昨日、褒めたのにな・・・
思い出すと、不愉快になる。
『駄目押し』とはもともと囲碁で使われた言葉。
黒い石と白い石が陣取り合戦をしているらしい囲碁のこと
私は、さっぱりわからない(^^ゞ
息子が囲碁にかかわっているので、
白白でも打てるくらいの子なので、
囲碁にまったく無関心なわけではない。
将棋と囲碁の区別もつかない人や
オセロと囲碁の区別もつかない人がいるらしいが、
その区別はつくし、『一目置く』『玄人』『素人』も
どうやら、囲碁から生まれたらしいことを知っている。
だから、少しだけ元々の駄目押しについて書いてみる。
囲碁の世界で、駄目押しとは
囲碁の対局中、『駄目』には・・・
つまり、すでにどちらの陣地になるかわかっている目には石を置かない。
その駄目に、つまり、もうすでに自分の陣地だとわかっている目に
相手が石を置こうとしたりすると「あ・・・そこ駄目だよ・・・」などという。
まぁ、息子のレベルではあまりない会話だけど・・・
で、対局が終わると、つまり勝敗が決すると、石が置いていない目・・・
つまりなにもない空間ががたくさんあったりする。
全部置かなくても、わかるから凄い・・・お互いにわかっているわけだ。
なにしろ、負けた方が「ありません」と自分の負けを宣言ことで終局するのだから、
全部読み切れているわけで、私には、到底理解できない・・・凄いことだ。
で・・・終局(勝敗が決)した後に
念のために駄目を埋めて陣地(地)を分かりやすくするために石を置く。
この行為を駄目押しという。
つまり、悪い行為でも何でもなく、わかりやすくするための行為だったが
スポーツの世界では、既に勝負が決まっている時に、
さらに勝負を確実にするために念を押すことを駄目押しというようになった。
さて、相撲を観ているとこの『駄目押し』がたまにある。
私は格闘技が好きだから、ボクシングも観る・・・
ボクシングの世界は、まさに殴り合いなわけで、
基本、冷静に試合を展開しているが、
フットワーク、相手との距離、パンチのタイミング、ガード・・・
様々考えてリングに立てなければ、ただの喧嘩になってしまう。
ただそうは言っても、いわゆる殴り合いになったら、我を忘れる・・・
レフリーが止めに入っても、身体が動くほどの興奮状態になる。
で・・・相手が倒れているのに勢い余って、殴ってしまうことがある・・・
決して褒められた行為ではないが理解できる。
相撲も、格闘技である。
だから、勢いあまって、『駄目押し』はある。
このときだって、怒られる・・・観ていて気分の良いものではないから。
でも、ボクシングの時と同じで、理解できる『駄目押し』がほとんどだ。
してはいけないけど、ちょっと勢いあまっちゃったよね・・・みたいな『駄目押し』はある。
つまり、格闘技における『駄目押し』は勢い余っての行為なのだ。
『励ます意味での駄目押し』なんてこの世に存在しない!!
と私は言いたい。
人間というのは、不思議な動物で、心が態度に表れる。
リアルタイムで、昨日の白鵬の取り組みを観た・・・気分が悪くなった。
なんなんじゃ、こりゃ・・・不遜な態度で・・・
明らかに冷やかに右手を逸ノ城のあごにめがけて押し上げた。
不愉快になった・・・とても、不愉快になって、記事をこうして書いていても
あの場面を思い出すので、不愉快になる・・・それくらい嫌な行為だった。
自宅に戻り、それでもどんな状態だったのか確認しないとと思いビデオを観た。
勝負が決して、白鵬は逸ノ城を見上げ、睨んであごに向けて右手を上げ
その後、逸ノ城がのけぞるまで、背を向けながら、もうひと押ししている。冷静に。
これは、いただけない行為だ。
白鵬は横綱です。
一番強い人・・・です。
前頭・・・平幕相手に、なにしくさってるねん!
