うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

どくしょ

2022年07月10日 | 本と雑誌
きょうは選挙で、テレビも夜はずっとそれをやっているようですから、こちらは少し静かにどくしょのおはなしを。

気に入った本は繰り返し読むというタイプの人間でして、10数回読んでいる本は複数あります。テレビドラマや映画も同様です。ただ、人生短いし、新しい本を読まない訳ではないので、その辺の時間配分は難しいところです。

新しい本でも、読んだら必ずここに記事書くわけでもないです。書けないのを無理に書くってのはダメなんですよね。さいきんの記憶では「独ソ戦」をここで取り上げたけど、消化不良でろくなこと書けませんでした。

カモが暑がっている。

ここで取り上げる「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と「ヨコハマ買い出し紀行」は、いずれもたぶん20回位、もっとかな、読んでます。「世界の終わり」は最初にハードカバーを買ったのは35年以上前かな。ただ、繰り返し読むようになったのはここ10年ぐらいです。

村上氏の、中期の作品と言って良いのでしょうか。作品としてはおそらく非常に成功しているとは言い難く、完成度から言ったら「海辺のカフカ」以降に比べるとやや見劣りするかもしれません。ただ、文学作品(に限りませんが)は作品のまとまりだけで評価が定まるものではなく、むしろその粗さが読者の想像を喚起させるような作用を生むことさえあるように思います。

主人公の日常生活(というより、既にかなり非日常な世界に入りこんでいるのですが、本人には正常バイアスが作用しているのか、ごく平凡な生活が続いているつもりでいる)の細かな部分を、クローズ・アップして描写していく手法は、この時代の村上作品の魅力の一つです。

「私」は、日常の家事、買い物などの様子を事細かに語ります。買い物が大好きな彼は、必要なものをメモにまとめて、いくつもの店を訪れて揃えていく。

そのために使われる黄色い車は、彼が買い物をするためだけに必要に迫られて買った中古車です。今はそんなことを書いても何の感想も持たないでしょうけど、当時(1980年代半ば)はかなり新鮮な車の使い方、だったはずです。
昔は車というものは、お隣が買ったからうちもとりあえず買うものであり、どうせ買うなら隣よりも大きいものを買っといて、月に1~2回乗る、というのがふつうでした・。
タバコと酒のポスターについて、詳細に考察している場面もありますが、酒はともかく、タバコの広告というのも、いつの間にかなくなりましたね。。

僕らが読む分にはまだ体感を伴うリアリティを感じさせるこの小説(ひじょうにリアルではない部分があるのですが、その分現実的な世界はかなりリアリスティックに描かれています)も、若い読者が読むとセピア色の世界に見えてくるのかもしれないです。。ちょうど僕が三島由紀夫の作品を読んだ時のように。
そのことによって作品の評価が変わるという訳ではないというか、むしろ時代性を精密に描写することで、時代を超えた文芸作品としての堅牢性が生まれたというべきなのかもしれません。

図書館の女の子が旧ソ連時代に発見された不思議な一角獣の頭骨について、語るシーンがあります。第一次大戦の前線で指揮を執っていた大尉が、見たことのない動物の頭骨を発見する。生物学の大学院生だった大尉は、その価値に気がつき調査を依頼するが、戦線の混乱で不首尾であった、という話。

この前線は、今回気が付いたのですがウクライナの台地、という設定だったのですね。。作中その場所は「一般にヴルタフィル台地と呼ばれているところで、小高い丘のようになっていて、のっぺりした平原の多いウクライナ西部では、数少ない天然の軍事上の要所になっていた」のだそうで、第一次大戦でも第二次大戦でも、かなり激しい攻防戦が繰り広げられたとのこと。

この地名が実在するのかどうかは不明です(ネット検索では出てこない)。今回の戦争は主に東部地区で行われているので、まだ無事なのだと信じたいところですが。。。
ウクライナって、こうしてニュースが相次いでいると地図が頭に浮かんできますが、昔はピンと来なくて、たぶんベラルーシ辺りにあるものと、頭に描いていた気がします。。


「世界の終わり」が長すぎて、「ヨコハマ買い出し紀行」に言及する時間が無くなりましたが、これ繰り返し読んでも、読むたびに色々考えさせられる作品です。

作品の世界では地球の気候が大きく変わり(その原因が人為的なものかどうかは明らかにされていない)、人口は世界的に大きく減少し、「夕凪の世界」に入りつつある。さらにいずれは「夜の世界」になることが既に視野に入っているようです。
ただ、そこで暮らす人々に悲壮感は全くなく、むしろ今の時代を楽しんでいるように思えます。

ただ、かつてその土地で暮らしていた人たちの「思い」のようなものは、人々の姿が見えなくなり、街そのものも水面下に沈んだ今でも残っているようで、そうした街の跡を眺める不思議な石のようなものが、あちこちに生えています。

この「人々の思い」が、肉体が消えても尚残る、という考え方は、上記「世界の終わり」とも共通します。「世界の終わり」では、そうした「思い」は街を訪れる獣がかいだして、彼らの肉体の中に取り込まれる。それを「夢読み」が読み取ることで、空中に取り出されて消えて行く、とされています。

「ヨコハマ買い出し」に登場する、アルファさんなどの「ロボット」は、やがてすべての肉体が滅んでしまうであろう人類の、生活の記憶をとどめるために作られた、ように読めます(それは僕の解釈であって、じっさいの目的は不明ですが)。

「ロボット」には悠久の時間が与えられているのですが、人間にはそれはない。人間の肉体には、心が期待するだけの時間が与えられていないのでしょう。
なので、度々引用をしていますが第14巻のこれ、ココネさんの発言につながるわけです。


人と交流する運命にある、アルファさん達の心を想うと、彼女たちは非常に過酷な運命を負わされているのだな、と思わずにいられません。
ココネさんは、人間の若い女性らしく、配達の仕事をしながら小さなアパートでささやかな暮らしを送ることに、喜びを見出している。しかし、それはどこにも進むべき路がないのです。

とはいえ、最終回を見ると、彼女もある種の救いを見出すことができたのかな、と思ったりはします。

きょうも暑かったですが、くるま乗ってると適当に風もあって気持ちよかったので、屋根と窓開けてエアコン切ってました。
ただ、右手だけ真っ赤に焼けてしまった。。
と、いう様子を左手でカメラに収めたつもりが、カメラはココのほうに目が行っちゃってる。。

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