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YouTube: 五つの赤い風船 私は地の果てまで
五つの赤い風船は僕にとっては同時代の音楽ではなく、詳しい事は知らないのだが、高校生の頃、偶々FM放送で79年の再結成ライブを放送していたのを録音して聴いて知っていた。
手元にあるのは、レコードでもCDでもなく、ダウンロードした「モニュメント」というベストアルバムだ。ライブでも惹かれたのだが、藤原秀子さんの低い、落ち着いた声が好きなのだ。低音にありがちな冷たさや固さ、力強さではなく、力の抜けた、つややかな声が心を和ませる。たぶん、ライブの時の方がより成熟して一段と磨きのかかった声になっておられる気がする。スタジオ番では余りはっきり歌っていなかったハミングをきれいに歌っていたのがとても印象的だった。経験したことはないが、夜露で湿った低空を、音もなく滑空しているような気分。
録音を聴いていたときも、子供心に?心を癒される思いを感じていたと思う。歌詞がよくわからなかったが、なんとなく、そうか、苦しいときは頑張ったりしないで、逃げればいいんだ、と言うような都合の良い?解釈をしていた。
しかしあらためて考えて見ると、この歌詞は一体何なのだろう?(著作権法上どうなのかわからないが、引用しないと話にならないので;)
苦しいからって 逃げないでいるのは あなただけなのでしょうか?
私は逃げる 地の果てまで どこまでも どこまでもひとりひとりが逃げないでいたら あなたは今 どうしているのか
いろんな夢が あなたを誘い そしてあなたを狂わすそれも気づかず 君はひとりで 生きているのと言わないで
私が逃げても 追う人もいない 人はみんな そうしたもの
(以下略)
何となく連想したのは、マタイの受難の話だ。「私」はマグダラのマリアで、「あなた」はキリスト、しかし、マリアがキリストに向かって、君はひとりで・・と歌うわけがない。
しかし「あなた」はたぶん、何かと闘うカリスマ、リーダーのような人なのだろう。「あなた」は何かに向かって、逃げず、真っ正面から闘いを挑む。しかし、私は逃げる。それも中途半端な逃げ方ではなく、ひたすら、地の果てまで逃げようとする。
周辺の人たちは、「あなた」と一緒に闘おう、と言うかもしれない。しかし闘う相手が余りにも大きいせいだろうか、中にはそれに打ち負けて、「あなた」をおかしな方向に誘おうとする人も出てくる。
また別の人は、表面負けて逃る姿勢を示しながら、闘い打ち勝つチャンスを探そうとする。「あなた」それを理解できず、裏切り者と怒るか、あるいは自らの孤独を嘆き、自分はひとりで志を貫くぞ、と言うかもしれない。「私」は、「君」に向かい、あなたはひとりじゃない、と呼びかける・・。
てな、感じでしょうかね。
時々、これをヘビーローテーションして聴いていたりするが、まあ、余り元気な歌ではないので、そういうときは僕も何かしら抱えている、と言うことになるのかな。ただ、ある種の希望は感じられるし、決して悲観的な歌ではないと思うけど。
最初に書いたように、五つの赤い風船は僕が物心つくより前に活躍した、違う時代のグループだ。彼らが人々にどういう迎えられ方をしていたのか、僕は知らない。ただ、僕がこの音楽にも、そして音楽を通じて見通される当時の社会状況にも感じられるのは、若さだ。
昔僕はこうした音楽を、先輩たちが残した、大人たちの音楽として聴いていたわけだが、そのうち僕自身が彼らを追い越してしまい、僕自身や彼ら、そしてその頃の日本社会の「若さ」を、こうして振り返っているわけだ。言葉にすると大げさになってしまうし、それほど感慨深いわけでもないが、まあそんなことを感じる年齢になったんだな。