今週もちょっと忙しく、簡単更新です。
一連の認知的不協和の記事を書いていて、ふと思ったことがありました。
この認知的不協和は、元活動家でアンチになった人にも当てはまることが多いぞ、と。
改めて言っておきますが、この「認知的不協和の理論」というのは善悪では悪だとか、これ自体がマインド・コントロールということではなく、誰にも備わっている単なる心理作用でしかありません。
その心理作用を利用して都合のいい方に誘導するのが、マインド・コントロールの手法であるということです。
で、熱心な学会員さんが何かのきっかけで覚醒し、アンチとなった場合にも強烈な不協和を生じているのではと思います。
私のような元から信じていない、信仰も人間関係も学会に持ち合わせていない人間は別として、元活動家であったり、信心をマジメにやってきた方々が覚醒した場合・・・。
それが目の醒める様な本当の覚醒であった場合は尚更ですが、長年心の中に矛盾を感じていたような方でも、いざ「学会はおかしい」という確信に至った場合、確信の裏側でまだ学会を100%見限れていない自分を感じられる方が多いかと思います。
そりゃそうですよね。手のひらを返すとは言いますが、そんなに簡単に完全にひっくり返せるような人はいないと思います。
そうした状況下、心の中では大きな不協和が生じています。前回書いた記事にもありましたように、認知要素がその人の中で重要であればあるほど、不協和は大きいのです。まじめな人ほど悩む、ということですね。
学会の悪い部分に確信を得ていても、それでもやっばり信じ切れない気持ちが最初はあることでしょう。この相反する二つの認知要素によって、そしてその気持ちが大きければ大きいほど強烈な不協和となって、覚醒した人を襲うのだと思います。
よくネット上で、アンチになって学会批判の書籍やブログを読み漁ったという人や、ブログのコメント欄で他の同じような気持ちの人の書き込みを読み漁ったという人は多いです。
これはその不協和を解消するための行動の一つなのだと、思い至りました。「認知的不協和の理論 その1」で書いた、人間は自分自身の内部に矛盾がないように努力する、ということではないかと思います。
そして「認知的不協和の理論と転重軽受」の記事に書いたように、自分の選択が間違いではない理由を探すのです。
アンチブログのコメント欄で、他の人の書き込みに共感して自分の心が軽くなった、救われた、という話はよく目にします。私自身も、その気持ちはとてもよく分かります。
何故心が軽くなったのか。それは自分の中の不協和が解消されていくから、だったのかもしれませんね。
大事なことなので繰り返し言いますが、それが悪いことではありませんからね。
では、認知的不協和になったアンチの人は、ずっとそうして不協和を解消するために学会批判を探し続けるのでしょうか?
これもこのブログをご覧のような方ならばお分かりの通り、皆アンチを卒業していくのですね。
学会に対して整理しきれていなかった心が、時間と共に、多くの情報に触れるにつれ、創価学会に対して「不協和」を起こすことなく「これが学会なのだ」と納得して見ることができるようになるのでしょう。
無論、学会に対する思いや考えは個人差がありますので一概には言えませんが、私が見てきた学会アンチブログ界の中ではそのような人が多いかと思います。
アンチを卒業する、と言ってもそれは学会に対する認識を良いものに改めるという意味ではなく、学会とは関係のない自分の人生を歩んでいく、ということだと思います。
例えば身近なご家族がまだバリ活とか、会社関係などでバリ活さんとは付き合い続けなければいけないとか、なかなか学会と縁の切れぬこともあることでしょう。
それでも確実に、認知要素の重要度としては下がっていくでしょうし、そうなれば不協和も軽くなっていきます。
何よりそうなって自分の自分による自分だけの人生を歩んでいくことこそ、アンチにとっての幸せの花道なのです。
アンチは卒業してこそ、アンチとして完成するのではないでしょうか。
え?このアンチブログを5年も続けてるクロはどうなんだって?
