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左脳の論理が正しいとは限らない

2006-11-14 22:21:32 | 脳の議論

 ①は有名な4枚カード問題で、「表がDなら裏が3である」ことが正しいかどうかを判定するには最小限どのカードをめくればよいかというものです。
 表がDのものをまずめくるのは当然として、多くの人は裏が3のものをめくると答えてしまうそうです。
 表がBのものはめくる意味がないので、裏が3のものをめくるか7のものをめくるかということなのですが、正解は7となっています。
 これは表がDなのに裏が3でないものがあってはならないので、7をめくって表がDでないことを確かめなければならないということです。
 裏が3のものは表がDでなくても良いので、めくる必要がないというのが、論理的な考え方だとされています。

 このような問題で多くの人が間違えるのは、問題が抽象的で具体性がないので、日常的な感覚では分かりにくいからだとされています。
 それでは②のような問題ならばどうでしょうか。
 これは「宗教Aを信じれば金持ちになる」ということを確かめるにはどれをめくればよいかという問題です。
 ①と同じ形式なので、表が信者になっている1番と、裏が貧乏人になっている晩をめくるるのが正解だと論理的にはなるはずです。
 しかし常識で考えればこの左脳による答えはおかしいと思うのではないでしょうか。
 この場合は1番と2番をめくってみる右脳の感覚が妥当であり、意味のある選択です。
 
 「宗教Aを信じれば金持ちになる」といわれても、信者のすべてが金持ちになると言う主張だと思う人はいません。
 Aを信じて金持ちになった人の例が多ければ納得するのが常識的感覚です。
 信じたけれども貧乏だという例ばかりであれば別ですが、が少しぐらいあっても問題にしないのです。
 貧乏人のほうが金持ちよりはるかに多いのですから、たくさんいる貧乏人の中から信者が一人見つかっても全面否定とはしないのです。
 信者を見て実際金持ちなのかを確かめる、また金持ちの中に信者がいるのかを確かめるというのが普通の対応です。

 ①の問題は規則の問題で、例外がないということになっていますが、②の問題は事実の問題なのですが、事実の問題というのは例外がありますから、反例が見つかればすべて否定できるというものではありません。
 ①は例外がないことを確かめる問題で、②は実例が多いことを確かめる問題なのです。
 ②の場合は1番の信者が金持ちでなく、2番の金持ちが信者でなければまったく信用が出来ない話となります。
 もし4番の貧乏人が信者でも、1番の信者が金持ちで、2番の金持ちが信者なら説得力がある話になるのです。
 つまり日常生活では、左脳的な形式論理よりも右脳的な実例主義のほうが優勢なのです。


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