うさぎくん

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オリビア・ニュートンジョン

2022年08月09日 | 音楽


26.9.1948 - 8.8.2022
R.I.P.


早朝車を出そうとしていたら、ラジオから衝撃的なニュースが。。

最初にオリビアさんのことを知ったのは「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」を、夕方のラジオで聞いたときだ。TBSラジオで若山源蔵さんのDJで、その時間帯にはちょっと珍しい洋楽をよくかけていた。

オリビアさんは歌手デビューしてから下積みが長かったらしいが、70年代の半ばごろには主にカントリー系の曲を歌う歌手という印象が強かった。

ただ、後に変身することからわかるように、色々な顔を持つ方で、濃い目のカントリーを歌う一方、同じころに可愛くて爽やかな、ちょっとアイドルっぽい曲もヒットさせている(「そよ風の誘惑」など)。

1978年に映画「グリース」が大ヒットし、それまでとは違った、華やかなスターという存在になる。その後はポップな路線が強くなり、ザナドゥ、フィジカルなどのヒット曲を量産する。

1992年に乳がんを患い、その前後から社会活動などに力を入れ始める。

いつからかは忘れたが、FBでオリビアさんの公式ページをフォローしている。もちろんスタッフが構成しているのだろうけど、いつも若々しい姿でにこやかにされている写真が掲げられていて、元気にされているのだろうな、と思っていた。。


今日に至るまで、一番好きな音楽ジャンルは洋楽女性ボーカルなのだけど、そのきっかけはオリビアさんだ。

もっとも実は、ポップ色の強くなった78年以後の曲は、それなりには聴いてはいるが、好きなのはそれ以前の曲だ。

写真のベストアルバムは、’98年にCDとして初めて買ったもの。割と新しい曲も入っているが、版権の関係なのか、グリース関係の曲などは入っていない。

この辺は10年ほど前に、CDで集めだした70年代半ばのアルバム。
今日SNSで訃報のことを話題にしたら、このジャケット絵と「ジョリーン」のことが話題になった。

’76年リリースの、邦題「たそがれの恋」。
爽やか系とカントリー系が両方入り混じっている。
カントリー系は当時の流行だから、今日の目で見る(聴く)よりも、もっとポピュラーな聞かれ方をていたのだと思う。

'77年夏に出た「きらめく光のように」Making a Good Thing Better。
当時のラジオで襟川クロさんが「さわやかな、さわやかな歌声・・」と紹介していたのをよく覚えている。

ジャケットが華やかですごくかわいいので、オリビアさんを聞きたくなったらつい手が出る。

同じ年に出たベストアルバム。邦題は「詩小説」。

これは、生まれて初めて買った30cmLPなのだ。。
上で書いたように、最初にオリビアさんに興味を持ったのが、「カントリー・ロード」だったので、それが入っているアルバム、かつ当時の最新のLPを買ったのは自然な流れだった。。

ちなみに「カントリー・ロード」は、今でも英語で暗記していて、カラオケとかで歌えたりする(と思う)。
むかしのLPレコードは高かったけど、ジャケットはまことに豪華であった。

いまなんか配信とかで、あれだもんね。

これはふわっとしてかわいいでしょ。

当時オリビアさんは20代なのだけど、中学生の少年から見たらすごい大人なわけで、恋い焦がれるという感じではなかった。

ただ、ちょうどこの頃、土曜日の午後、父親と家にいて偶々テレビをつけたら、オリビアさんがアメリカ?のテレビ番組に出演してるのが放送されていた。オリビアさんはなぜか、不思議の国のアリスみたいなステージ衣装で歌っていた。・・と思って今画像検索したら、ちょっと違うかな。。要するにふわっとした感じの、少女のようなドレス。

オリビアさんをテレビで見られるなんて、今までなかったから見たいのだが、父がとなりにいるとなんか恥ずかしい気がして、どうも居心地が悪かった。

コンサートに行ったわけでもないし、継続してずっと聴いていたというわけでもない。でも、人生の3/4ぐらいはずっと聞き続けていたし、なんとなく自分の原点のような感じする方だったので、正直今、とっても悲しい。。
有名人が亡くなられて、こんなに悲しく思うのは初めてかもしれない。。

ご冥福をお祈りします。。

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