私ってだから元々、学会に対して認知的不協和を(たぶん)起こしてないからなぁ~w
まあそれでも、いつかネタ切れするか学会が先に崩壊するか、何らかの理由でブログ自体は卒業する日も来るでしょう。
でも母親とのことって、解決する日が果たして来るのやら・・・。
このブログ見て面白いと思いコメントしました
自分は学会二世で社会人になってから本格的に活動してました
数年前の選挙の時むなしくなって活動を辞めました
自分にとって信心続けることに何のメリットも感じなくなったのです
ことあるごとに功徳あるからとか宿命転換とか餌で釣ってやらせてる組織が堪らなく許せなくなりました
だからどんな使われ方されようが構わないって感じです
こんな思考停止して散財する操り人形になれと言われて誰がなるんだろう?
洗脳とは本当に怖い(笑)
ぜんぜん関係無い話すみませんでした
これからもちょくちょくブログ読ませて勉強させていただきますm(。_。)m
卒業してこそアンチ一人前、わかる気がしますね。
揺り戻しがこないように、こうしてクロさんのブログをはじめ、様々拝見しては自分に自信をつけている感じです。
いままさに悩んでいる方々にも、創価学会?そういえばそんなものもあったわねー、若気の至りねー、なんて笑い話になる日がくればいいんですけどね。
そうそう私のお仏壇、クロさんのアドバイスを受けてネットで探したら、最近は中古市場があるんですね。無事に買い取られていきました。
さすがに曼荼羅付きでヤフオクに出品する気にはなれなくてw
それでも悩みました。
これ以上被害者を増やさないためには、粗大ゴミとして捨てるべきなんじゃないかと思って。
でも決して安い買い物ではなく、しかもまだまだ綺麗で、これまで創価にかけてきた金額を思うと、売ったところで微々たるキャッシュバックだとw割り切ってしまいました。
いずれ私の仏壇を手に入れた人が「功徳だわ!」と喜ぶ姿を思うと複雑な心境です(-ω-;)
ちなみに、知らない間にお客様の声として私のやり取りが掲載されていましたが、えっわたしそんなこと言ってないよ?(゜◇゜)というくらい話が盛られていたのには笑えました。
まあ商売ですから印象を良くしようというのはわかりますし、どこでもある話かもしれませんが、新聞の体験談といい創価学会ってそういう体質だよなーと改めて認識した次第です(^^;)
今日は少しお笑い話をひとつ!!
先日、私は約二年半ぶりに
地区協議会に出席しました!
と、いっても動機は不純でして(笑)
実は私、皆さんもご存知の
アイドルグループのAKB48の大ファンでして
とりわけチームAの中村麻理子ちゃんという
メンバーを神推し(すごく応援してる事)
してます。AKBグループではただ今
37枚目のシングル選抜総選挙を実施中
でして、ここからは皆様ご存じないかも
しれませんから説明しますと
シングルCD(¥1000~¥1500)を購入すると一枚投票券が入ってまして、その券のシリアルナンバーで、お気に入りのメンバーに一票が
投票出来るしくみになってます。
私のような熱狂的ファンは、何十枚いや何百枚も買い込んで、投票する訳です!
(私が今回何枚買ったかはヒミツ!)
もちろん自分一人で全て投票する事も可能ですが(パソコン、スマホ、携帯からできます)同一アカウントからの投票を快しとしない私は、それこそ学会の選挙活動ではありませんが、持てる人脈を総当たりにしてCDを差し上げ、投票依頼をしています。
ここまで言うともうおわかりですね(苦笑)
私はアイドルグループの選挙活動に
学会地区メンバーを利用しようとしたのです
実利とイヤミをかねてね!!
