「首と肩はどこが境目か」といわれれば「はてな」と迷ってしまいます。
首と肩はつながっているのに言葉では別になっているので、どこが境目かといった質問が出されたりするのです。
学者は「自然は連続しているのに、言葉はものを切る性質がある」などというので、いかにもそうだと妙に納得させられたりします。
たとえば図のように赤と黄色の中間をオレンジと名づけていますが、赤とオレンジの境目はどこか、オレンジと黄色の境目はどこかといわれても答えに窮します。
赤とかオレンジとか黄色というのは人間が作った色の名前で、自然にそういうものがあるわけではなく、人間が言葉を作って連続している自然の色を切り分けて分類しているのだということができます。
しかし赤とかオレンジとか黄色とかいった言葉は人間が勝手に作ったものだから意味がないのかというとそういうわけではありません。
赤とかオレンジとか黄色といった名前は、人間が作ったものですが、勝手に作ったものだというわけではありません。
サルとかチンパンジーに色の識別をさせると、人間と同じように色を見分けるので、色の識別は人間だけのものではありません。
サルやチンパンジーは言葉を持たないのですが、色の識別はしているので、分類とか区別というのは言葉がなければできないということではないのです。
サルやチンパンジーは果実などの食物を色で見分けるでしょうから、言葉がなくても色を見分けるということは生きるために必要なのです。
オレンジと黄色の境目はどこかということになれば、チンパンジーも迷うでしょうが、だからといってオレンジと黄色を見分けないなどということはありません。
ものを区別したり分類をしたりするというのはどんな動物でもすることで、人間の場合は主に言葉を使って分類するということに過ぎません。
オレンジとか黄色とかいう言葉自体はそれぞれはっきり分かれていますが、言葉の示す内容は境界がぼやけていてどっちつかずの部分があります。
オレンジという言葉は赤っぽいオレンジとか黄色っぽいオレンジとかをまとめてオレンジといっているので、見方によっては色を切り取るというより、まとめているということもできます。
眼を閉じてオレンジ色の四角形をイメージせよといわれたとき、どんなオレンジ色をイメージできるでしょうか。
赤に近いとか黄色に近いとかはっきりしないのではないでしょうか。
具体的なオレンジ色を見てそれを想起することは何とかできても、言葉でオレンジをイメージしろといわれてもあいまいな色しかイメージできないでしょう。
日常的な言葉の場合は、色の名前のようにその示す内容は境界がはっきりしないのが普通で、学問用語のように厳密に定義できないのです。
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