風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

5-064 シベリアとノモンハン

2010-06-22 20:59:10 | 世相あれこれ
風の谷通信 No.6-064 

 先の戦争に関して気がかりなままであった二つのテーマに
ついて、岩波新書を読んだ。
 一つはシベリア抑留の問題。読了後約2週間で、シベリアの
特別措置法が成立したが、本来の関心は措置法とは無関係。
戦後捕虜としてニホン兵士や民間人がシベリアの連行され、
無法にもそこでの開拓作業にこき使われるということが起きた。
その実態を少しでも知りたいと思っていたので、この新書による
取りまとめは好都合であった。
 この連行・抑留はソ連の無法ではあるが、それを容認し同意し
た関東軍指揮官がいたということを忘れてはならない。
特別措置法にかかわってサンケイ新聞がソ連の無法を訴え語り
次げと主張している。その点では同意するが、ニホンの指揮官が
それに同意しておいて自らはニホンへ逃げ帰っていたという事実
には触れてはいない。こんな点がサンケイに同意できないいつも
の点である。

 次はノモンハン戦争。通常ニホンではこの件をノモンハン「事件」
と称しているが著者をこれを「戦争」と断定している。この新書を
読んでこの戦争に関する著作が他にも結構沢山あることを知った。
今までこの関連の本を目にすることがなかったものだ。
 過去に1点だけノモンハン戦争に関する記述を読んだことがある。
事件のあと、その検証に現地入りした参謀部員で、多分中佐程度の
高級幹部だったと思う。彼はこの戦争の背景を分析してソ連の圧倒
的な武力を見聞した。それは前線将兵の戦意を越えたものであった。
彼はそれを報告書に書き込んだ。
 しかるに・・・参謀本部の最終報告書は敗戦の原因をすべて前線
将兵の敢闘意欲の無さにおいていた・・・と言う。つまり彼の検証
報告は全く無視されたのだ。せめて彼の報告の半分でも参謀本部が
採り上げていたらあの泥沼の対中国戦争は避けられたかも知れない
というのが参謀部員本人の述懐であった。当時のニホンには外地で
戦争を起し、かつ持続する力なんて無かったのだ。その現実を認めな
かった軍幹部の誤りである。「自尊自衛のためのやむを得ざる戦争」
だったなんておよそ笑い話だ。その最終結末が原爆被爆であり、完全
無条件降伏である。

 ところで新書著者の分析ではノモンハン戦争の原因は満州対モン
ゴルと言うよりはニホン対ソ連だったという。満州とモンゴルという
それぞれの傀儡政権を抱えた両国がそのモンゴル人の部族境界線を
新しい国境とする問題と考えて戦争に及んだと言う。その結果は
ニホンが膨大な損失を掛けてモンゴルの独立を招いたことになった。
但しモンゴルが本当に独立するのは勿論スターリン以後である。

 シベリア抑留に付随する事柄では、戦後のニホン政府が「現地の
日本人を帰国させない」という基本方針であったという記述がある。
ニホンはビルマやインドネシアやラバウルや満州や中国やフィリピン
へとクニタミを送り込んでおいて、いざ敗戦となるとこれら国民を
捨てようとしたのだ。いわゆる「棄民政策」である。シベリア抑留
に関してソ連の不法をなじるサンケイ新聞もこの棄民政策について
は触れていない。なぜだ? 
 この事実があるから、田母神閣下が何を言おうと、渡辺教授がどう
主張しようと同意できなくて、「ニホンは侵略国家だった。ニホン
はいざとなればクニタミを捨てるクニである」と言うことになる。