不愉快です。
ラグビーには、ノーサイドという精神がある。
互いの健闘をたたえ合う。
とても素敵な精神だ。
今場所、元気のない若山が昨日初白星だった。
番付を上げてきた時の若山は、その気合が勝負が決した後も残っていて
土俵を下りてからも、息を荒げて怖い顔をしていた。
あれだけ、気合が乗っていたって、駄目押しなんてしない。
勝負が決したら、テンション高いままだけど、キチンと挨拶をしてさがる。
さがってからも乗っている気合のやり場がなくって、鼻息が荒い・・・
それでも駄目押しなんて・・・しない。
もししたら、親方にこっぴどく叱られるんだろうな。
勢い余った駄目押しもいけない行為として、注意される。
昨日の行為は、それ以上にひどい行為だったと言えよう。
同郷の逸ノ城を励ます意味があった。
今場所、粘りのない諦める相撲をしている逸ノ城に『喝』を入れた。
という白鵬を擁護する意見もあるが、果たしてそうだろうか。
もし、そういったことであれば、圧勝することで示せるわけで
わざわざ、狙いを定めて、手を出す必要は皆無である。
先場所、初日に敗れた私怨を晴らすためとしか思えない。
なさけない・・・ほんとうに・・・情けない。
横綱という立場だから、他の力士より多くの批判が飛び交う。
それは、当たり前のこと。
モンゴル人だからではありません。
モンゴル人を差別しているなら、
「あ~また、モンゴル人だから、やっちゃったね」ってそういう話です。
そうではないんです、白鵬。
あなたは、横綱だから、言われるんです。
横綱たる品格をと。
あなたは、強くて、美しい相撲を取る人だから、
昨日のような行為をすると、他の人より、不愉快度が増してしまうんです。
昨日、私は書いた。
どんな地位にいたって、本気のあなたたちは、美しくて素敵だ。
どんな地位にいたって、本気であなたたちを、応援してくれる人がいる。
横綱という地位に慢心したらいけないのです。
ひたむきに努力して、人より努力して、人より我慢して、
横綱というその地位を美しい地位にしなければならないのです。
モンゴル人であろうが、日本人であろうが、変わりはないのです。
あ・・・また、相撲の話になってしまった。
好きだからこそ、腹も立ったりするわけです(^^ゞ
思い出すと、不愉快になる。
『駄目押し』とはもともと囲碁で使われた言葉。
黒い石と白い石が陣取り合戦をしているらしい囲碁のこと
私は、さっぱりわからない(^^ゞ
息子が囲碁にかかわっているので、
白白でも打てるくらいの子なので、
囲碁にまったく無関心なわけではない。
将棋と囲碁の区別もつかない人や
オセロと囲碁の区別もつかない人がいるらしいが、
その区別はつくし、『一目置く』『玄人』『素人』も
どうやら、囲碁から生まれたらしいことを知っている。
だから、少しだけ元々の駄目押しについて書いてみる。
囲碁の世界で、駄目押しとは
囲碁の対局中、『駄目』には・・・
つまり、すでにどちらの陣地になるかわかっている目には石を置かない。
その駄目に、つまり、もうすでに自分の陣地だとわかっている目に
相手が石を置こうとしたりすると「あ・・・そこ駄目だよ・・・」などという。
まぁ、息子のレベルではあまりない会話だけど・・・
で、対局が終わると、つまり勝敗が決すると、石が置いていない目・・・
つまりなにもない空間ががたくさんあったりする。
全部置かなくても、わかるから凄い・・・お互いにわかっているわけだ。
なにしろ、負けた方が「ありません」と自分の負けを宣言ことで終局するのだから、
全部読み切れているわけで、私には、到底理解できない・・・凄いことだ。
で・・・終局(勝敗が決)した後に
念のために駄目を埋めて陣地(地)を分かりやすくするために石を置く。
この行為を駄目押しという。
つまり、悪い行為でも何でもなく、わかりやすくするための行為だったが
スポーツの世界では、既に勝負が決まっている時に、
さらに勝負を確実にするために念を押すことを駄目押しというようになった。
さて、相撲を観ているとこの『駄目押し』がたまにある。
私は格闘技が好きだから、ボクシングも観る・・・
ボクシングの世界は、まさに殴り合いなわけで、
基本、冷静に試合を展開しているが、
フットワーク、相手との距離、パンチのタイミング、ガード・・・
様々考えてリングに立てなければ、ただの喧嘩になってしまう。
ただそうは言っても、いわゆる殴り合いになったら、我を忘れる・・・
レフリーが止めに入っても、身体が動くほどの興奮状態になる。
で・・・相手が倒れているのに勢い余って、殴ってしまうことがある・・・
決して褒められた行為ではないが理解できる。
相撲も、格闘技である。
だから、勢いあまって、『駄目押し』はある。
このときだって、怒られる・・・観ていて気分の良いものではないから。
でも、ボクシングの時と同じで、理解できる『駄目押し』がほとんどだ。
してはいけないけど、ちょっと勢いあまっちゃったよね・・・みたいな『駄目押し』はある。
つまり、格闘技における『駄目押し』は勢い余っての行為なのだ。
『励ます意味での駄目押し』なんてこの世に存在しない!!
