CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

横綱土俵入り

2021-09-15 09:58:50 | お相撲(スポーツ)のこと
久しぶりにお相撲のこと、書こう。

御贔屓も元気な様子で、うれしくもあるが、そのことはおいておいて、
久しぶりなので、横綱について、思うところを記しておく。

照ノ富士の土俵入り、不知火型である。

見せ方・・・という意味では、これからさらに充実してくるであろうと思う。

その在り方は・・・とてもいいな、と感じた。

内に秘めた気迫とともに何とも言えない空気を創り出している。

膝がかなりきついのであろうから、毎日の土俵を本当に大切に思っているのだろう、
そのことが、あの土俵入りの空気を創り出している気がしてならない。

「そう長くは取れないと思う。」何度も照ノ富士は言っていた。

そんな新横綱照ノ富士の土俵入りは、いままでの横綱の土俵入りにはない空気を創り出している。

自分が!自分が!といった空気を感じない。

ぎりぎりのひざの状態であっても、それを腹の底の底に納めて、土俵に立っているからなのだろうか。
照ノ富士自身が、横綱土俵入りというその空気感、
足の裏の感覚、指の先の先まで、すべてを感じ取ろうとしている気がしてならない。

全身全霊ですべてを受け止め、受け入れている・・・そんな感じがするのだ。

大けがと病気・・・番付を下げたときに、すべてを受け入れた・・・受け入れざるを得なかった照ノ富士。

そのことは、もう周知であり、みなを驚かせた、並大抵の事ではない。
その並大抵のことではないことを成し遂げた横綱の土俵入りとは、こんなにも違うのか・・・と。

出来れば、満員の国技館で、割れんばかりの「よいしょ」の声とともに土俵入りをしてほしい。

COVID19よ、お願いだ、
照ノ富士の横綱土俵入りを
満員の国技館で、
国技館一ぱいの観客の「よいしょ」の声で・・・
それが、私の切なる願いなんだ・・・

いつでも引退する覚悟・・・
それを持ちながら、横綱は土俵に立つ。

かちあげたり、はったり、なりふり構わずその地位にいることが、強さではない。

心の強さ・・・それこそが相撲道に求められるものなのだと、改めて思った。

横綱土俵入りを観て、涙があふれたのは、初めてだった。

稀勢の里の土俵入りはとにかくうれしくて、うれしくて。

新横綱照ノ富士の土俵入りは、なぜか、涙した。

横綱土俵入り・・・正座して、観なくっちゃと思う私なのでした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