きのう、用事があり大阪の堺市まで行ってきました。堺というのは、大阪湾にそって南の方に下ったところにある、大阪市の下にある都市です。そこに行く途中に電車からの風景を見ていると、いろんな感情が喚起されます。
大阪というのは、なんだか不思議なところです。なんだか、人が沢山住んでいる大都市なのに、大都市というステイタス感を住む人に呼び起こさないような気がします。
東京に住んでいるときに私が経験したのは、東京の人はみんな東京が大好きだ、ということでした。東京にいることに、優越感とか誇りとは言わないけど、うれしがっている感じはしました。
大阪の人はそういうことを思っているのだろうか?たとえば、大阪に、あそこに行きたいと思わせる場所があるとすればどこなのだろう?
東京は大都市にもかかわらず緑の多い場所だと思います。また、きれいなところはとてもきれいです。
わたしが住んでいたのは国立市で、中央線自体は殺風景な感じがして好きじゃなかった。でも、用事があって恵比寿とかに行くと、なぜか無条件にうれしくなった。原宿や渋谷自体はうるさくて汚くて好きじゃないけど、青山のあたりを歩くのはイヤじゃないです。三軒茶屋やそこから乗る世田谷線から見える風景はとても楽しい。吉祥寺は自由な雰囲気があるし、井の頭線からみえる風景の独特なこじんまりとした市民的平和感も好きです。下北沢も歩いていてなんだかわくわくする。小田急線から見える緑と住宅の風景は、まるで夢の中にいるような感じがしたのを覚えています。そして横浜は神戸をよく思い出せてくれました。
東京には、楽しい場所が沢山あるように思います。
大阪にはそんな場所があるのだろうか。人は多いし、ビルも多い。だから遊ぶために作られているスポットもある。遊びに行くときは、だから、やっぱり大阪でも楽しい。だから、文句はないのだけど…
もちろん、大阪にも、わくわくする感じはあります。
ただ、きのう、環状線に乗っていて感じたのは、市内はとても寂れた感じがするということです。錆の多い古い建物が並んでいる感じがして、なんとなく、悲しみが漂っているような感じがしました。あるいは、もう活発には動いていないような工場が多いようにも感じました。
同じ大都市なのに、なぜか大阪の市内は、とても曇っていて、煙っている、埃が充満しているという印象があります。これはなぜなんだろうと思います。東京のほうがよっぽど人はおおいのに。
その市内の寂れた雰囲気には目をつむって、膨大なお金を使って、第三セクターの事業をし、むりやりに建てたきれいなビルが固まっている場所もあります。
だから、とてもアンバランスで、その環状線の錆びれ具合がよけいに印象的です。むかし、ある経済界の人が大阪のことを「痰壺の町」と言って問題になったことがありました。 でも中島らもさんは、「その通りだ」と言っていたのが面白かったです。
大阪ドームのような新しい建物の周りも、あまり活発な感じはなく、昔からの古いコンクリートの建物が残っています。
じゃあ、どうすればいいのだろう。むりやり綺麗にすればいいのだろうか。痰をきれいにふき取ればいいのだろうか。そもそも大阪のその場所に住んでいる人自体が、そんなことを望んでいるのだろうか。
なんだか、そんな悲しい感じの町を見ながら、JR環状線から南海電車に乗り換えて堺の方へ行きました。そうやってずっと市内から離れていくと、ぐっと「郊外」という雰囲気が出て、まるで大阪じゃないような、緑に囲まれた空気のきれいな感じの場所に出てきました。
涼風
大阪というのは、なんだか不思議なところです。なんだか、人が沢山住んでいる大都市なのに、大都市というステイタス感を住む人に呼び起こさないような気がします。
東京に住んでいるときに私が経験したのは、東京の人はみんな東京が大好きだ、ということでした。東京にいることに、優越感とか誇りとは言わないけど、うれしがっている感じはしました。
大阪の人はそういうことを思っているのだろうか?たとえば、大阪に、あそこに行きたいと思わせる場所があるとすればどこなのだろう?
東京は大都市にもかかわらず緑の多い場所だと思います。また、きれいなところはとてもきれいです。
わたしが住んでいたのは国立市で、中央線自体は殺風景な感じがして好きじゃなかった。でも、用事があって恵比寿とかに行くと、なぜか無条件にうれしくなった。原宿や渋谷自体はうるさくて汚くて好きじゃないけど、青山のあたりを歩くのはイヤじゃないです。三軒茶屋やそこから乗る世田谷線から見える風景はとても楽しい。吉祥寺は自由な雰囲気があるし、井の頭線からみえる風景の独特なこじんまりとした市民的平和感も好きです。下北沢も歩いていてなんだかわくわくする。小田急線から見える緑と住宅の風景は、まるで夢の中にいるような感じがしたのを覚えています。そして横浜は神戸をよく思い出せてくれました。
東京には、楽しい場所が沢山あるように思います。
大阪にはそんな場所があるのだろうか。人は多いし、ビルも多い。だから遊ぶために作られているスポットもある。遊びに行くときは、だから、やっぱり大阪でも楽しい。だから、文句はないのだけど…
もちろん、大阪にも、わくわくする感じはあります。
ただ、きのう、環状線に乗っていて感じたのは、市内はとても寂れた感じがするということです。錆の多い古い建物が並んでいる感じがして、なんとなく、悲しみが漂っているような感じがしました。あるいは、もう活発には動いていないような工場が多いようにも感じました。
同じ大都市なのに、なぜか大阪の市内は、とても曇っていて、煙っている、埃が充満しているという印象があります。これはなぜなんだろうと思います。東京のほうがよっぽど人はおおいのに。
その市内の寂れた雰囲気には目をつむって、膨大なお金を使って、第三セクターの事業をし、むりやりに建てたきれいなビルが固まっている場所もあります。
だから、とてもアンバランスで、その環状線の錆びれ具合がよけいに印象的です。むかし、ある経済界の人が大阪のことを「痰壺の町」と言って問題になったことがありました。 でも中島らもさんは、「その通りだ」と言っていたのが面白かったです。
大阪ドームのような新しい建物の周りも、あまり活発な感じはなく、昔からの古いコンクリートの建物が残っています。
じゃあ、どうすればいいのだろう。むりやり綺麗にすればいいのだろうか。痰をきれいにふき取ればいいのだろうか。そもそも大阪のその場所に住んでいる人自体が、そんなことを望んでいるのだろうか。
なんだか、そんな悲しい感じの町を見ながら、JR環状線から南海電車に乗り換えて堺の方へ行きました。そうやってずっと市内から離れていくと、ぐっと「郊外」という雰囲気が出て、まるで大阪じゃないような、緑に囲まれた空気のきれいな感じの場所に出てきました。
涼風
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