と私は言いたい。
人間というのは、不思議な動物で、心が態度に表れる。
リアルタイムで、昨日の白鵬の取り組みを観た・・・気分が悪くなった。
なんなんじゃ、こりゃ・・・不遜な態度で・・・
明らかに冷やかに右手を逸ノ城のあごにめがけて押し上げた。
不愉快になった・・・とても、不愉快になって、記事をこうして書いていても
あの場面を思い出すので、不愉快になる・・・それくらい嫌な行為だった。
自宅に戻り、それでもどんな状態だったのか確認しないとと思いビデオを観た。
勝負が決して、白鵬は逸ノ城を見上げ、睨んであごに向けて右手を上げ
その後、逸ノ城がのけぞるまで、背を向けながら、もうひと押ししている。冷静に。
これは、いただけない行為だ。
白鵬は横綱です。
一番強い人・・・です。
前頭・・・平幕相手に、なにしくさってるねん!
不愉快です。
ラグビーには、ノーサイドという精神がある。
互いの健闘をたたえ合う。
とても素敵な精神だ。
今場所、元気のない若山が昨日初白星だった。
番付を上げてきた時の若山は、その気合が勝負が決した後も残っていて
土俵を下りてからも、息を荒げて怖い顔をしていた。
あれだけ、気合が乗っていたって、駄目押しなんてしない。
勝負が決したら、テンション高いままだけど、キチンと挨拶をしてさがる。
さがってからも乗っている気合のやり場がなくって、鼻息が荒い・・・
それでも駄目押しなんて・・・しない。
もししたら、親方にこっぴどく叱られるんだろうな。
勢い余った駄目押しもいけない行為として、注意される。
昨日の行為は、それ以上にひどい行為だったと言えよう。
同郷の逸ノ城を励ます意味があった。
今場所、粘りのない諦める相撲をしている逸ノ城に『喝』を入れた。
という白鵬を擁護する意見もあるが、果たしてそうだろうか。
もし、そういったことであれば、圧勝することで示せるわけで
わざわざ、狙いを定めて、手を出す必要は皆無である。
先場所、初日に敗れた私怨を晴らすためとしか思えない。
なさけない・・・ほんとうに・・・情けない。
横綱という立場だから、他の力士より多くの批判が飛び交う。
それは、当たり前のこと。
モンゴル人だからではありません。
モンゴル人を差別しているなら、
「あ~また、モンゴル人だから、やっちゃったね」ってそういう話です。
そうではないんです、白鵬。
あなたは、横綱だから、言われるんです。
横綱たる品格をと。
あなたは、強くて、美しい相撲を取る人だから、
昨日のような行為をすると、他の人より、不愉快度が増してしまうんです。
昨日、私は書いた。
どんな地位にいたって、本気のあなたたちは、美しくて素敵だ。
どんな地位にいたって、本気であなたたちを、応援してくれる人がいる。
横綱という地位に慢心したらいけないのです。
ひたむきに努力して、人より努力して、人より我慢して、
横綱というその地位を美しい地位にしなければならないのです。
モンゴル人であろうが、日本人であろうが、変わりはないのです。
あ・・・また、相撲の話になってしまった。
好きだからこそ、腹も立ったりするわけです(^^ゞ
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