真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

財務ってなんですか? その10

2013-06-16 22:27:17 | 創価学会問題

-創価学会基礎知識・その13 「財務ってなんですか?」

【「白バラ通信 パンドラの箱」コメント欄】より

”勲章と称号”と金権工作・・・その(2) 

≪ 自己宣揚と金権工作≫ 

◇創価学会・「聖教新聞」では、池田氏に関する勲章や名誉称号などの顕彰を「民衆絶賛の証し」などと宣伝している。
しかし、実際には寄付行為をはじめさまざまな「金権工作」の結果であることは、すでに多くの創価学会幹部や関係者の証言によって明らかになっている。
 

☆昭和50年~54年頃、池田大作氏の右腕と称された「故・福島源次郎氏」は池田氏の「自己宣揚」に対して、次のように厳しく諫言している。
(原文を一部短縮して転写します。)
 

『諫言の書』 より (昭和61年4月)
先生の言葉『私は栄誉は欲しくもありません。無関係な人間です』。このことを聞いた時、言い知れぬ感動に襲われました。・・・・。
機会あるごとに、『名聞名利を排せよ!』と先生はよく指導してこられました。私たちは、先生ほど『名聞名利』に無縁の人はいないと信じぬき、門下として私たちも名聞名利を叩き出そうと努力してまいりました。

昭和58年8月、新聞を見た私は、我が目を疑いました。先生が 「国連平和賞」を授与されたと大きく報道しているではありませんか。
そんなバカなことがある筈がないと思いました。しかし、事実です。その時の衝撃、その時の情けなさ、お分かりいただけるでしょうか。
 

仏法の指導者、広宣流布の最高指導者し自認する先生が、かかる栄誉を受けることは、一体どのように解釈すればよいのでしょうか。
「私には名誉も称賛もいらない」と言い切ってこられた先生が、いともあっさりと名誉を受け、且つそのことを機関紙で大きく報道したのです。
 

「ノーベル平和賞」であろうと、「国連平和賞」であろうと、所詮、世俗世界の名誉の領域のものです。宗教者がその栄誉を受けるということは、その権威に屈するということを意味します。

日蓮正宗・創価学会の指導者が、いかなる理由があったにせよ世俗の栄誉を受けたということは、仏法が世俗の権威に屈し媚びている姿であり、信仰の堕落を意味するのではありませんか。まさしく「法」を下げたのです。

数多くの青年に「名聞名利を追うのは信心の堕落である」と指導してきたその本人が栄誉賞を易々と受け、更に各地に展示して会員はおろか外部の人にまで披露している、これ言行不一致以外の何物でもありません。

青年訓に曰く、『愚人にほめられるは、智者の恥なり、大聖人にほめられるは一生の名誉なり』と。
ほめられるのは、大聖人ただお一人からだけでよい。ーーこれこそ、学会精神の骨髄ではありませんか。時が変わり、移ろうとも、変えてはならぬ原則があります。これを安易に変え、時の都合に合致させるはまさに破廉恥の人と言わざるをえません。

友人のある官僚が、「国連平和賞を貰うなんて、池田大作という人も案外その程度の人物だったのだな。せいぜい『笹川良一』並みの人間でしかないね。君には悪いけど、見損なったよ」と酷評した時の口惜しさ、彼に先生のことを何度も語り、宣揚していただけに私の胸をえぐりました。

現在、霞が関筋では、「学会は国連に相当な金を積んで平和賞受賞の工作をした」、或いは、「ノーベ平和賞を貰えるように、あちこちに働きかけをしているようだ」ということが囁かれています。仏法を傷つける「乞食の如き行為」は、事実でないこを願うのみです。

先生の「平和行動展」・・・これも又同様です。心ある人々は、個人宣揚のイベント、或いは、デモンストレーションとしか捉えません。
先生だけが、各国元首や著名人と会ったり、歓待されている写真だけの展示を、どのような人が感銘をもって見るのでしょうか。普通の常識人なら、その意図があまりにも見え過ぎて嫌悪感を抱くのが当たり前と思うのです。

先生撮影の写真展においては尚更のこと、このような先生の意図ありありのイベントが、広宣流布の名のもとに多額の経費と労力を使って開催されるのはなぜでしょうか。
自己宣揚のイベントを、どのような理由にせよ容認し、促進させているという基本姿勢にこそ仏法指導者として大きい問題があると言わねばなりません。
 

又、池田講堂、池田墓苑、池田文化会館、等々「池田」を冠した建物がいくつもできております。今や、その数三十になろうとし、中には、先生自らが『ここに池田〇〇を作ってあげよう』と言って建設したものもあります。

世間の常識では、建物等の物件に人名を冠した名称をつけるのは、その人物の遺徳を偲び讃えて、縁有る人々が命名するものです。生存中には有りえないことです。
いわんや、本人自らが生存中に、自らの名を冠して命名するなど、全くあり得ないことです。もしあるとすれば、自己宣揚の異常欲望にかられた独裁権力者のみが為し得るところであります。

