図のAとBを見たとき、二つのテーブルの天板がまったく同じ形であるといわれても、とても信じられないでしょう。
ところがこれらを逆さまにした、CとDを見た場合は、二つのテーブルの天板はまったく同じ形だといわれれば、そうだと感じるはずです。
BとCは同じ図形を逆さまにしたものですが、天板部分はBのほうが細長く見えます。
またAとDではAのほうが奥行きが長く感じられます。
そのためAとBはかなり違って見えるのに、CとDは同じように見えます。
原因はAやBを見るときは奥行き感が感じられ、上のほうが奥にあると感じて、目が自動的に焦点を画面より奥に調節するためです。
天板として描かれた平行四辺形の上辺が画面より奥にあると感じて、焦点を画面より奥にあわせるので、天板の上辺が下辺より長く見えて、全体が奥にむかって長く見えるのです。
ところが逆さまにすると、絵としては平行四辺形の下辺が奥にあるのですが、平行四辺形は上辺が奥にあるように見えるので、奥行き効果ガが打ち消されてしまうのです。
CとDの場合は平行四辺形の上辺が奥にあるように見えるはずなのに、絵画的には下辺が奥にあるように見えるため、効果が打ち消しあってどちらも奥にあるように見えないという結果になっています。
目は上辺か下辺かいずれが奥にあるか決めかねて、結局上辺と下辺が同じ平面にあるように見てしまうので、両方とも正しい平行四辺形に見え、同じ形に見えるのです。
ベティ.エドワーズ「脳の右側で描け」には模写をするとき、手本を逆さまにして描けば正しい輪郭の絵が描けるとしています。
エドワーズは手本が逆さまでないときは、左脳がはたらいて頭の中にある既成イメージで描こうとするため、正しい輪郭で描けないのだとしています。
手本を逆さまにすれば、手本の絵は既成イメージと違うので、輪郭を目で見たとおりに描けるとしています。
そうして既成イメージというのは左脳のはたらきで、目で見たとおりのイメージは右脳のはたらきだとして、絵は右脳で描けば正しい輪郭で描けるというのです。
ちょうど右脳信仰が盛んであった折から、この説明は広く受け入れられたのですが、常識的に考えれば根拠のない強引な説明だということが分ります。
エドワーズの説では、正しい輪郭で描くといいうことは、遠近法に忠実で写実的な絵を描くことのようになっていますが、写実的イコール右脳的というのは納得できません。
正しい輪郭で描くのは、こどものうちは難しくても、遠近法などを覚えた大人になれば可能になりますが、子供のほうが大人より左脳的というのは、むしろ逆ではないかと思われます。
上の図の例で言えば、AやBが実際と違った形に見えてしまうのは奥行き間を感じるためで、左脳とか右脳とかは関係がありません。
模写をするにしても、マンガの似顔絵のように平板な絵であれば、見たとおりに模写することが易しく、逆さまにしないほうがうまく模写できます。
平板な絵は奥行き感がないので、焦点距離を変えないまま見ることができるからです。
エドワーズの紹介しているテクニックは焦点距離を動かさずに見るテクニックで、右脳で見るということとは別問題です。
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