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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『anego』[アネゴ]

2005年05月08日 | 映画・ドラマ
『anego』[アネゴ](水曜10時 日本テレビ系)が面白い。会社で働く“自立”した女性を扱ったドラマは無数にあるだろうけど、そのなかでもかなりリアルに働く30代の女性の心理を描いているように思える(「思える」というのは、本当にリアルなのかどうか僕には分からないからです)。

(『anego』[アネゴ]公式サイト)


30代の女性の焦りや、心の荒れ具合が実に上手く描かれている。演じる篠原涼子も戸田菜穂も、ホントはきれいなはずなのに、動作や口調に「くそったれ」という想いが現れている。二人のファッションはお金はかかっているかもしれないけど“可愛げ”というものとは無縁。

女子の正社員と派遣社員との違いを浮き彫りにしているのもいい。一流商社という同じ職場で一般職として働いていても、正社員と派遣社員とで決定的な心理的な溝があることを分かりやすく教えてくれます。

主人公は正社員であるおかげで、30を過ぎてもなんとなくやっていける(また、正社員だからこそ、生活は安定しているので、なんとなくここまで来てしまったとも言える)。“女らしさ”に気を配らなくても、ビールをかっくらって生活していけるのです。

しかし派遣社員の彼女たちは、経済的な焦りを感じているので、「あわよくば職場の男性と結婚を」とつねに考えている。だから“女”を演じていなければならない。それが彼女たちの身を守る術だからです。

こうして、同じ女性で元々はとくに違いはないはずなのに、たまたまバブル時に入社できた女性とその後の不況で一般職採用がなくなり派遣で働かざるをえない女性との間の決定的な違いを描いていきます。

篠原涼子演じる主人公は正社員なので、食べるのにはまったく困らない。その視点で派遣社員の女性たちの弱さ・つらさもこのドラマは描く。派遣の彼女たちは、男性社員の「あの子、チェンジしてくれませんか?」という一言で職を失うのです。

経済的な安定を得ている女性は、しかし「このまま結婚できないのではないか」という焦りを感じながら、次第に女の子らしさを失い、“自立”した女に(なりたくなくても)なってしまう。とりあえず生活できてしまうため、男に頼ろうというモチベイションが彼女たちには働かないのです。

カフェで主人公の女性がつぶやきます。「ぼーっとした女性は“うっかり”妊娠しながら、ちゃっかりできちゃった結婚をしてしまう。結婚できるのはぼーっとした女性。しっかりしている場合じゃない!」。

それに対し経済的に不安定な派遣の女性たちは、「私たちは守られていない」という不公平感を感じながら、そのために“女”でいることを忘れないようにする。

ただ、どちらも焦りを感じている点では同じなので、このままでは幸せにはなれないように見えてしまう。

という風に、珍しく現在の労働現場の不公平さや女性たちの複雑な心情をあぶりだしている点で、僕にとっては興味深いドラマです。でも違和感もある。

このドラマは面白いけど、その面白さは、何度も言うように、30過ぎたOLの“焦り”を描いているところにあります。生活には困らないけど、女の子らしさを失った自分はこのまま独りなのかしらという焦り。今流行りの(流行りすぎてそろそろ飽きられるであろう)「負け組」の心情です。

でも、このドラマ自身が述べているように、そんな女性は多数派ではありません。つまり、主人公の彼女は大手商社の一般職の正社員として生活には何も困らない立場にあり、それが観る者に一種の安心感を与えているのです。

彼女は仕事に生きがいを見出しているわけではない。ただ、与えられた仕事は真面目にこなしているだけです。それも偉いことかもしれないけど、それ自体は視聴者に感動を与えません。やはり惰性で流されている印象を与えて、本気で仕事に取り組んでいるようには見えない。会社も、正社員であっても一般職の女性に責任ある地位を与えない。

このドラマで視聴者が面白がるのは、30過ぎた女性が上手く恋愛できるかできないか、それが中心的テーマです。この女性は生活には困らず、しかし変化のない人生に不満を持ち、かと言って何かを変えようともしません。ただ「恋愛できない自分」に焦っている。それは本人にとっては切実でも、同じように切実とは視聴者には思われない。だからこそコメディとして面白く見ることができるのです。「くだらないことで悩んでいるなぁ」と。

例えば実際に派遣で働く30代、40代の独身女性は老後の年金などで頭が痛いかもしれないけど、このドラマの主人公はそんな悩みとは無縁なのです。そういう悩みを抱える女性がそれでも幸せを見つけるドラマを作るのは、もっと困難なことだと思います。その悩みが切実であればあるほど、視聴者はわざわざそれをテレビで見ようとは思わない。にもかかわらずそれを魅力的なドラマにするには、人生の苦難に直面しながら、それでも視聴者に共感させなければなりません。それを魅力的に描き多くの人から共感を得るのはとても難しいでしょう(だからこそ、成功したら、本当にすごいドラマになると思います)。本当に悩みがリアルであるほど、視聴者は自分の見たくない部分に直面するため、エンターテイメントになりにくい。かつての山田太一のドラマがおもしろかったのは、それに成功していたからかもしれません。

『anego』は要するに『ブリジット・ジョーンズの日記』と同じですね。あの映画でも、レニー・ゼルビガー演じるブリジットは、実は仕事にも困らず、男にも困らない恵まれた女性だった。

ブリジットもanegoも、30過ぎてビールをかっくらい、女の子的な可愛らしさを失い、それでもとても恵まれた立場にある。だからこそ“面白い”こと(「わたしたちは結婚できるかしら?恋愛できるかしら?」)に悩むようになる。またそういうことに悩むから、それはコメディとなり、わたしたちは面白く観ることができる。本人たちがその“面白いこと”に切実であればあるほど、気楽に観ることができるのです。

『anego[アネゴ]』(と『ブリジット・ジョーンズの日記』)は面白いドラマだと思います。でもそれは、本当はリアルだからというより、主人公の幸せな境遇を見て一時的な夢を与えられているように感じるからかもしれません。


涼風


世界中で大ヒットし多くの賛辞に包まれた『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001)
についての秀抜な感想はこちら(映画評サイト『Film Planet』より)。僕はこれを読んで、思わずはっとさせられました。

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