と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

5月18日(金)のつぶやき

2018年05月19日 06時38分36秒 | とーま君の流儀2018
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How the heart became ♥

2018年05月18日 18時44分23秒 | 英語動画2018

ハートの由来ってこうだった?

 

(^0^)

そうだったのか・・・・知らなかったです。

 

 

How the heart became ♥

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これほどアチコチ動き回るジジイもいないもんだと、自嘲していましたよ。まったくしょうも無いジジイでございます。

2018年05月18日 07時06分20秒 | とーま君の流儀2018

多忙な一日でありましたなぁ。昨日は。まったく。血圧を測るのすら忘れてしまっていたからで。

 

 

趣味でやらしていただいているある研究会のことで忙殺されていた。お世話になっている方が緊急に入院したからである。急遽ボキがいろいろやるしかなくなった。

それにしても、ボキはムチュウになると徹底的にやっちまう。だからエコノミークラス症候群になってICUにまで入ってしまうのだ。

アカン!

昨日も歩くことすら忘れていた。没頭していた。周囲が見えなくなるのだ。いけない傾向である。忘れていたということを思い出したから、夕方から歩いていつもの数値は取り戻したけど。10.1キロは歩いたから。

しかもである。昨日は平行して某大学で授業もやっていた。こちらも新企画の授業スタイルを今年からとっているから、いろいろと工夫が要る。大学生たちの能力に信頼を置いて、ディベートをやり、事例研究をやり、それこそアクティブラーニングを取り入れているからである。講義一辺倒をヤメタからである。こいつは準備がかなり大変である。

さらに塾があった。昨日の夜である。今日も夜になったら塾に行かなくてはならない。

もっとある。旅の準備である。こっちもてんやわんやである。

しかも、昨日はお世話になった知人の奥様が70歳で亡くなったと知った。乳がんであった。まだ、ボキが20代で独身であった頃、食生活がデタラメであったボキにそれはそれは美味い手料理を食わしてくださった方である。観音様のような方であった。やさしくて、美人であった。学校の先生であった。恩人でもある。

それがである。奥様の方が早く逝ってしまった。知人は嘆いていた。当たり前である。

なんということであろうか。

ナミダが出てしまった。

それで、通夜とか葬儀、花輪の連絡をしていた。知人とは、***会という会を作って定期的に集まって旧交をあたためるようなことをしていたからである。身寄りのないボキには、実にありがたい会である。

一番年齢が下である。連絡係は当然しなくちゃならない。大学の授業が終わってから知ったのである。それで、家に帰ってきてから昼食もとらないでバリバリ電話をかけまくっていた。

まったく昨日は(*_*) マイッタ。

忙しいというのはこういうことを言うのである。

忙しいほど、ボキは燃えるようである。没頭するものがあるほど、ファイトが出てくる。だから身体を痛めるのである。忘れてしまうからである。自分を大切にしなくちゃならないとは思うのだが。

お役に立っていると思うと、がむしゃらに突っ走ってしまうのである。

 

昨日は血圧も高かっただろうなぁ。いつもGymで測るのだが、Gymには行けなかったからである。孫娘が遊びに来ていたし。そんなもん忘れてしまったよん。

(⌒▽⌒)

 

Bye-bye!

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5月17日(木)のつぶやき

2018年05月18日 06時31分07秒 | とーま君の流儀2018
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口癖のように言っているのが、「やさしいジジイ」「明るいジジイ」というフレーズである。

2018年05月17日 07時00分07秒 | とーま君の流儀2018

ボキのハゲアタマのように、やさしくて明るいジジイになりたいもんである。孫のためにも。もうなっているか(^0^)

 

 

居住地で受講している中国語講座に昨夜行っていた。

今年の新入会者はかなりのレベルで、(*_*) マイッタ。ボキなんかとてもじゃないがついて行けない。なにしろ、前回やった単語も全部忘れているからだ。

ああああああああああああああああああああ!

でもめげない。優秀な新入会者だったら刺激になる。それに、時々飲み会もやっているから知り合いになれる。ほとんどそれが目的のような気もする。だって、中国にはあまり行けないからである。家人は、中国はもっと年をとってから行くと普段から言っているからだ。近いからである。エコノミー席で行けるからだ。

違った人生があって良いのである。それを教えていだくことが素敵である。素敵な人生がそれぞれにある。

こっちも楽しくなってくる。

光明を知ることができるからである。

思うに、ボキは「やさしさと明るさ」をモットーにして生きてきた。実際、それだけの実績は無いんだけど。あくまでモット-である。そういう人格になりたいと努力だけはしてきた。だから「耐える」のである。いろいろとトラブルがボキだってあった。そのトラブルに耐えてきた。それで今のボキがある。

