特殊な環境にいる子供たちの叫び
家族が安全でいてほしいんだという子供たちの叫び!
ホントウですなぁ。
Children are Children, Welcoming Refugees Campaña de Ad Council
家族が安全でいてほしいんだという子供たちの叫び!
ホントウですなぁ。
Children are Children, Welcoming Refugees Campaña de Ad Council
残り時間が少ないなぁとは思うが、別に不安ではない。能力をはじめ、足りない部分はたくさんあるが、今の力で勝負するしかないから。
誰だって不安と日々闘っている。将来のことであったり、仕事で成果を出せなかったり、試験に合格しなかったり・・・キリが無い。
いつの年代でも人は不安と闘っているものである。若い時ほど、そういう傾向はある。
ジジイになっても確かにある。ボキならば、病気の不安である。あるいは老後の不安である。
しかし、ボキには仕事の不安はない。仕事そのものがないからである。バイトしかない。バイトだからいつでも馘首される不安はあるけど、それは覚悟の上である。
不安で仕方ないのならば目先のことを一つ一つ真剣にやってみることである。遠い将来のことではない。今のことである。今日のことである。
小さなことを一つ一つ丁寧にやっていれば、大きな成功に結びつく。
それに、自分の足りない部分、欠点に目をむけるのではない方がいい。むしろ、今現在自分が持っている力や能力に目をむけるべきである。
足りない部分や欠点を意識し始めると、それにとらわれてしまう。オノレの性格を修正しようとか、仕事の改善をしようとか始めてしまう。時間がそのことに費やされてしまう。
いい年をして学歴コンプレックスのことで悩んでいる御仁もいる。受験に失敗してねぇ、こころならずもあんな学校に行ってねぇ・・・だから出世出来なかったとか言う御仁がいる。つまり学歴のせいにしているのである。
東大教授で、大学学部は慶應の通信教育の先生のことを書籍で知っているが、その先生はまるっきり独学で東大教授までなられた。大学院から東大に通学したからであるが、独学の重要さを説かれる。「東大教授が教える独学勉強法」(草思社文庫)。
著者は東大経済学部教授の柳川範之先生である。父と一緒に海外生活をしていた。ブラジルにいた。高校にも行っていない。高校を出ていないから大検を受けてそれから慶應の通信教育を受けたのだ。シンガポールで受講していた。銀行員の父親の転勤でそうせざるを得なかった。
見事な学習ぶりである。
あまり物事を突き詰めて考えない方がいい。柳川先生からはこういうことを学んだ。先生は、最初から東大教授を目指していたのではないだろうからである。勉強が好きであったというのが基盤にあったから、今日があるのだろうけど。
ボキもそうである。世の中こんなもんじゃないのと思って生きてきた。病気になって某大学大学院を中退したのも、世の中こんなもんじゃないのと思った。自業自得だとは感じたけど。
比較対象の相手もいないかったし。足りない部分を嘆いていてもなんにもならない。能力もない、ゼニもない、カミの毛もない(^0^)。
ナイモノを嘆いていてもどうしようもない。
それより、今あるもので勝負するしかない。できることは限られているのである。
不足部分について勉強していくことは重要である。それはそれで認める。
言いたいことは、不足部分にとらわれすぎて、悩んでいてもしょうがないということである。悩みすぎて、なんにもしないということである。
新しいものがつかめないのは、両手を一杯にしているからだ。アレもコレも欲しいというのではなく、アレもコレも捨てることである。両手一杯持っていたら、なにも持てないではないか。欲しいものは、二つくらいにしておくこっちゃよん。アレか、コレかという程度で十分である。
自分の持ち時間も計算しておくこっちゃ。残り時間である。世の中には逆算時計というのもあるそうだ。これ、買ってみたいけど買わない。ゼニがないから。
時間が有り余っているのではない。
誰でも死んじゃうからである。
残り時間を意識していると、日々を充実させていきたいと思うのは自然である。
打鍵しながら、今朝もそんなことを考えてしまったですよ。
さ、今日もせっせと歩いて、図書館行ってゴミ論文の修正をやろう。
残り時間が少ないのだから。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ
ほどよい人間関係とは、一人力を大事にしている人ができることであろうなぁとシミジミ思う。 goo.gl/wmZXev
— Waishan Richunan (@tym943) 2018年5月5日 - 07:16