明治維新以降、日本には格好いい『男』が沢山いた。
それは坂本竜馬など、大河ドラマに出てくる偉人ばかりではない。
明治生まれの男は、良くも悪くも生き様や考え方に『芯』みたいなものがあって、
一般人だった僕の祖父も、どこか頑固で堅い『芯』みたいなものがあった気がする。
昨日書いたとおり、僕は物凄い長髪だった。
さぞかし、爺さんは鬱陶しく感じていただろうし、今となっては僕もそう思う(笑)
この歳になって、爺さんに言われてムカついていた事の全てが、
まともな事だったのだ、と思うようになったあ・・・。
ただね、『ほら、お前がまともじゃ無いんだよ』と、誰かに言われるのには抵抗がある。
若い頃には若いなりの感性や考え方がある。
『周りが皆そうだから』『〇〇に言われたから』みたいに、
何の主義主張も無い連中とは一緒にして欲しく無いですね。
結果としてそう思う部分が多いというだけで、だからこそ若い頃は冒険や無茶、
反発をした人間の方が、良い大人になると思っている。
さて、本題。
僕と祖父の話でしたね。
昨日書いたとおり、僕と祖父のバトルが頻繁にあるため、
我が家には『恐怖の〇〇』と云う事が沢山あった。
その一つが晩御飯の時間。
我が家は、祖父母に両親、兄、姉、僕、弟の4人兄弟の8人家族の上に、
昔さながらの典型的な日本の『男尊女卑』の家庭。
おふくろや姉がお茶を入れるのは当たり前、テレビのチャンネル替えも女の仕事だった。
6歳上の兄は、僕が高校に入学した時には商船大の寮に入っていたので、
祖父、親父の次の男は僕だった。
あろうことに、食事のときは爺さんが真ん中で、親父、僕、弟と言う序列で
長いテーブルに横並びに座り、向かいには婆さんおふくろ、姉と並ぶというパターン。
親父が居る時は爺さんも僕も大人しかったが、親父の帰宅が遅い時は、
当然僕が爺さんの横に座ることになった。
この時が家族にとって『恐怖の夕食』。
例によって30cmもあろうかという長い竹の箸を使う祖父が、
僕の所作が悪いと、その長い箸で剣道の小手みたいに思い切り叩く。
『痛えな・・・』
というと、爺さんは無言で何事も無かったかのような顔。
そして再び叩かれると
『じじい、聞こえねぇのか?痛えんだよ・・・』
と僕が声を上げる。
『貴様の行儀が悪い』・・・・ぴしっ!
これで僕がキレて
『じじい、殺すぞ・・・』
となって、女どもは僕がテーブルをひっくり返すのを恐れて、避難の準備をする。
その間、横に座る弟は、何事も無いかのように黙々と食事を続ける・・・・・大物でした。
食事ひとつでも、親父が居ないと毎回こんな感じ。
でも今、ボサボサの髪の毛をした男が、横で肘を撞きながら食事をしていたら、
爺さんと同じようにしているような気がします。
食べる時に咀嚼音を出さない事・・・・これは品が無いうえに、他人が不快になる。
大皿に盛られた食べ物をあれこれ探る迷い箸はご法度・・・・これも下品で、はしたない行為。
出された食べ物は残さない。残すことは、作った人に失礼。
食事の最後にはお茶で茶碗に着いた飯粒を綺麗に取って終わる事・・・・
これは流石に外ではあまりやりませんが、元々は箱膳などのお坊さんの作法だとか。
お蔭で僕は、自宅でこそ爺さんにボコボコにされていましたが、
外へ出れば、食事の仕方も恥ずかしくない食べ方が出来るようになっていた。
躾に厳しい爺さんでしたが、意外なことに僕は一番可愛がられていた。
面倒なジジイだけど、どこへ行くにも連れて行かれた。
続きはまた明日、書きましょう。