基本的にそういうのを持っていれば、手段や方法はどうでも良い。そういうのを教えてもらっても、基本がなっていないとダメである。つまり人間観というやつである。

仕事人間として優秀な方は、そういう基本ができているような気がする。

決して「イバラナイ」し、そういう方は周囲に「ナメラレナイ」のである。だから次から次へとオファーがくる。注文もとれる。営業マンなら大成功する。出世も間違いない。

人間関係でのトラブルも無くなってしまう。思うに、社会人としての期間というのは、そういう基本的人間観が確立している人だけが成功するのではないのか。

教育に限ってみてもそう思う。教育は、手段・方法ではない。コツを教えてもらっても、実際に相手が生徒なら通用しない部分もある。やはり基本的な人間観が教えている方に確立していないと救えるものも救えない。教育は、まさに教壇から一方的に教えているだけではないからである。ま、このことはこれくらいにする。書いちゃいけない部分に触れそうだから(^0^)。

 

ブスッとして、目が三角になって、クチをへの字に曲げて対話をしてはならない。そりゃぁ、相手への威嚇である。おどかしていたって、ナンになるんだろう。かえって相手は萎縮してしまうだけである。

ボキはそういう意味では他人のことは言えない。柔道をやったから、声が良く無い。威嚇しているのじゃよん。いわゆるドスのきいた怒声なんだ。(_ _ )/ハンセイ。

だからこんなことを打鍵しているのだ。

 

「やさしくて明るい」

そういうジジイでありたい。

孫を抱っこしながらシミジミそう思うのだ。孫だって、おっかないジジイでは嫌いになっちまうではないか。ましてや、七ヶ月になった初めての女児(孫)には嫌われたくない。

彼女が中学に入ってもまだ生きていたいしねぇ。入学祝いをあげたいから。

わはっはははっはははっはははっはははっはははっは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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5月16日(水)のつぶやき

2018年05月17日 06時33分34秒 | とーま君の流儀2018
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10 Ways To Deal With Anxiety

2018年05月16日 21時59分24秒 | 英語動画2018

不安を無くす10の方法

 

 

ほんとかねぇ?

 

10 Ways To Deal With Anxiety

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今回のことも良い修行になったなぁと思った。

2018年05月16日 12時07分16秒 | とーま君の流儀2018

役に立っているのかも知れないということは、生き生きとした老後に大事なんだなぁと思った。この数日。

 

 

自分のためだけだとガンバレない。他の人のために役立っているという自覚が実に大事だと気がついた。

この数日、あることで忙殺されていた。詳しくは書けないが、お世話になっている人が入院したからである。さらにお世話になっているある組織のことで、やったことのないことをやっていた。関係者に連絡をとり、mailを打ちまくっていた。なぜなら、時間的に間に合わなくなってしまったからである。

さらにある。ボキがいなくなってしまうからである。また旅に出る予定でカネも支払ってあるからである。本来なら、その任ではないのだがやらざるを得ないことになってしまった。

で、感じたことがある。

それは他の方々の役に立っていると思うことが、実に大事だということであった。

どうも定年退職してから自分のことしか考えていなかった。

できることなら世間と没交渉になって、オノレの好きな世界だけで遊んでいたかったからである。

しかし、今回フツフツとチカラがみなぎってきた。そもそもが仕事中毒人間だったから、忙しいのが好きなんだなぁと思った。

それと、幸せな人というのはすぐやるということである。逆に不幸な人はすぐやらない。逡巡する。責任もとりたがらない。アレコレと考えることはするが、行動しない。やりたがらない。可能ならば、人間関係を断って世間と没交渉になりたがる。

今回、それではアカンなぁとシミジミ思った。思わされた。

そもそもがである。ボキは基本的には辛いとか、大変だとはなかなか言わない性分である。苦労話なんか誰も聞きたがらない。そんなことより、晴れ晴れとした顔をして生きていきたいと思っている。

それで来月から不登校の生徒を教育する通信制高等学校でスクーリング専門の講師(非)として働くことにしたのである。ささやかなチャレンジであるけれども。困っている生徒のためにこんなボキでも役に立つかも知れないからと思ったからである。まだ詳しくは書けないし、書くつもりもないが。

それにボキは他人を責めない。誰だってミスはあるからだ。その都度(_ _ )/ハンセイばかりしてきた。

周囲の人たちは大切にしていくことである。家人も含めである。尊重して働きかけることである。他人(家人も)を傷つけないでなにかを伝えることは、こっちがお利口になることである。怒鳴ったり、ワルクチを言っている時間があったらドンドン行動することである。

