CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

リズムは身体の中に在る

2015-12-13 10:19:35 | 表現にからむ様々なこと
迷い続けた『Happy Xmas(War is over)のテンポが決まった。

私が、あ~でもない、こ~でもないと迷うたびに
木村先生が、一緒に考えてくださる。

たかが、ボランティアと思う方もいらっしゃるかもしれないけどそうではなく、
どんな場面でも聴いていただくからには、ベストを尽くさないといけない。

自分のできるベストを・・・そう思っている。

今朝、テンポを確認。
カラオケを作っていただく(^_^)v

リズムの事を前にも書いたかもしれないけれど少しだけ・・・
テンポではなくてリズムです。

たとえば、ズンチャチャ・・・なんて言い方で三拍子、
ワルツのリズムを表現したりするけれど、
「ズンチャチャ」は、三拍子にあてた言葉というか音声なのではまる。
ここに「わたしは、あなたを」なんて言葉をはめたりする時、
「わ、たしは、あ、なたを」と言ってしまうと、言葉はめちゃくちゃになる。
リズムに合わせて歌いなさいなんて、無理難題を言う人がよくいる。
そして、言葉を無視してリズム通り歌うことが上手な歌であるといわれたりする。

まぁ・・・それは好みの問題だから、
そういう歌が心地よいと感じるモノを否定するつもりはない。

歌い始めた頃、私も平気で『コトバ』をないがしろにしていたかもしれない。
『コトバ』をリズムに合わせることが良いことだと
どこかで刷り込まれていたのかもしれない。

そうではなく・・・
歌い手は、言葉を宝物のように大切にするべきなのだと・・・
そういうことを、木村先生は初めから一貫しておっしゃっている。
もちろん、リズムはそこに在る。
歌い手は、リズムを感じ内包するってことなんだと、私は思う。

先月のレッスンで、なにかが・・・ツン抜けたような、
青空が広がったような体験をした。
今月のレッスンでは、無意識のうちに先月のレッスンを再現したくなっていた。
だから、言葉を大切にすることやリズムを感じることが抜けてしまい、
上手くいかない・・・なにかがかみ合わない中、
さらに必死になるから、良くない方向に行く。
集中しようとしすぎて、集中できなくなる。

『ブルースを歌う女』を歌った時に、
自分の中でなにかが上手くいっていないことを感じた。

『リズムが身体にない』ということ。
こんな時、無理やり言葉をリズムにのせて、
変な日本語で歌ってみるのもひとつの方法かな・・・とも思うが、
無理に力で何かしようとすると、全てが乱れる・・・
力で押すと、乱れている事にも気付かなかったりする・・・

だから、『無欲』になる必要がある。
感じることに集中し、心を自由にしてあげることが肝要だ。

なかなか・・・できないのだが、そういうことなんだ。

リズムは、ピアノに任せて、私はその中で自由に解き放たれることが肝要。
そして、ピアニストもきっと、リズムは身体の中に在る。
だから、身体の中にリズムがあれば、
リズムを刻まなくても、その音にリズムがある。

わかりにくいことかもしれないけれど、
音楽を専門的に学んだことは無いけれど、
リズムってそういうものなんだ・・・と、今月のレッスンで再認識した。

意図的に言葉を崩して、リズムにのせて歌う手法もあるし
そういう表現もあっていいと思っている。

ただ・・・私の表現は『コトバ』がその中心に在るんだということ。
そして、リズムを無視するのではなく、内包するのだということ。

そんなことを再確認した12月であります。。。




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