今、先生が命名なさるとすれば、牧口先生、戸田先生の名を冠することであります。
牧口先生、戸田先生を冠する建物も昭和50年前後数件に止まり、今は全て「冠池田」の建物ばかりです。
 

かかることは自分の権威を誇示し、自らの名を後世に残そうとする異常な「自己宣揚」行為と見なされてもやむをえません。
そう批判されても、中傷・誹謗と反撃できる根拠はもはや何もないことを認めざるをえないのです。
 

最期に、『人間革命』について触れておきたいと思います。『人間革命』の執筆の動機は、”戸田先生への報恩の誠”でありました。
それは第二巻のあとがきに、先生自ら「そのほかに他意はない」というものでありました。
 

この書の主人公は言うまでも無く、戸田先生であります。しかし、明らかに戸田先生と山本伸一の二人の主人公が存在し、弟子の山本伸一もいかにも偉大なる存在であったかが一貫して描かれています。次第にそのウエイトは大きくなっていきます。
戸田先生への言及、配慮は一往なされていますが、山本伸一の偉大さが戸田先生を超えて大きくクローズアップされていることは、一読で了解のことでしょう。
 

結論するに、この『人間革命』は恩師のことを語りながら、それを通して弟子である著者の偉大さを語り残そうという意図がいたるところに現われ、それがこの書の欠陥、限界となっているということは否定できないようです。

冷静に観察しますに、自らの偉大さを語るということは『人間革命』の中ばかりではなく、数多くの言動に見えているのであります。それは、慈愛の一念とは異なる、私たちを畏敬させ、随順させようとするがごとき一念の様相を持っています。

あるマスコミに従事している友人が語るには、「日本における自己宣伝の最たる人物は、政治家を除けば、一に「池田大作」、二に「笹川良一」というのが業界の通念だね」と。
これに対し、反論のしようもない現実が余りにも情けなく、ホゾを噛む思いでした。
 

このような壮大なる量と質の「自己宣揚」の現実の前には、広宣流布のためとか、学会を守るためとか、会員に自信を与えるためとかの弁明は一切通用しない状況になっていることを、しっかりと認識すべきです。

そして、仏法指導者として「自己宣揚の姿勢」そのものが基本的に誤りであり、そのことにより、どれほど仏法を汚し、世人に学会を軽蔑させてきたかを深く反省なさるべきです。

創価学会の如何なる人物の学会や池田氏の正当性を説く言葉よりも、こういった批判する人々の言葉における説得力や義憤による熱が、遥かに心に伝わるのは私がアンチ学会だからというだけではないのだと思うのですが、皆様は如何でしょう。

大体私ってそもそもアンチでもなかったしね。学会を調べ始めた当初は。

学会のことを知らなければと調べ始めたのだって、学会の公式HPとかから入りましたしね。

学会の何たるかを全く知らずに、学会員である母親のことも母親個人の性格の問題だとしか思っていませんでした。今考えると何たる無知、無関心だったことか。

それはさておき、創価学会では選挙モード真っ最中のようです。

法戦に人生を賭ける学会員さんたちは、彼らは彼らでそれなりに「選挙=広宣流布」という構図を解釈しているようなので、こちらの一般的な疑問はそもそも通用しないのだということがよく分かりました。

ではどうすれば「選挙=広宣流布=功徳」ではないと理解するのでしょうか。

学会活動に邁進する人がそれを理解するときは、非活になる時か脱会するときかも知れません。

面白いのは、公明党が集票力を失くし党として存在できなくなったとしたら、その時の言い訳が期待を裏切らないものであろうということでしょうか。

その時はその時で「選挙=広宣流布=功徳」ではないという何らかの正当性を説く曖昧な教義が打ち出されるんじゃあないかと、何となく思ってみたり。

でも公明党が存在しなくなるような時は末期状態ですね。

その時が楽しみです!


4 コメント

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『諫言の書』は全文、持っています。 (kan)
2013-06-21 01:49:29
『諫言の書』は全文、持っています。
昔、たまたま載ってたサイトを偶然見て、全文プリントアウトしました。

池田氏ほど側近が離れていく人間も珍しい。
側近に見限られる人間も珍しい。
所詮は、それだけの人間ということだ。

そんな言葉を『憚りながら』という著者が語っていました。
たしjかにそうだよなぁ・・と思ったものです。

仰るように、今は選挙選挙です。
創価は若干衰退してるとはいえ、ちゃんと勝ってくる布陣をしいてる気がします。
我々の望む現実には、まだまだ時間がかかると思います。

でも、「かたつむり」でも歩みを止めなければ、やがて過去とは違う位置にいる。
そう思っています。

池田創価にとって、今は正念場です。
ささやかでも、日本のためにカルトのブレーキになれば!と思い、貴ブログと他にも多少無理して拙き文章を書きましたが、あまり役立っていない気もいたします。
愚かな駄文を、いろいろと語りすぎたかもしれません^^;。