久々に協議会に出てきた私を
地区の人々は
「やっと信心に目覚めたのかしら」
「なにか悩みでも?相談乗るよ」
などなど、訝しがりながらも歓迎しました
そこで私は
「いや、今夜は選挙のプロでいらっしゃる
皆様に、選挙支援をお願いに来ました!」
と、先ほどの説明をしました。
みなさん目を白黒させて、なかばあきれ顔
「むろん協力するけど、あなた
その熱意を学会活動、とりわけ財務や法戦にかけたら、どんなに功徳をいただけるか」
と、私が期待してた答えがかえってきました
そこで私はピシャリと一言
「私は、自分の納得する事にしか
労力やお金はかけたくない主義なんです」
もうみなさん、何も言いませんでしたよ!
帰りがけ(その日は7名出席、7票獲得)
「今夜はご協力ありがとうございました
しかしながら、私は皆さんの選挙活動には協力しませんので、あしからず!また来年お会いしましょう!!」
と、一言吐いてきましたよ。
by非活の現役B長
そして皆様へ
梅雨シーズンですね
夏前の時期、体調など大丈夫ですか?
今日は朝から雨模様
今も雨音が窓越しに聞こえています。
その音たちは四季の流れが奏でる自然のメロディー♪
そんな気持ちにもなります。
「覚醒」
そのきっかけは、人それぞれだと思います。
カルトの実態をあからさまに見ての覚醒。
異常な搾取の実態を目の当たりにしての覚醒。
あまりに不幸な人が多い創価学会員を見ての覚醒。
その他、様々だと思います。
案外、人の気づきは些細なことからです。
雲の切れ間から射す日差しに、ふと我にかえる人もいる。
自然の雨音で、ふと何かに気づく人もいる。
「愚かさへの気づき」、「真実への覚醒」
それらは案外、普通に生きてる自然の流れの中に、小さく静かに光る蛍のようにあるような・・・・そんな気もしています。
四季を彩る天の采配
気づきや覚醒もまた、その人にとってベストタイミングで訪れるのかもしれません。
雨音を聞きながら、ふとそんなことを思いました。
コメントを拝見すると、なんか新しい方々もいらっしゃってるようで・・・・実に嬉しく思っています^^。
貴ブログに親近感を覚え、閲覧し、そしてコメント。
ボクはもの凄く嬉しい気持ちになりました。(^0^)/
全てはクロさんのお人柄のたまものですね^^。
そして嬉しいといえば、:時空無限さんのブログ
「創価学会批評ブログ」です。
あるランキングでは、なんと一位でした!!
素晴らしい!!!
いやあ、もうボクはとても嬉しい!!
口元が緩みます。
地味ながら周囲にPRした甲斐がありました。
深夜、傾けるグラス
酒の味もとても美味くなります。
クロさんのブログ同様、お体に気をつけていつまでも続けて戴きたいものです。
今は一人でグラスを傾けていますが・・・・
いつの日か、髙倉先生やクロさんや、時空無限さんや、桃太郎さんや、ラカンさんをはじめ、多くの人たちと一緒に美酒を味わいたいものです。
とても楽しくて、心地いひと時だと、今想像しても笑みがこぼれます^^。
クロさんと共に皆で卒業式ができたら、さっぱりスッキリするでしょうね。
何より、元凶の創価が崩壊することが一番ですけどw
やっと役職から逃げ切り、一応静かな日々を取り戻せたかなと思っていたのですが…やはり創価w
一筋縄ではない粘りとしつこさに辟易しています。
地区婦から電話で、「最近会合でもなかなか会えないし支部婦がちょっとお話したいと~いつが都合いいですか?」と。
内心うんざりしつつ、「そういうの迷惑なんです」と喉元まで出かかったのを母の顔を見て辛うじて押さえ、のらくらと明言を避け約束せず切りましたw
もはや、人材どころか「人」がいないのでしょう。
見渡せば壮年、婦人の大半は高齢者。女子部に至ってはここ数年まったく見かけませんし、青年部といえば妻子持ちや四十路近くで青年と呼ぶのも片腹痛いw
先細り必至ですね。
最近、ネットを見ていても学会の一番の戦力(に仕立て上げられていた)婦人部の覚醒が広がっていることがその証左だと思います。
以前、バリ活の知人が部員さんのことをボヤいていたのを思い出します。
お母さんが存命中は会合もまあまあ出ていた婦人らしいのですが、「お母さんが亡くなってからはパッタリ出なくなって」と。
その時は何気なく聞き流していましたが、今ならよくわかりますw
恐らく彼女は元々非活予備軍で母上の立場を考え、会合参加していたのではないでしょうか?
