真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

霊園は雪

2010-02-07 20:47:56 | 我が家の創価問題

大変寒い日が続きますが、皆様つつがなくお過ごしでしょうか?

今日の記事はちょっとした報告を。先日、家族で祖母と伯父の墓参りに行ってきました。

雪の積もる関西池田記念墓地公園です。

Cafbe0ac

周りに何もない大変広い山の中に突如並ぶ墓石群。この写真の右側、背後、そして映りきらない左側にもずらっとお墓が並んでいます。

ざっと見た感じで、この写真の5~6倍くらいの広さ、墓石があるんじゃないでしょうかね。

ここの墓地は、この霊園ができるときに伯父が購入したもので、まるでお墓に呼ばれたかのように、霊園ができてすぐに伯父は亡くなりました。

それにしても等間隔に全く同じ墓石がキレイに並んでいますねー。

今回もでしたが、毎回毎回、行く度に自分とこのお墓がどこだったかを探さなければなりません。きっと近くに同姓の方のお墓がある方は、たまに間違っちゃったりしてるんじゃないでしょうか。

この画一的な墓石は、矢野氏の「私の愛した池田大作」に国税とのやり取りの中で触れられています。

学会の墓苑会計は宗教行為ということで非課税扱いの経理処理になっていました。

しかし学会の場合、墓石の売り上げも非課税としていたのです。

墓地の土地代としての「永代使用料」は、供養を行う宗教行為であるためにどの寺も非課税となります。が、墓石は遺族が石屋さんから購入するもので、一般の石屋さんは墓石で得た収益はきっちり税金を納めているのです。

学会の霊園を利用している学会員さんは多数いると思うのでお分かりかと思いますが、学会の場合は墓石も込みでの販売です。

矢野氏はこう書いています。

石は外国から大量に輸入したもので、墓石の材質もデザインもみな同じ。~中略~これは学会側が大量生産によって経費をいかに割安に抑えたかを表す眺めでもある。

まあ、そんなことはみんな分かっていますけどね。祖母も伯父が眠るこの霊園を見る度に言っていました。「経費削減やなー」って。

ともかくこの墓石の収益は、非課税とは認められないとの国税の見解だったのです。

国税とのやり取りでは、この墓石販売を収益事業と学会側が認めることになりました。申告漏れとして約二十四億円、六億円の追徴課税を学会は支払うことになりました。

矢野さんはこのとき政治家として「これで最後」と思い、国税庁との交渉に当たったそうです。学会側のから示された条件を何とかクリアーしたものの、

国会議員たるものが、国税に圧力をかけるなど国民への背信行為だ。ほとんど犯罪的ですらあると自覚していた。今でも慚愧の念に堪えない。また、国税調査を通じて知り得た学会経理の醜悪さには、反吐が出るような思いだった。「これが、我が学会なのか」と不信感を覚えた。

と記しています。

「醜悪」と表現される経理って一体…。そして矢野さん、思いのほか早い段階で不信感を覚えていたのですね。もっと早く言わなくちゃ!ムリか…。

今回アンチになって初めて行くお墓参りでした。今までと見るところが全然違う自分に頼もしさを覚えます(笑)。

しょーもないことですが、礼拝堂の廊下の壁に何故かフランス国旗(青・白・赤のトリコロール)が飾られていたので「ん?」と思ったのです。

フランスから何か表彰されたのか?カルト指定されてんのに?とか思って見ていると何のことはない、学会の、真ん中の黄色の部分が日に褪せて白くなっていただけでした。

腐るほど金持ってるんだから旗ぐらい取り替えろよ~!紛らわしい。フランス様にご迷惑ですよ!