ゼニがないからどうしようと逡巡している人もいると聞く。それでもって悩んでいる人もいる。ボキもゼニはないが、なければないでなんとかやっていけるもんである。

ゼニがないって文句を言っている暇があるんだったら、ボキは働けと言いたい。収入を増やすには働くしかないのである。探すしかない。そういう収入の道を。

行動して間違っていたら訂正することである。間違っていても訂正しないからいつまでも間違った道を歩むことになるのだ。訂正しないという行動を選択しているのだ。

行動もしないで、他人を冷ややかに評価して、オノレがいかに優秀だとか言っている暇があったら行動することである。

定年退職したからと言って家に閉じこもっている必要もまったくない。

他人のシアワセになり、役に立っているのかも知れないと感じられたらこれに勝る喜びはない。

もっとある。

それは「イバラナイ」ことである。威張ってみてもそんなもん、虚しい悪あがきである。ボキはそれを口癖にしている。自分のことを誇らないということはそういうことである。

 

今回のことも良い修行になった。

ジジイとして世間と没交渉を望んでいたオノレのことが分かったからである。他人を辛辣に批評したりワルクチを言って喜んでいたアホなオノレのことが、よ~~~く分かったからである。

だから、ボキはボキの行動を訂正していく。こういう行動がさらに若い方々への応援歌になるのかもしれないからである。明日某大学で大学生にも語りかけてみるけど。

 

あ、字数が1418字になった。もう止めよう。NHKの英会話講座が始まるから。ささやかなチャレンジではあるけれども(^0^)。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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5月15日(火)のつぶやき

2018年05月16日 10時48分48秒 | とーま君の流儀2018
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Why You Should Be Friends With People Who Curse

2018年05月15日 19時03分59秒 | 英語動画2018

口が悪い人と友達になるメリットとは

 

そんな奴とはつきあうな(^0^)

 

Why You Should Be Friends With People Who Curse

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一気になんでも処理したらアカン。微差的に生きていれば安全である。

2018年05月15日 07時07分06秒 | とーま君の流儀2018

微差的に生きているから、毎日快適なんでしょうなぁ。一気に10キロ歩くと破綻するけど、少しずつ歩いていると全体で10キロになるからである。微差である、微差。

 

 

微差というのがある。わずかな差である。微増という単語もある。少しずつ増えていくということである。

ボキはこの単語が好きである。いきなり差をつけるとか、いきなりゼニが増えるというのはあり得ないからである。

もっともボキは年金暮らしでゼニとはご縁がない。だからゼニについては論外である。

微差の方を考えている。

毎日少しずつではあるが、努力している人にはかなわないということである。

ともかく一気に物事を処理するというのは危険である。

一気にやると破綻する。人間関係も含めてである。

例えば、あのヤロー気に入らないから文句を言ってやろうとやったら破綻する。破綻する前に、綿密な計画を立ててICレコーダも隠し持って準備しておくことである。

言ったから相手も聞いてくれるだろうというのは、甘い。そんなこと聞いていないと言われたらオシマイである。

ともかく話し言葉というのは危険である。あまり相手を信用しちゃいけない。

他人は特にそうである。

 

10年先のことを語ることなかれである。10年先なんて誰もわからない。大言壮語してホラを吹いているヒマがあったら、今のことを処理することである。この一年を、一歩先をどうするかである。

若いときはなかなかこのことが分からなかった。計画どおりに進めて10年先どころか、20年先、30年先のデカイことを言って周囲を煙に巻いていた。

高校時代の校内弁論大会でクッチャベッタことがある。オレの夢は、デカイ船に乗って海外貿易で大活躍することだと言ってしまったのである。恥ずかしいことである。ナニを言っていたのだろう。アホそのものである。

ところが、時代が変わった。貨物の飛行機が発達してしまった。夢ははかなく消えてしまった。

時代というキーワードですべてが処理された。気がつかないうちに、時代の方が先に進んでいた。自動車電話もそうだった。憧れていた。今にオレも自動車電話を持ちたい、オレのクルマに設置したいと思っていた。そしたらスマホが登場してきたではないか。

時代対応という意味でも微差を大事にしたいものである。

一歩先を進んでいくことである。一歩だけで良いのである。

一歩だけなら誰でもできるではないか。あまり先を読んだつもりでいると、やる気がなくなってしまう。

語学の学習もそうだ。一気に単語100を覚えようとしても、ボキにはできない。覚えたつもりになっているだけで、実際はまったく覚えていないからだ。

そんなことより、毎日少しずつやるこった。

つまり「****し続ける」ということである。諦めないで、少しずつチャレンジしていくことである。ホンマにそう思う。

某大学大学院を中退してしまったのも、学力劣等もあるが、それよりなにより焦りがあったのだ。毎日亀のごとく努力していればなぁと(_ _ )/ハンセイである。

(_ _ )/ハンセイだけが、ボキの取り柄なんだろうけど。

わははっはははっははっはははっはははは。

 

