うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

2017年06月03日 | 鉄道、車、のりもの

この季節の帰宅頃は、青がきれいです。

日没後のちょうどいい時間に帰宅時が重なるということなのでしょう。

ようやく風邪も治ってきて、体の疲れは癒えてきた感じがします。

同時に、今まで感じずにいた喪失感がすこしずつ、体を通り抜けていく感じがあります。

中央郵便局の壁、残しておいてよかったね。

 

同僚たちから「もう家、かたづきました?」ときかれるので、

「いや実は、あるところから止まってしまって(^^;」と答えると、

「あれ?(^^」

という反応に。むこうは「はい、もうすっかり。。」という答えを期待しているわけですからね。

ただ、ここまで転居と同時に色々の行事をすり抜けていかねばならず、転居前から席の温まる暇がほとんどない状態でしたので。

先週も土日ずっと出かけていましたし、家具が来ても順番に片づけないといけないのでなかなか進まない。

とりあえず最低限生活ができてしまうと、その先が。。

耳が音楽を、目が活字を求め、手が何かを描きたがっている。

なんとか生活をレールに載せないとな。

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わかい

2017年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

さいきん写真撮ってないな。撮ったとしてもこんなんばかり。。

あとから新聞サイトを見て気が付いたのだが、今日は就職活動の開始の日?らしい。今の職場ではそういう方々の採用はしていないので疎いのです。新しい子は今日来たみたいだけど。

とにかく、いつもいるスタバでも、活動中の子たちの姿が目立つ。隣のテーブルに座っているカップルもそうだった。

どこかの証券会社に受かった?のか、業界を絞っているのか、そんな話をしていた。

女の子がなんで証券会社なの?と聞くと、自分でちょっとやっているからね。20万ぐらい勝ったんだ。このパソコンもそれで買ったんだよ、と言っていた。

今の証券会社、新人の子たちはどんな仕事をするのだろう。営業が個人投資家に電話をかけまくるなんて言うのは、とっくに過去のものになっているのだろうな。

なんにしても若い。

これから先、彼らはこの世紀の半ばくらいまで、この街に通い続けるのかもしれない。そのころ、この街はどうなっているのだろうか。

あるいは、僕も彼らとともに世の中を見続けていくのかもしれないが、たぶん僕が1年をすごしている間の変化を、彼らは1日で経験し、かつ、次の日もまた次の日も、経験を積み重ねていくことだろう。

 

人それぞれに人生は違うし、若くして様々なチャンスに恵まれる人、経験を積み上げていく人、あるいは見えないところで重ねた努力があるところで花開く人など、色々だ。しかし、時間の経過というのは、誰にも等しく、公平に課せられていく。若くして老成して見える人も、年のわりに若作りな人も、そう見えるだけのことだ。

引っ越しで昔の書類やら何やらを片づけているうち、過去から現在までの自分をまとめて振り返るような思いをした。昔の仕事の資料、領収書、久しく目にしなかった、昔かった本など。もちろん手元に残したものも多いが、捨てたものもかなりあり、更に20年住んだ家も今はこの世にはない。これで過去のじぶんをすべてリセットしたような気持に、結果としてはなった。

少年時代を過ごした街に再び戻った(すこし離れてるけど)というのも、精神的にはちょっと来るものがある。昔の街の記憶が、現代のそれに上書きされるというか、故郷の記憶に逆位相の波をかけて消してしまうような状態になるというか・・。

そんなわけで、この半年で自分を「出荷時の状態に戻す」ようなことを、ずっとやってきたような気がする。

だから、以前のようにサクサクと快適に動作する、はずなのだが・。残念ながら寄る年波には勝てず、スペックの限界もあって最新バージョンにもできないようだ、

どうなんですかねえ。同世代のほかの人より、過去を切り捨ててさっぱりした、これからは第二の人生、なのか、総集編も終わって、これでこの人生は締めくくり、決算整理して、あとは解散、なのか。。

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騎士団長殺し

2017年06月01日 | 本と雑誌

村上春樹 新潮社2017

本当は本文からの引用をまとめて、じっくり書こうと思っていた。が、既に川上未映子さんとの対談集も読み始めており、第一印象がだんだん薄まってきそうなので、とりあえずさらっと。

過去の村上作品を読んでいる人には既読感が強いかもしれない。ここは1Q84、この辺の感じはねじまき鳥、まりえはなんとなくふかえりっぽいな、とか。「世界の終わりと・」は出てくるかな、と読み進んでいくと、期待通り?出てきたり。

ねじまき鳥、1Q84などをフードプロセッサにかけて、丁寧にこしたような感じ。過去のこれらに比べると格段に読みやすい。あまりすらすらと読めるので、それはどうなのかな、と疑心暗鬼になってはいる。この後、繰り返し読んでみるとどう印象が変わっていくだろうか。

読者としては主人公と自分を重ね合わせてみるもので、別に自分が主人公のような絵のプロだったり、豊かな才能に恵まれているわけではないが、絵を描くときの感覚-書こうと思っても描けないとか、書いてみてどこかで絵の完成に気づく、など、絵描きの感覚がリアルに伝わってくるな、と。小説を書くときも、基本的に作品を仕上げるという意味では同じ感覚があるかな。。

 

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