あと、霊園敷地の端っこにある洋館らしき建物がなんなのか…。これが例の「池田大作専用豪華施設」なのか…?と眺めてみたり。行ける場所ではないので眺めただけ(笑)。

とまあ、大した報告はないのですが、こんな感じ(どんな感じ?)でした。頭の中でこの矢野氏の著書が駆け巡ったのは言うまでもありません。

「関西」と名付けられていますが関西中心部からは大変遠いので、なかなか行くのにひと苦労な霊園です。私の住んでいる地域からだと本当に一日仕事です。

色々と思うところはありましたが、祖母と伯父のお墓の前ではしっかり「安らかに眠ってください」とお参りしてきました。一年以上行けてなかったので、それはそれで良かったのではと思います。


11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この広大な土地も、会員さんから集めたお金で購入... (kan)
2010-02-07 22:30:58
この広大な土地も、会員さんから集めたお金で購入したものです。
すべて会員さんから出てる。
それを細かく区切って、数十万以上のお金でまた会員さんに売りつける。
悪徳不動産屋さん顔負けの行為です。

それにしても何と安く作ってるお墓でしょうか。。。
気持ちがこもっていないといいますか・・
もう少し何か気持ちだけでも、飾ってあげればいいのにと思います。

昔、妻が内緒で墓苑を申し込んでました。
場所は遠い県外です。
kan家のお墓は我が家の近くにちゃんとあります。
でも、学会から言われると・それが正しいとしか思えないようで、周りが見えなくなるようです。

タンスの奥に隠してた申し込み書を見つけて、私が直接断りました。
その時は、妻のサラ金の返済の段取りの真っ最中でした。
妻の神経を疑いました。

近くにお墓がちゃんとあるのに、遠い県外にある小さなお墓を平気でローンで購入しようとする。
もし購入してたら、子供の学費が払えませんでした。

あぁ・・この人はダメだ。。
創価にいると食い物にされる。。

つくづくそう思ったものです。
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クロさんこんにちは。 (ねま)
2010-02-08 06:00:32
クロさんこんにちは。

>国税調査を通じて知り得た学会経理の醜悪さには、
>反吐が出るような思いだった。

矢野さんほどの高位にある人でも、国税調査を通じて、
はじめて、学会経理の実情がわかったんですね。
それぞれのポジションの人に、一部しか知らせてなかったんだろうな。

>今回もでしたが、毎回毎回、行く度に自分とこのお墓が
>どこだったかを探さなければなりません。

これはわかんないや。探すのタイヘンだな~
うちはお墓は買ってなかったですが、
伯母が買ってました。引いた。

>「関西」と名付けられていますが関西中心部からは大変遠いので、
>なかなか行くのにひと苦労な霊園です。

うちの県にもあるけど、遠いんですよね~不便なところにあるし。
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kanさんへ (クロ)
2010-02-08 22:53:18
kanさんへ

>この広大な土地も、会員さんから集めたお金で購入したものです。
>すべて会員さんから出てる。

これも本の中で語られていました。「非課税の財務」で造られたもので、学会の懐は少しも痛んでいない、と。
無税天国ですね。

しかも池田氏の「お墓はいくつも持ったほうが成仏できる」という提唱のもと、マイ聖教ならぬ「マイお墓」のように、一人一つと競ってお墓を買い求める人もいます。
墓場まで孤独にならなくてもいいでしょうに…。夫婦・家族と一緒に眠りたいとは思わないのでしょうかね。

そもそも何故に、いくつも墓を持ったほうが成仏できるのか…。霊感商法でもここまで突拍子もないことも言わないと思います。

kanさんのおうちは危機一髪で墓地購入を阻止できて、良かったですね。
もし買ってしまい、そして誰かが入るようなことになればやはりお参りにも行かなくてはなりません。
そして学会の霊園は例外なく民家もまばらな過疎地にありますから、それはそれは大変な労力を必要とするのです。
交通費もバカになりません。
そして自分とこの墓を探すハメに…。

このみんな同じ墓といい、学会の無個性奨励症候群は重症です。
別に墓を豪華に華美にしろとは言いませんが、せめていくつかのパターンのデザインから選べる程度には違いを出してほしかったですね。
この四角い石が並ぶ様は異様なんですよ。世界の終わりに来たみたいで(汗)。
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ねまさんへ (クロ)
2010-02-08 23:02:10
ねまさんへ

こんばんは。コメントありがとうございます。

>それぞれのポジションの人に、一部しか知らせてなかったんだろうな。

そうだろうと思います。必要のある人しか知らない、分からない、なんでしょうね。
池田氏が仲間内で戦わせることが好きな性分のようなので、敵対心を煽る効果もあるんでしょうね。
「俺はこんな重要なことを知っている」とか、「あいつはどれだけのことを任されているんだろう」とか…。
ヤな組織だなぁ。

