joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

自由

2008年08月10日 | 日記
私たち大人は誰もが、人は自立すべきであり、物事を自分で判断できる人間になるべきだと言います。


それ自体は、間違っていない考えだと思います。


しかし、にもかかわらず、私たちは、子どもにだけは「自分で判断する」ということを許そうとしません。


私たちは、子どもがテレビを見たいのに、見させようとしません。

子どもが遊びたいのに、遊ばせようとしません。

ゲームがしたいのに、ゲームを取り上げます。


やりたいことをするという経験を決して子どもに許そうとしません。


18歳まで、あるいは22歳まで、あるいはそれ以上まで、自分の判断で行動するということを人にさせないのです。


20歳まで自分の判断で行動するということを許されなかった人間が、選挙権をもつ20歳になって突然に自立と責任を備えるなどということがあるでしょうか。


教育というものが、子どもにこうなって欲しいという想いを表すものだとしたら、あるべき教育は、まず子どもに自由を与えることです。


そして、自由な行為の結果をすべて自分で背負ってもらうことです。


子どもたちは皆知っています。


完璧な自由には責任が伴うことを。


その事実から目を背けるのは、自分のいる状況を大人に押し付けられ、すべてを他人のせいにする心性を身につけてしまった子ども・人だけです。

自由を奪われると、人はすべてを他人のせいにするようになります。


子どもにそのようになって欲しいとは、誰も思わないはずです。