勝手な解釈かもしれませんが、自分が覚醒してみると様々なことが見えてきたような気がします。
クロさん始め多くのアンチブログ、また寄せられるコメントを拝見しても脱会予備軍が続々と増えていることを感じます。
どうにか脱会が出来た今でも、
まだモヤッとしたものはあります。
私の覚醒の大きなきっかけは、多分、何十年経っても笑い話には出来そうにありません。
当時の出来事は、思い出すと辛いばかりなので、ふたをして心の隅っこに追いやるように、常に意識しています。
具体的にどんなことがあったのか、身バレが確実なのと、思い出したくないのと両方で、こちらでは書いていません。
枝葉のことは、過去にぐだぐだと書かせていただきましたが、肝心なことは実は書けずにいます。
他人の死に際して、人として絶対にしてはならないことを、やってのける創価学会員。
病室で、葬儀の場で、道端で、自宅で。
一生許せない気がします。
何が許せないって、そういうことを、やっても良いという創価学会の思想が許せません。
大っっ嫌いな学会員もたくさんいますが、もちろん全員ではありません。
懐かしく有り難く思い出す方もいます。
でも、恐るべしは創価学会のネットワーク。
誰かに少し、心開いてぽろりと話したことが、横・横・縦・横・縦・・・と広がって跳ね返って来てしまう。
私の場合は、新しい人生を歩いて行くために、創価学会員全員から離れるしかありません。
でも『創価学会員』とひとくくりにするのは、本当はしたくない・・・。
この矛盾が、今の私の『認知的不協和』なのかなと思います。
なんだか分かるような分からないような話ですよね。
覚醒の形はひとりひとり違うのだと思います。
クロさんのこのブログは、私には安定剤みたいな存在でもあります。
卒業にはまだ時間がかかりそうなので、もうしばらく居させてくださいね。
仕事の関連で、資格をとるために某学校に行ってます。
日本史も縄文時代から勉強しなおしていますが、とても面白いです。
日蓮さんがスーパーヒーローだったわけではないのも、よくわかって来ました。
日本の国が栄えたり乱れたり、文化が花開いたりするのに、日蓮さん関係ないですもんね。
創価の思想に認知的不協和を感じている方がいらしたら、是非歴史をひもといてみてはいかがかなと思います。
それにしても、
マリーナさんが仰るように、脱会予備軍、たくさんいそうですね。
未知数の『希望の友』って感じです。
昔、子供向けに『希望の友』って漫画本がありましたけど、あまり儲からなかったのですかね、いつの間にか無くなりましたねw
うっとおしい梅雨の季節もkanさんのてにかかると、ロマンすら感じてしまいますね。
アッと、kanさん始めまして。非活婦人部のセイコです。
ステキなコメントにいつも感嘆してます。
読みまくりましたね。ブログも書籍も。
まさか、ここまで・・・とか。
いやいや、自分の経験から、これはあり得る。
もしかして、私騙されてた?
じゃあ、今まで私のやってきたことは?もういろんな感情が入り混じって、ちょっとしたパニック状態に陥りました。
そんな中で自分の考えを固めるために読み続けました。
あとね、誰かに背中を押してもらいたくてコメントしたんだと思います。
あの団体は、気づいてしまうと、留まるのも地獄、出るのも地獄の苦しみ、全くもって、やっかいですわ。
こちらの皆様のおかげで、なんとか今の非活状態にたどりつけました。
私の場合も同居の母がいるので、全く縁が切れるわけではなく、今でも時々悶々としますが。
母とのことは少しずつ改善していければいいなあ、と思ってます。
うーん、でもこれ、一生続きそう。
最近、なんだか周りがうるさいと思ったら、婦人部総会があるんですね。
そんな中で聞いた話。
認知症でお薬飲み始めたとても真面目な婦人部の方がいるのですが。
80超えていらっしゃるので、最近ではよくあることなのですが。
バリ活婦人部曰く「何か意味があるのよ。」
認知症になるのに、なんの意味が?