>うちの県にもあるけど、遠いんですよね~不便なところにあるし。

そうそう、とても交通の便が悪いんですよね。田舎だから当然ですが。
ちなみに私の住んでいるところから見ると他県です。
人の住んでいない山を切り開いて造った、って感じです。
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皆様こんばんは (タイガ)
2010-02-08 23:22:43
皆様こんばんは


墓石まで全体主義ですか‥やれやれですね。

御大が他界したら古墳かピラミッドでも作って埋葬してもらいたいですね。

記念に会館に銅像建てまくったりね。

しかし自分の金じゃない金で作った霊園にも「池田」の名を付けたいんですね。

なんていうか、滑稽というか、ヘンなジイサンですね。
まあ世間から白い目で見られるのは当たり前でしょうね。
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タイガさん (kan)
2010-02-09 00:52:20
タイガさん

>しかし自分の金じゃない金で作った霊園にも「池田」の名を付けたいんですね。

ホント、私もそう思いました。
会館もそうですし、公園なんかも「池田」の名をつけてます。
何でもかんでも「俺が!俺が!俺が一番!俺が偉い!」

腐りきってますね。。。
気違いですね。。。
もう吐き気がします。

それにしても安く上げただけの・簡単なモノを並べた冷たい光景。
懸命に生きてきた人が眠る場所です。
もう少し何とかならないのか・・・
池田の腐った根性と冷たさを見る思いがします。
冒涜への怒りがこみ上げます。

でも、クロさんの祖母さんと伯父さんは安らかに眠ってらっしゃると思いますよ^^。
前文は気になさらないで下さいね。(^0^)
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kan兄さん (タイガ)
2010-02-09 20:17:06
kan兄さん


ありがとうございます「懸命に生きる」それこそが成仏の要諦のように思います。
「色々、苦しいことも楽しいことも嬉しいこともあったけど、生きてきて良かった」と思えるように心豊かな人生を送りたいですね。

日々小さなこと、ささいなことにも喜び、楽しみを感じ、生きがいをもてる人は、どのような環境でも、お金があろうと無かろうと、社会的地位がどうであれ、幸せなのではないでしょうか?


煌びやかな舞台に立ち、財宝で身を飾り「私が王様だ」とのたまったところで、自分の地位や名誉、利権や財産を失うことに怯え、自身の保身に走り、敵対者を追い詰めたり、裁判を乱発したり、そんな臆病な人生は不幸と言えるでしょう。
なんでそんなに人が信用できないのか? なぜ人前にも出てこれないのか?
そんな生き方しかできないのなら、地位も名誉も財産もいらない、人として正しく、心穏やかに生きればいいのです。
「みんなのことは全部わかっているからね」???

わかるわけないのです、100年に一度の不況にあえぐ庶民の気持ちなど、100年かかったって使いきれないほどの財産を得ている人間にわかろうはずがないのです。

あるがままの姿をさらして生きれば何も恐れることはないし、人前にも堂々と出られましょう。

真に尊敬を集める人物だと言うのなら、派遣村にでも出向いて困った人のために役にたってみればよいのです。
人間対人間でしか人格は磨かれません、限られた人の前にしか出て行かれないというのはそれだけの人間、人格ということです。

真の人間力を持ち合わせていない、故に後継者も育てられない。
自分以上の人間を作りたくない、認めたくない、それは小さな自我でしかありません、執着心でしかありません。

真に組織のこれからのこと、会員の今後のことを思うならすでに力ある後進に道を譲り第一線を退いている年齢です、満足にろれつもまわらなくなるまでトップに固執するなどリーダー失格でしょう。

私が耳にした婦人部幹部の本音です「先生が亡くなった後のことは全くどうなるのかわからなくて、不安だ」これは組織としてのビジョンが無い、行き当たりばったりで運営している証拠です。

くだらぬママゴトにつき合わされるのはゴメンですね、昨日言っていたことと180度違う事を今日言い出す、そんな組織です、トップがそうなんでしょうね。
遊びでやってんならわかるけどなんだかバカみたいですよね。
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タイガさん、kanさんへ (クロ)
2010-02-09 22:38:17
タイガさん、kanさんへ

