『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

明治生まれは格好いい(その1:『恐怖の夕食』)

2017年07月28日 | ジジイの呟き

明治維新以降、日本には格好いい『男』が沢山いた。
それは坂本竜馬など、大河ドラマに出てくる偉人ばかりではない。
明治生まれの男は、良くも悪くも生き様や考え方に『芯』みたいなものがあって、
一般人だった僕の祖父も、どこか頑固で堅い『芯』みたいなものがあった気がする。


昨日書いたとおり、僕は物凄い長髪だった。
さぞかし、爺さんは鬱陶しく感じていただろうし、今となっては僕もそう思う(笑)
この歳になって、爺さんに言われてムカついていた事の全てが、
まともな事だったのだ、と思うようになったあ・・・。


ただね、『ほら、お前がまともじゃ無いんだよ』と、誰かに言われるのには抵抗がある。
若い頃には若いなりの感性や考え方がある。
『周りが皆そうだから』『〇〇に言われたから』みたいに、
何の主義主張も無い連中とは一緒にして欲しく無いですね。


結果としてそう思う部分が多いというだけで、だからこそ若い頃は冒険や無茶、
反発をした人間の方が、良い大人になると思っている。


さて、本題。
僕と祖父の話でしたね。

昨日書いたとおり、僕と祖父のバトルが頻繁にあるため、
我が家には『恐怖の〇〇』と云う事が沢山あった。


その一つが晩御飯の時間。
我が家は、祖父母に両親、兄、姉、僕、弟の4人兄弟の8人家族の上に、
昔さながらの典型的な日本の『男尊女卑』の家庭。
おふくろや姉がお茶を入れるのは当たり前、テレビのチャンネル替えも女の仕事だった。

6歳上の兄は、僕が高校に入学した時には商船大の寮に入っていたので、
祖父、親父の次の男は僕だった。
あろうことに、食事のときは爺さんが真ん中で、親父、僕、弟と言う序列で
長いテーブルに横並びに座り、向かいには婆さんおふくろ、姉と並ぶというパターン。
親父が居る時は爺さんも僕も大人しかったが、親父の帰宅が遅い時は、
当然僕が爺さんの横に座ることになった。

この時が家族にとって『恐怖の夕食』。
例によって30cmもあろうかという長い竹の箸を使う祖父が、
僕の所作が悪いと、その長い箸で剣道の小手みたいに思い切り叩く。
『痛えな・・・』
というと、爺さんは無言で何事も無かったかのような顔。
そして再び叩かれると
『じじい、聞こえねぇのか?痛えんだよ・・・』
と僕が声を上げる。
『貴様の行儀が悪い』・・・・ぴしっ!
これで僕がキレて
『じじい、殺すぞ・・・』
となって、女どもは僕がテーブルをひっくり返すのを恐れて、避難の準備をする。
その間、横に座る弟は、何事も無いかのように黙々と食事を続ける・・・・・大物でした。
食事ひとつでも、親父が居ないと毎回こんな感じ。

でも今、ボサボサの髪の毛をした男が、横で肘を撞きながら食事をしていたら、
爺さんと同じようにしているような気がします。

食べる時に咀嚼音を出さない事・・・・これは品が無いうえに、他人が不快になる。
大皿に盛られた食べ物をあれこれ探る迷い箸はご法度・・・・これも下品で、はしたない行為。
出された食べ物は残さない。残すことは、作った人に失礼。
食事の最後にはお茶で茶碗に着いた飯粒を綺麗に取って終わる事・・・・
これは流石に外ではあまりやりませんが、元々は箱膳などのお坊さんの作法だとか。

お蔭で僕は、自宅でこそ爺さんにボコボコにされていましたが、
外へ出れば、食事の仕方も恥ずかしくない食べ方が出来るようになっていた。

躾に厳しい爺さんでしたが、意外なことに僕は一番可愛がられていた。
面倒なジジイだけど、どこへ行くにも連れて行かれた。
続きはまた明日、書きましょう。

コメント
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