認知症になりやすい人ベスト3【精神科医・樺沢紫苑】
ボキは、憤慨してしまう。こういうニュースを見ると。
むろんいじめをやった方にである。
見逃していた学校当局にも腹が立つ。そういう視点から学校を・周囲を批判するマスコミも多い。しかし、見逃してならないのは、退学している生徒がいるという事実である。退学なんかしていないで、戦えという御仁も多い。それは世間を知らないからそうなってしまうのだ。深刻なんである。当の被害者は。
苦労を知らないから退学しちゃうのだと言う御仁も多い。経済的に裕福だからと言う論点はわかる。しかし、本人にはそんなもんではないのである。
修行の大切さを言いたい。むろんやった方にである。
修行というのは、後天的にやるものであって、先天的に修行が好きだという人もいない。会ったこともない。身延山で修行をされたある高僧と一緒にロスからマチュピチ行きの飛行機の中で9時間ほど話をさせていただいたことがあった。エコノミークラスだったから、隣席と近い。したがって、いろんな話をさせていただいた。結果、僧侶になるには、相当に辛い時間を要するということがわかった。
現代の学校教育で、そういう辛い修行をするというようなきっかけは存在しない。単位をとればそれで終わり。あとはひたすら卒業証書をいただくだけ。卒業したら、もう関係ない。母校なんて意識すらない。
学校の勉強も修行なのである。後天的な。
自ら選ぶという修行の意識がない。
進学して当然というのが情けない。
ボキのアルバイトの一つに、不登校の生徒を面倒見る学校の生徒募集がある。この学校、不登校改善率がかなり高い。さらに大学進学率もそうとうなもので、そこらへんの自称進学校より成果をあげている。だからやっていられるのだ。妙ちくりんな一部公務員センセに怒鳴られながら、それでもボキは、ボキを待っていてくれる子ども達がいるかも知れないと思ってやらせていただいているのじゃよ。
塾もそうだ。まったく数学ができなくても、できないことの哀しみがよくわかるからやっているだけである。
こんなボキでも、たとえ小さなことでも、悩んでいる子ども達がいたらお役に立ちたいと思っているだけである。
それが、慈悲心にむすびついたら幸甚である。
世間は妙な人間が多くて、ゼニがからむととたんに人格が変貌してしまうのが多い。そういう経験ばかりしてきた。相続然り。ある会を主催しているが、会費を返せというアホもいくらでもいるからである。ゼニがからむと極端になっちまう輩が多いからだ。ゼニが最優先で生きていると、閻魔大王さんがじっと見つめていますぜ。
アホなことはやらんことでんなぁ~~~~~~~。
これはボキ自身に言っていることなのだが(^_^)。
BYE-BYE!