久遠の絃

-くおんのいと-
since 2003/9/1
キレイな写真なんていらない。もっと本当の姿が見たい

たまには

2010年08月26日 21時51分28秒 | 雑記
たまには普通の文字も書いてみようかね

そんなわけで仕事が一段落し始めたんですが、まだもう少し忙しい日々が続くようです。
喉元過ぎて熱さを忘れたのか夏休み期間の記憶がほぼありません。
なんだか全部吹っ飛んでる気がします。

いつも気がつくと夏が終わってるので寂しい限りですね。
秋には秋の楽しみ方がありますが、夏休みの宿題が終わらないと嘆いてみたいものです。

そういえば最近ノンアルコールでノンカロリーなビールが出回ってるとか。
っていうか成分表示見てたら”炭酸飲料”って書かれてました。すでにビールではありませんね。
まぁ、ゼロというのも表示の魔法らしいですが、水でもなくソーダでもなく炭酸の入った水のようで水でないものなんでしょうか。

こうなってくると未成年が飲んだとしても特に問題がなくなってきそうですね。
たとえがぶ飲みしたところで炭酸飲料なんですから。
無茶な世の中になったもんです。


そういえば百歳を超える戸籍の人々がいろんなところから出てきてますね。
でもそんな時代から戸籍があって、それがちゃんと保管されているというのもなかなか立派なことじゃないですか。
戸籍ができたのが明治維新の時でしょうか。そんな時代から脈々と現代に残ってるんです。
いまさら死亡が届けられていないとかそんなことはどうだっていいんです。
紙の上にはその人が生き抜いた時代があるんです。
明治の前には江戸時代がまってます。そこからたかだか二百年くらいしか経ってません。
この二百年のうちにいったいどれだけ人間が進歩したのか。
こうやってパソコンを使ってインターネットで文字と写真を発信しているわけですが、ここまでの発展を誰が予想したでしょうか。

人間が空を飛ぶことを想像し、誰もが無理だと笑った技術を飛行機という形で実現し、地球は平面であり世界の果てを探して空に登れば青くて丸い地球があったわけです。
人の想像は無限であり、誰かが証明するまでそれを否定することはできない。証明ができたとしてもそれが正しいとは限らない。
覆される常識はいつもどこにでも転がっている。
ただ、そんな常識がどんどん固定化されていき、夢の幅がどんどん狭まってしまっているように感じてしまう。
足で歩いて旅をする。それが電車になり汽車になり新幹線となって日本を結ぶ。空を飛び越えて海外にまで行ける。
目的地を歩くことだけが旅ではない。その道のりこそ旅なんだと思う。

人が描いた夢がだんだんと現実になっていく。未来を想像することがだんだんと少なくなっていくような気がしてならない。
いつか車を持ちたいという夢さえも日常の足になってしまえば物足りなく、山道をひいひい言いながら車で走っていたはずが、高速道路ができて楽になった。ただ楽になったらなんだか平坦すぎて物足りない。
夢が現実になることは次の夢を探さない限り平坦で退屈なものになりかねない。
だからこその技術であり進歩であるが、大きな進歩を指折り数えてみるも世界の速さが両手の指では数えきれない。
一年間に起こった出来事が即時の情報として蓄積されていく日常。紙の上にあった文字たちはパソコンの画面上に表示されて、それはいつの間にか携帯電話にも。

進んでしまった時間はもとに戻すことができない。溢れ出る泉の水を誰も止めることができず、いつかその水が世界を覆ってしまうのかも知れない。
ただそうなった場合、宇宙へ、別の星へ移住していくことになるのかもしれない。
SFの世界だと笑うなかれ。笑われ、あざけられた妄想とも取れる思いから新しい世界が生まれていくのである。
100年200年前の人々が無理だと笑った世界が今ここにあるのだから。




・・・なんだろう。いつのまにか真面目に語っちゃった。

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