周囲の人間に振り回されることも時間の無駄である。もっとも、ボキには周囲の人間なんていないけどねぇ。家族以外には。親戚も九十九里浜にはまったくいないし。
ほどよい人間関係を維持していくこと、しかもバランス良く維持していくことが大事だ。でないと、周囲の人に振り回されて、ココロを乱してしまうことがいかに多いか。
人間関係をうまくやっている人は、一人でいる時間も大切にしている人だ。
人付き合いにすべてのエネルギーを消費していたら、怖ろしいことになる。かと言って、人から逃避することもなく、孤立することもないという人は、バランスがいい。つまり一人力を維持していくことが大切である。
周囲の人全員とうまくやっていける人なんて存在しない。誰だって苦手な人はいるし、アタマに来る人間はたくさんいる。
ボキは、そういう人間にでくわしてアタマに来たときは闘わない。争わない。そんな人間と関わりを持った、持たざるを得ないときは、「時間の無駄」だと思うことにしている。だから関係性は深まらない。争っていたら、時間の無駄だ。軽くつきあっていればいいだけである。
特に上から目線でくっちゃべってくる人とは、争わない。無駄であるからだ。もう長い時間をこれから生きていられるとは限らないからである。時間がもったいないではないか。明日死ぬかも知れないのに、時間を無駄に消費してはならない。
苦手な人と向き合わざるを得ないときは、期待しないことである。あああああああ、また無駄なことばかり言っていると思うことである。苦手な人がいると悩まないことである。さらに自分を責めないことである。オレが、ワタシが悪いと思わないことである。自罰的に生きていたら、時間がいくらあっても不足するではないか。
仕事をしていても、メンバー全員と和気藹々と協力してやれることなんかあり得ないではないか。和をもって尊しとなすというのは理想としてはわかる。わかるが、そんなことはあり得ないと思っていた方がいい。その方が気が楽になる。
みな固定観念に凝り固まった大人である。もう変化できないのである。だから忠告したり、言葉であの人の人格を変えてやろうとしないことである。つまり、テオクレなのだ。それこそ時間の無駄である。言ってやったから、あいつは変わるだろうと考えないことである。変えられると思う方がうぬぼれている。
忠告なんかしたら逆恨みされてしまう。止めておくことである。逆恨みされて殺されてしまったら、アウトである。それほど、忠告というのは怖いのだ。
女性に多い。ヒステリックな言葉でなんとかしてやろうというのは。しかし、そういう女性には甘えがある。なにを言っても許されると思っているからだ。だから、家庭にあっては女王様となるのだ。女性はそういう傾向がある。特権階級になってしまう。クワバラ・クワバラ(^0^)。
無難にやることである。ロボットのように生きていればいい。忠告なんかしないことである。こういう人間と一緒に仕事をしなくてはならないはめになったことを、天に感謝していればいい。たまには合掌でもしてやればいい。ただし、相手の背中にである。前からやると怒り出すのもいるからである。経験上。タイの人々は前から相手に合掌するけど、日本人はダメである。
他人の目なんか気にしないことである。誰も注目なんかしていないからである。ボキだって、誰からも注目されていないから気楽に生きていられるのじゃよん。
と、打鍵してきてもう1400字を超えてしまった。
シマッタ。
こんなことを打鍵している場合ではなかった。
旅の栞を完成しなくちゃアカン。
わははっはっはははっはははっははははっははは。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