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文字の形も意味を作る

2006-02-14 23:09:34 | 言葉と文字
 藤堂明保「漢字文化の世界」にある例です。
 単に音を表していて意味がないとされていた漢字の部分にも意味があるという説です。  「主」という字の「、」の部分はじっとひと所にたって燃えている灯心で、「主」は燭台と灯心でまっすぐひと所に止まっているという意味があり、主という文字を部品として持つ字には音だけでなく意味的にも共通点があるとしています。
 「主」という部分が単に音だけを示しているならば、同音の語の意味を知っていなければどんな意味の文字なのかはわかりません。
 ところが「主」の上のような意味を頭において文字が作られたとすれば、文字の意味が見るだけで推測できるというのです。
 
 柱、住、駐などはそういわれればそうかなと思いますが、注となると少しつらいところがあります。
 燃えている燭台と水の組み合わせではじっとひと所に注ぐといわれても違和感があります。
 註釈の意味の註ともなるとさらに苦しくなります。
 注は続けるという意味だとする説もあり、この方が妥当な気がします。
 註のばあいは著と同じであきらかにするという説があります。
 「主」のついた文字はすべて同じ意味を含んでいるとすると、すっきりしそうに見えますが、こじつけめいた感じも出てきます。

 この種の説明は、言葉の意味から文字を作るというよりも、文字の形から意味を解釈しようとするものです。
 言葉としては「住む」とか「柱」といった言葉のほうが燭台などより古いはずですが、造字の段階では燭台が先になったため、文字から意味を考えるという転倒が起きたのでしょう。
 もともとあった言葉を文字という形にしようとする場合、アルファベットなら音を写せばよいのですが、漢字の場合は部品自体がが意味を持っていたりするので、出来上がった文字の解釈はさまざまです。
 文字を見ればその部品からいろいろな連想が可能なので、作られたときの意味とは違った意味が考えられる可能性が十分にあります。

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