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純粋な表意文字

2008-05-17 23:24:48 | 言葉と文字

 漢字は表意文字とか表語文字とかいわれますが、中国語の文字としては基本的には表音文字です。
 漢字が日本で使われるときは、音読みと訓読みというのがあり、訓読みというのは漢字の日本語訳です。
 日本語では表音文字としてカナが作られたため、かならずしも表意文字が絶対なければならないということではありません。
 読みにくいとか、分りにくいとかいっても、工夫をすればまがりなりにもカナ書き文で意味は通じます。

 漢字と訓読みをすべて対応させようとすると、中国にあって日本にないものは訓読みできないので、音読みのまま受け入れるしかありません。
 また日本にあって中国にないものについては、新しく漢字を作ろうとするようになります。
 馬とか梅はもともとは日本になかったので、「マ」「メイ」という音読みが変化して「むま」→「うま」「むめ」→「うめ」となり訓読みのような感じとなっています。
 「菊」のように変化しにくいものは「キク」のままですが、日本語に溶け込んでいるため、訓読みのように感じます。

 「榊」とか「峠」、「辻」などは日本で作られた漢字で音読みはなく、文字の中に表音要素がありません。
 文字を見て説明を聞けばなるほどと意味が分かりますが、「サ、カ、キ」という音声のどの要素もこの文字には反映されていません。
 「働」とか「搾」のように漢字の意味を拡張させたもの(動→働、窄→搾)はもとの漢字の音読みが残されています)は例外としてありますが、基本的には表音要素のない表意文字です。

 日本語に漢字を当てて表意文字を作ると、一字で文字を造字するよりもいくつかの漢字を組み合わせた熟語の形にしたほうが表意しやすいと考えるようになります。
 表意語ということになると表意方法は何種類も可能なので、同じ言葉について漢字表記がいくつもできるようになります。
 表意文字とか、表意語というのは極端に言えば勝手にいくらでも作れるのです。
 たとえば「ほととぎす」は漢語では「小杜鵑」ですが「不如帰」ほか何種類もの表記ほうがあります。
 「あじさい」も漢語では「洋毬花」だそうですが、日本語では「紫陽花」他何種類かの表記があり、どれも「あじさい」という音声を反映してはいません。

 なまじ音声を意識すると「あゆ」のように寿命が一年なので「年魚」といったのが「ねんぎょ」→魚偏に「ねん」→「鮎」(ネン)と表記して、本来の漢語の「鮎」(なまず)と衝突してしまったような例もあります。
 「鰒」も漢語では「あわび」のことなのですが、「フク」と音読みして「河豚(ふぐ)」のことだと思ってしまったようです。
 
 日本語で漢字にルビを振るのは読みを分らせるためですが、すべて音読みならばルビはあまり必要ありません。
 音読みは表音要素があるのである程度読み方を会得すれば、ルビなどなくても読みは可能です。
 漢字の中に訓読み用の表音要素がないからルビが必要になるのですから、もしルビを廃止しようとするならば、当て字をむやみに使うことをやめるべきなのです。
 しかし当て字を全部やめてしまうと、日本語としては味気のないものになるので兼ね合いが難しいところです。