大震災から2年。
このところ、テレビをはじめとするマスコミが
震災直後に生き残る事に必死だった人たちと
その支援に走った男達の話のドキュメンタリーが
放送されていた。
道路が寸断され、陸の孤島となった牡鹿半島。
漁師仲間を数人失い、食料もギリギリの中で
数日間生き残るために動いた漁労長。
遠く静岡の焼津から、支援物資を満載して
海上からアプローチした漁業関係者。
この支援に乗り出した男は、かつて自分の祖父が
伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けた時に、
九州の漁師たちから支援を受けて生き延びたことを、
孫の代まで伝えていたことから始まる。
その恩義を、忘れないで『今度は俺達の番』とばかりに
危険を顧みずに行動した焼津の漁師達。
牡鹿半島に到着した時に、瓦礫が行く手を塞ぐような
危険な状態になったにも関わらず、できる限りの場所に出向き
物資を配った労力と、勇気に感服した。
なおかつ、水産庁の船が瓦礫に行く手を阻まれると見るや
自らが持つ、特殊艇でピストン輸送して物資を届けたこと。
漁猟長が、水産庁の船の上で朝食を勧められても
『自分だけが食べる訳には行かない』と、やつれた身体で
とにかく支援物資を街の皆に届けることを優先したこと。
日本人は、こういった事を普通にやってしまうのだなぁ・・・
と、ちょっと感動した。
格好いいね。
焼津だけでなく、全国の漁師達が支援に馳せ参じた姿は
『男気』みたいな物を感じたのでした。
日本人は、やっぱり素晴らしい国民が沢山居るのだと
誇らしく思えたのでした。