でも、一人でも票が減れば・・・
それで嬉しいです。
だって、日本の平和に繋がるのですから。
返信する
クロさん おはようございます♪ (ミルフィーユ)
2013-06-23 10:54:32
クロさん おはようございます♪

いやはや 今日の公明日曜版の写真は怖~いッ!!(>.<)

見出しに「公明23候補最後まで執念の猛攻」とあり、1面には超重点区の候補者が山口代表と必死で訴えてる写真と3面には全候補者の鬼気迫るような写真が載ってました。

聖教の寸鉄には
「途中に何があろうが、最後に勝て! 断じて勝てーー恩師。
民衆勝利の凱歌を」
「きょう都議選投票日。首都の針路を決める1票。政策と実績見極め選択を」

と言うのがありました。

もちろん名誉会長夫妻も1票を投じに近所の投票所に足を運ぶんでしょうねえ。

それとも期日前投票を既にしたのかな?

毎日 精力的に執筆活動をされ、各種会合には長文のメッセージを贈るほどお元気な名誉会長ですから投票所に自ら歩いて行き1票投じるのは当然でしょうねえ。


本幹や普段の会合をやめてまで会員にF活動させてるけど、トップの名誉会長はどんなF活動をして今回の選挙を戦ったんでしょうね。

ぜひ聞いてみたかったけど…

そうそう、昨日もおとといも 寸鉄に

「世田谷が乾坤一擲の奮戦 勝つと決めた方が勝つ!…」

「目黒の勝利こそ大東京の勝利。 断じて壁を破れ!…」

「世田谷、目黒よ『まことの時』は今だ!…」としつこいくらい連呼してました。

きのうの「今日も広布へ」には
「私は、日本中、世界中を回って、妙法という平和の種を蒔いてきた。 大地に題目を染み込ませる思いで、真剣に祈り抜いてきた。

今、どの地でも、後継の陣列が躍り出ている。 これほどうれしいことはない。…」とあったんですが どこの地域の話ですか?と言いたい(笑)


私のまわりを見ても男女青年部の姿はまるでなし。 うちの娘も一応 名簿上は女子部員ですが 女子部の人はここ何年も訪ねて来やしない。


そうそう何年ぶりに来たなと思えば 投票日の夜に「今、7時。投票が終わる8時までまだ1時間あるよね。○○ちゃんもお題目を上げて心に思い出を残して欲しいから急いで来たのよ」と 真顔で話してたのには引きましたね(笑)
返信する
kanさんへ (クロ)
2013-06-23 17:42:22
kanさんへ

池田氏は最高の指導者という位置づけはそのままに、その指導が至らなかった現象については理解しない相手が悪い、という。
理解しない相手を理解させてこその指導なのだと思うのですけどね。
「池田大作の品格」の中でも、池田氏は自分の虚勢が通用する場面にしか出て行かないというようなことが書かれてありました。
裁判への出廷や国会の証人喚問を激しく恐れるのもその現われでしょう。

今日は都議選ですね。
ちゃんと衰退してくれたらいいですけど、石原氏の維新は今はあんな状態ですし、敵失という勢いもなくもないのか・・・。
ミルフィーユさんの新聞情報からも伺えるように、ほんと選挙屋さんですしね。


>ささやかでも、日本のためにカルトのブレーキになれば!と思い、貴ブログと他にも多少無理して拙き文章を書きましたが、あまり役立っていない気もいたします。

とんでもないですよ~。
私は初めてkanさんからコメントを頂いたとき、私のブログが認められたような気がしてとても嬉しかったのを覚えています。
友達にメールして報告しましたもん。
カルト撲滅のためにというkanさんの熱い思いは、きっと多くの方が感じ取っていることでしょう。
その熱がきっと、日本の平和を掴むんですよ。
返信する
ミルフィーユさんへ (クロ)
2013-06-23 17:51:23
ミルフィーユさんへ

こんにちは!
いつもありがとうございます。

いや~、写真は分からずとも怖いの伝わってきます!
聖教の寸鉄とか、一体何の新聞だ!?って感じですよね。いつものことですが。
「勝て!」って言っても公明党が勝つことの一択でしょう。どこに投票の自由があるのでしょう。


>もちろん名誉会長夫妻も1票を投じに近所の投票所に足を運ぶんでしょうねえ。

そのはずですよねぇ。期日前にしても、ちゃんと投票したのでしょうねぇ。
F活動にしてもそうです。
どうしてそのような報告や写真が載らないのか。
一番のカンフル剤になろうというものなのに。

投票日の夜に題目のお誘い、ちょードン引きなんですけどw
あー、こういう人たちが学会を支えているんですね・・・。
学会もまだまだ、まだまだですねぇ・・・。
しかし、そっかあ・・・。
選挙で戦うこと(必ずしも勝利でなくとも)が思い出であり、信仰になっているという、狂気の沙汰を垣間見る現実ですね。
そういう自分が好きなんだろうなぁ。かわいそうに。
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