少し前のことになるが、以前一緒にお仕事をしたことのある方が、ながい雌伏の期間を経て、新天地で活躍されることになった。
ささやかなかがら内輪でお祝いの席を設け、お話を伺った。以前なら僕が気安く近づくことができないような、輝かしい経歴をお持ちの方だが、ここしばらくの間(かなり長いと言ってもいいかもしれない)は様々な苦労を重ねてこられたようだ。
その方がお話しされたことの中で、印象に残ったことは、「僕はこれまでの経歴の中で、あのときああすれば良かった、と後悔することが3つある。。」という話をされたことだ。いずれもお互いに共通の歴史があるからこそ、話が通じるエピソードなのだが、僕が印象的に感じたのは、個々のエピソードではなく、その方が自分が後悔している、と正直に語ってくれたということ、そのものだ。
いろいろな人生の積み重ねの中で、誰でも後悔するような事件の一つや二つは必ずある(その点においては自慢じゃないが、僕はいくらでも語れるかも。。)ものだ。それは当人にとっては伏せておきたいこととして、あまり語ろうとしないのが普通ではないかともう。
もし、そういうことを語れる状況があったとしても、こういうことは変に恨みがましい言い方になってしまったり、愚痴っぽくなったり、身の上相談みたいになったりなど、表現の仕方によっては場の雰囲気をおかしくするリスクは小さくない。
この方はそれをあっさりと、テレビの野球中継でひいきのチームか負けたことを悔やむような言い方で披露してくれた。
こういうことは簡単に見えるようで、実はとても難しいことなのではないかと思う。
聞いている僕などは、この方にもそういう人間的な弱いところがあるのだなと、親しみを持つと共に、ある種の度量の大きさのようなものを感じていたりする。
この方がさりげなく語ることができるのはたぶん、様々な苦労を自身で消化し、人生の不確かさや自分自身の脆さなどを身にしみて実感されてきたからだろう。もしべつの人が同じようなことを言ったとしても、同じような受け止め方ができるかどうか。なんだこいつ、愚痴っぽい奴、と思うかも知れない。
これまた少し前の話になるが、今年の初め頃に、久し振りに会った古い知人は、先ほどの話の方とは対照的だった。
家族のことですこし苦労してるらしく、こちらも同様の悩みなどを語ったりした。
ただ、その場ではともかく、しばらくしてから思い返してみると、なんだか苦労話のついでにさりげなく出てくる、自慢話のようなものが強い印象として浮かび上がってくることに気がつく。
彼も同じ時代を生きるうち、陰に陽にいろいろな苦労を重ねてきたにちがいない。ただ、表面だけ見ると、それなりに順調な人生を歩んできているように思える。
そういう、順調で明るい面が、不思議と強く出て見える。一般的にはその方がいいに決まっている。
ただ、その場で相手の話題に乗って、こちらの悩みを開陳すると、あとからはしごを外されたような気持ちになるのも事実だ。。
さいしょの方とは何かが違うのだが、なにが違うのかはよくわからない。