久遠の絃

-くおんのいと-
since 2003/9/1
キレイな写真なんていらない。もっと本当の姿が見たい

一筆

2011年12月31日 23時53分11秒 | 雑記
今年も残す所後一時間。
久遠の更新は除夜の鐘を撮ってこようかと思ってるので少し遅れるかもしれません。

まぁ、今年も休まず更新ができたことにほっとしてます。
たまに24時を回ってから更新したこともあった気がします。
いつも見てくれてる人も、時々見てくれている人も、なんとなく見てくれている人も、
今年もお付き合いありがとうございました。
明日は恒例の初日の出が載るかと思います。

明日も仕事です。今日が仕事納めでした。
納まるものも収まりません。
なんか眠いです。出来れば早く寝たいです。
だけど除夜の鐘を撮るまでは寝るわけにはいきません。
たまに何でこんな事やってるのか不思議になります。
ただ、時々初日の出を楽しみにしてくれてる人なんかもいるので、やめられないのかもしれません。
長く続けば続くほど、終わらせる勇気はなくなります。
継続が力であればまだまだ上を目指します。

続けることは簡単です。三日坊主だって3日続いてるんです。
3日続けて4日目をサボらなければ5日目に続いてきます。
10日続けば11日目が目の前です。
一歩一歩歩いていけば振り返るほどに出発点は遠ざかります。
ただその日々を記憶の奥底に残していくか、こうやって外部記憶として残していくかの問題です。
この久遠の絃はぼくの外部記憶装置。
日々新しく迎える今日の記憶を明日に残していく場所です。
いい写真がとれたらそれなりに、まるで撮らなければ無いなりにでっち上げることで成り立ちます。
同じ写真が並ぶと少し焦ります。空ばっかり撮ってる時もあります。
花ばっかり撮ることも、景色ばっかりの時もあります。

そんな一日一日を撮り貯めていってこんなブログが出来ました。
30歳目前の一人の人間の見た景色ばっかりで、出不精なので同じ景色ばっかりに見えますが気のせいです。
空はその時々で姿を変えます。街はそこにあるものでイメージを変えます。
同じ写真を撮ろうとしても、それは同じ写真にはなりません。
人は一日を超えた時点で昨日とは違う自分になっています。
でも誰もそれに気づかないだけなんです。
だれもが一歩一歩前に進んでます。人と比べたら小さな一歩かもしれませんが、それはそれで個性です。
他人の一歩は羨ましいほどに大きいかもしれませんが、それと同じように足を出してもコケるだけです。
マイペースでいいじゃないか。それ以上でもそれ以下でもない。出来ることだけ、出来ることからやればいいんです。


と尻滅裂なもとい支離滅裂な話になりましたが、もう残す所今年もあと10分となりました。
除夜の鐘を取りにもとい奪いに?。行ってきます。

皆様良いお年を~~~

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