きっと、その息子さんや、娘さんたちに、だから、活動頑張れ、って言いたいんだろうけど。
そんなことより、○○長、早く外してあげなさいよー
傍で見ているほうが心配だ。
今でも傷ついている方たちが、心から笑える日がきますよう。
ご主人様のことで辛い思いをされたのですね。
聖教紙上では、如何に友人(学会)葬が素晴らしいかを喧伝していますがネットや経験者の話を聞くと必ずしもそうではないですね。
先日、アンチとは全く関係ない一般のブログコメントに創価の文字を見つけてビックリ!
二世の方らしく、幼い姉妹で灯りを点ける夕刻まで両親が活動から帰るのを待つ日々だったそうです。
自分の子供に、こんな思いはさせたくないと家を離れてからは創価とは縁を切ったとのこと。先般、父上の葬儀を友人葬で執り行ったそうですが、大半の親戚は無関係なので異様な雰囲気だったらしいです。
お姉さんはバリ活で幹部らしく、姉妹関係もあまり良くないご様子が記されていました。
私自身は(参列含め)友人葬の経験はないのですが、数年前に父が入院した際にとても不愉快なことがありました。それこそ身バレしてしまうので詳細は控えさせていただきますが、さすがの母も「失礼だわ」と憤慨していました。
なんと言いますか…内部だと思うせいか、良くも悪くも緊張感がないのですね。
随分前の話ですが、新入会の方が、「学会の人は入るまでは凄く親切だけど、入った後は違うのね」と言っていたと友人が教えてくれました。当時はMC下でしたけど、あまりに的を射た指摘に吹き出してしまいましたw
昔、教学を習い始めの頃に「キリスト教は二重人格」と習ったのですが、人様のこと言えますか?
とはいえ、トップの池田氏自体が表の顔と裏のそれにギャップがありすぎですものねww
初めまして。このブログを訪れて下さり、ありがとうございます。
面白いと言って頂き、とても嬉しく思います。
グレンさんが信心を辞められたのは、至極まっとうなことだと思います。
信心・信仰とは自分にとって必要だと思っていなければ意味がなく、必要がないと思ったから辞める。当たり前のことです。
それに学会活動は単に心で神仏を敬っていればいいという類のものではなく「奉仕活動」を絶対条件として要求されますから、自分にとって必要と思えない限り続けるのは苦痛を伴いますしね。
向こうからすれば「魔」に負けた、となるのでしょうが、そんなの誰が決めたんだって話ですよね。
日蓮さんやお釈迦様だと言ってきたとしても、所詮人間が決めたことです。
財務にしても、「真心」を捧げる会員に納得の出来る説明ができないのでは組織がそれを受け取る資格さえないと思います。
そもそも、財務とは供養であり、何に供養するかといえば日蓮仏法にということではないのですかね。タテマエ上とはいえ。
つまり組織は日蓮仏法の布教・広宣流布のための供養を預かっている立場に過ぎず、であるならば使途を明確にして少なくとも会員には公表しなければなりません。
組織はあくまで布教の資金を保管・管理するだけで固有財産ではなく、広宣流布のための資金管理場所に上層部や池田氏の財布があるわけではないのですから。
それにしても男子本部長さんは凄い理屈ですね。
「闘いで成長させてもらえる」って、なんて組織から見ればなんて都合のいい自動変換を備えた駒でしょう。
おそらくその方にとっては、その考え方こそが不協和の解消のための理論になるのだと思いますよ。
記事とは関係のないコメントでも全然いいですからね。
また気軽にコメントして下さい。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。