さ、今日も天気が良い。歩く。図書館にも行く。Gymにも行く。

歩くだけ、図書館だけ、Gymだけというのではないのである。これもちょっとだけ、ちょっとだけやっているから長続きしているのである。

Gymでもそうだ。最大限一時間しかいない。全体で何歩歩いたかを気にしているからである。一気に10キロも歩いていたら身体が破綻する。微差で良いのである。

少しずつ歩いていたら、知らないうちに10キロになっているのである。

もっとも年金暮らしで他にやることもないから出来るのである。

それで良い、それで。

微差的老年。これで生きているのだから。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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5月14日(月)のつぶやき

2018年05月15日 06時26分52秒 | とーま君の流儀2018
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World Without Moms

2018年05月14日 21時08分36秒 | 英語動画2018

母親のいない世界 (World Without Moms)

 

母は支えだとこの動画で言っている人がいるが、ホントですねぇ。

 

World Without Moms

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嫌いな奴が向こうから歩いてきたらどうするんかいのぉ?

2018年05月14日 11時57分12秒 | とーま君の流儀2018

普段からあのヤローって思っている奴が向こうから歩いてきたら、君はどうするか?

殴っちまえ!とやるか・・・・・。

そんなことを考えながら午前中のwalkingをやっていた。

わははっはっははっははっははははっはははっははっはは。

ボキにもそういうヤカラは多いからである。

それにイチイチハラを立てていた時もある。

喧嘩にならなかっただけで、あのヤローと思うのはいるからである。

むろんジョセーにもいる。そういうのが。

で、帰ってきての結論。

「そんなやつは相手にしないで、ニゲッチまえ!」と言う結論になった。

大笑いである。

そうなんだ。逃げてしまうのが一番良し。

相手の言動にイチイチハラを立てていたって、そんなこたぁ相手は覚えていないではないか。

いつまでも「許せねえ」と思っていたら、時間の無駄である。

相手にしないことである。

逃げてしまえば、それっきりである。

良い結論である。

 

ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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太極拳講座受講感想記。タノシカッタ。難しかったけど。

2018年05月14日 07時37分47秒 | とーま君の流儀2018

身体の内部から改善をしていかなくちゃねぇ。血液からも。健康はそれほど大事であるから。

 

 

今朝起きたら身体のあちこちが痛かった。昨日の太極拳講座で痛くなったらしい。笑った。情けないということである。

これじゃぁ、身体内部から改善していかなくちゃならないとしみじみ思った。エコノミークラス症候群になって内部からガタガタになったからである。ワーファリンも服薬するようになってしまったし。

血液からガタがきている。だから改善しなくちゃならないのである。

Walkingでも改善してきた。しかし、これだけでは足りない。身体が堅くなってしまった。もっともこれは若い時からそうだった。それにしても歩くだけで柔軟運動はやっていなかった。それだけ歩くことで時間をとっていたからである。

おかげで、糖尿病は治ってしまったから歩くことには感謝している。糖尿が治るわけがないだろうと思っていた。東洋一の大病院でもドクターにそう質問したら、治っていると言われた。数値的にはということであろう。そう理解した。

太極拳講座は難しかった。動きが独特である。さすが中国発祥の武術である。もっとも、ボキは武術として太極拳に興味を持ったのではない。健康運動としてである。

指導してくださる先生は、そういうボキの考えがわかったらしい。武術であることをなにかと強調された。ボキは、今さら護身術としての武術に興味はない。柔道も護身術としては有用ではない。ピストルや機関銃、刃物を持った相手にはかなわないからである。そういう危ない場面には出くわしたくない。逃げるに限る。

なにか運動していたでしょ?と質問されたのでちょっと柔道を・・・と申し上げた。52年ほどやっていたとも。どおりでがっちりしているとも言われた。しかし、現役時代のボキは94キロあったのだ。今は見る影もない。そう申し上げた。今は、幼児たちに投げられているただのジジイである。柔道教室で。たまに出かけて投げられているだけである。

むろんエコノミークラス症候群になってICUに入っていたとも正直に申し上げた。でないと、指導くださる時に先生が困るだろうからである。

それと歩き過ぎだとも言われた。一日10キロは確実に歩いているからである。ま、それはそれでドクターに申告しながらやっているのでと言い訳した。納得していただいた。この歩き方ということでは、いろいろと意見が分かれる。このことについては他人の言うことは信用できないからである。

 

昨日の夜は、太極拳にも流派があるらしいから、youtubeで検索して見ていた。復習である。それをMPEG4に変換してスマホとkindleに入れた。これでいつでも見ることができる。Gymでも見ることができる。Gymでもやれる。準備運動でもやれる。妙なジジイがGymの体育館で太極拳をやりながら歩いていたら避けられるでしょうなぁ。

ともかくまたまた趣味が増えそうである。

つきあいの幅も広がる。

楽しみである。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/