本人という自分のアイデンティティとの落差はすごいはずだと思えるのです。
例えば、日本の俳優が欧米の映画に出て、欧米人たちに囲まれて同じように欧米人の役を演じている姿を想像してみます。違和感なく役柄の欧米人を演じることのできる俳優など存在しないのではないかと思います。
でも吉田さんがしていることは、まさにそれです。その上で彼女は本場のダンサーたちに認められているわけです。
だから、そこに到達するまでにどのような試行錯誤があったのか、もっとじっくりと掘り下げて欲しかった。
単純に挫折を乗り越えるというストーリーではなく、文化の相違に直面して、日本人としての自分が欧米の伝統芸能を演じるということに、どのように納得して行ったのか、もっと吉田さんに語って欲しかったなと思います。
楽しみにしていた回だけに、少し残念でした。
誰の為でも無く、自分の為。
人に認められるのではなく、でも認めさせるのでも無い。
おそらく、共感する…と言うことではないかと思います。
異文化の中に、融合するには、互いの違いを認める。
文化でなくても、人間関係でも言えますよね。
そうですね。自分と異なるものへの共感がなくては、その相手なり文化なりに感情移入するのは難しいですね。
同じ文化内でも難しいのに、世界で活躍する人は、異なる歴史を持つ文化に共感するほどにまで、自分の意識を広げることができるのですね。
そのような境地に至った人たちを、日々の対人関係でも悩んでしまう私は見習いたいと思います。
コメント、有難うございました。