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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

現代文

2009年10月07日 | 日記
現代文という国語科目は、その存在意義がわかりにくいけれど、いいかげんな科目というわけではない。


簡単にいえば、問題作成者の質問に的確に答えることが現代文で問われていることだ。


それは問題文(作者のある文)を単に読む能力ではない。問題作成者の質問を理解して、その質問に合う答えを問題文から選ぶ能力だ。


これは、自分の頭の中で《問い-応答》を構築できる能力を意味する。


この能力は無駄な能力ではない。ただ、他の科目に比べればひじょうに難度の高い課題だ。


わたしたちは、とくに日常の会話では、問いと応答の論理性をそこまで厳密に要求していないからだ。


この論理性を鍛えるうえで、現代文という科目がそこまで有効か?という疑問も出てくる。


論理性が必要だと思うのなら、そういう場面を想定した課題を考えるべきだ。


法律などだ。倫理学などだ。


また、設問も、そのような論理性を鍛えるという観点に沿って、適切に作られるべきだ。ほとんどの国語の問題は、重箱の隅をつつくだけの、答え探しゲームになっている。


国語が必要だと思う人は、国語で身につけるべきと思っている基準を明確化すべきだ。

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