こんばんは。いつもありがとうございます。

池田氏の亡骸は「ミイラ化計画」まであったそうですね。キリスト教の聖家族のようにしたいという幹部の願望だったようです。
そのようにして、カリスマや奇跡を演出しているエリート(?)集団が学会にはあるそうな。
きっと考える作業自体は楽しいんだろうと思います。小学校の学芸会みたいで。

池田氏の自己顕示欲は群を抜いていますからね。それがあればこその今の地位なのでしょうが…。
自分ばかりを主張するあまり、「池田」はあっても「日蓮」はないという。池田氏はもう自分が完全なトップだと勘違いしているんでしょうね。
自分を差し置いてでも敬うべき宗祖の名が出てこないなんて。
呆れた「弟子」ではないですか。いや、そもそも、もう弟子ではないのか。初めからかな。

そのような、ただの俗人を「師匠」と崇め奉らなければならない人たちは、その師匠もどきを失えばどうしていいのか分からなくなるんでしょうね。
本当に宗教を信仰しているのであれば、「法に依って人に依らず」という教えの通りに、不変の法のもとに不安に思うことなどないのではないでしょうか。
学会員さんの「自称・師匠」が本当に師匠と呼べる人ならば、自分亡き後弟子を不安にさせるような状況は作らないはずです。

kanさん、墓地の形容は私もその通りだと思います。
父方の家のお墓のある霊園はよくある普通の墓地霊園なのですが、そこに並ぶお墓は千差万別です。
中にはキャラクターの石像があったり、「また来てや~」との言葉が彫ってあったり、関西らしいユーモアに飛んだものもあります。
そこにはそれぞれのおうち、個人の人柄を表すようで、温かみがあります。
学会の霊園の、全く同じ無機質な墓石は「モノ」のようで、すなわちそれは池田氏と創価学会がそこに眠るであろう「学会員」をそのようにしか見ていないことの現われなのだと思います。
だから経費削減を一番念頭に持ってこれる。

タイガさんが仰るように、人間対人間の中で培われる人間性。
それがこの霊園にも現れているのではないでしょうか。
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クロさん・タイガさん (kan)
2010-02-09 23:10:51
クロさん・タイガさん

ご丁寧なレス、ありがとうございます^^。
暖かいお人柄に感謝です。

こういうお人柄に魅かれて、つい私はここに来てしまう。
とても心地いい。♪
そんな感じです。(^0^)

私は、今振り返れば・誰しも人生大変だけど、でも宗教に属さなくても人はちゃんと生きていける。
宗教団体に属さないと生きていけないようには・人はなっていない。
いろんな人を見て、過去を振り返って・そんなふうに思うのです。

ただ、毒したのも・・・あっ、似てるけどそうじゃなくて属したのも、何らかの「縁」があってのこと。
何らかの必要性が自分にあったから、創価に「縁」があったのだと思っています。
もうとっくに、心じゃ切ってますが。。。

タイガさんは文章表現がお上手ですね^^。
いつも感心しています。
いつか一緒に一杯飲みたいものです。♪

何度もすみません。
気持ちだけでもと思い、綴らせて戴きました。
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kanさんへ (クロ)
2010-02-11 00:04:36
kanさんへ

kanさんのお人柄あってこそ、私もタイガさんも心地よいコメントのやり取りができているんだと思いますよ。
改めて、いつもありがとうございます。

私は「宗教」は人間が作ったものでしかないと思います。
心の支えにするために必要に迫られて作られたのか、あるいは今ある多くの宗教のように人を利用するために作られたのかは分かりませんが。

人は一人では生きていけません。
人間同士だけでなく、自然、動物とも関わりあっている。
助け合うこと。励ましあうこと。そして傷つけあうことも。
それらの行いに感謝し、または贖罪し、自らを戒めるための自然発生的な感情が、宗教と呼ばれるものになっていったのかな…とか。
日本でも土着信仰とかそんな感じかな?単なるイメージで詳しくは分からないんですが(汗)。

だから人が人である心があれば、宗教は必要ないでしょう。少なくとも組織などはいりません。
あんまり観てなかったけど、前回の大河ドラマで上杉謙信公が「義とは、人が人であることの美しさよ」と言っていました。
この台詞にはシビレましたね~。
こういう心を大切にしていきたいと思います。
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