久遠の絃

-くおんのいと-
since 2003/9/1
キレイな写真なんていらない。もっと本当の姿が見たい

三行にこだわってるわけでもない

2009年07月09日 21時03分44秒 | 雑記
基本久遠は三行でかいてますが、最近字余りなのか四行目が出てきてます。
別に必ず三行でかかなければならい決まりなんてないんですが、だいたい三行あればことは足ります。
だから、三行詩とか五行詩とかそんな枠には収まりたくないので特に気にしてません。

元々隅、もとい趣味で始めたものなんでそこまで考えてません。要するにテキトーです。
努力と根性は口でいくらでも言えますが、継続は時間がかかります。じゃぁ続ければ何か見えてくるんじゃないかと思ったのがきっかけでしょうか。
そういえば今年の9月から7年目に突入します。要するにここのブログの中に6年間の日々がつまってるわけです。
そろそろ誇りとして掲げてみてもいいんですが、叩けば落ちてしまいそうなのでもう少し固めてみようかと思います。

なんというか”知ったこっちゃない”と言いつつも後ろ髪を引かれているような気分。そろそろ久遠もネットだけでなく、本として外に出してみようかと思ったりしますが、まだ二の足を踏んでます。
どっちかって言うと二の足を踏み出そうとして逆の足を踏みつけちゃった感じでしょうか。その場から動けず片足で立ってふらふらしながらどっちに倒れるか考えてる。妙に余裕があるように見えますが実は必死なのかもしれません。倒れるのが怖いから現状維持ですね。倒れてしまえば起きあがれるのにね。

人間どっかに流れがあります。順風満帆といった言葉があるように、風が吹けば船は進みます。もう少し風を待ちながら舟を造っていこうと思います。


何が言いたいかというと、誰に決められたわけでも、自分を縛ってるわけでもなく日々撮りたいものを撮って、書きたいことをかいてるだけです。
でもここまで続けているとやめることが出来なくなります。たばこと同じようなもので、中毒なのかやめると禁断症状が出るのかもしれません。
でも長めのお話を書くにはそんな状態も必要なのかもしれません。もしかしたらやめるよりも書き続ける方が気分的に楽なのかもしれません。
一日が24時間しかありません。だから一日につき一本だけ。続けるためにはがんばらないことが大切です。
少しでも気負ってしまえば折れてしまいそうです。折れてしまえば元には戻りません。ゆっくり行っても誰も文句は言いません。歩き続けていれば何かが見つかるような気がします。

今はまだ歩いていくだけです。

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