自己イメージとは、過去の記憶情報の寄せ集めである。
心理学のコーナーで読んだものです。俗に「恋は盲目」と言いますが、人を好きになったら、その人のことはとかく好意的に解釈し、信じ込んでしまう傾向があるようです。同類のことわざに「アバタもエクボ」と言うのがありますね。好きになった女性なら、その顔にアバタがあっても、それはまるでエクボのようにチャーミングに見える、と言う意味ですが、いずれのことわざも、人の「思い込み」の強さを言いあてています。「なんてステキな人なんだろう」と思い込み、恋に入れあげている時期。人生はバラ色に輝き、希望に満ちあふれ、力が全身にみなぎるような充実感を味わうことができます。ところが一転、相手の欠点に気づくと、恋から覚めてしまう。そして「何であんな人を好きになったんだろう」と、急に現実に引き戻されたように白々しく感じてしまう。そんな経験をしたことのある人は結構いるのではないでしょうか。それだけ「思い込み」の力にはすさまじいものがあるのでしょう。いっぽうの相手からすれば、フラれることで大きなショックを受けるでしょう。しかし、そんなときは友だちに慰めてもらったり、あるいは思いきり涙を流したりすることで、気をまぎらわせて何とかフラれた相手を忘れようとします。そのうち、ほかに気になる存在が現れると、フラれた相手を「どうってことのない人」と思えるようになり、自分は、フラれた相手が好きで好きでたまらないと「思い込んでいた」ことに気づくわけですね。そうすると、失恋の痛手はサッと消え失せてしまい、「次の相手とうまくやろう」と切り替えることができてしまうと。一概にそう言うケースばかりではありませんが、まぁ、そのように、恋をしていた相手という「存在そのもの」は変わらなくても、その相手を見るイメージを書きかえ、相手を思う自己イメージを変えることで、失恋の心的外傷は解消できるのだと言う事を説明したいようでした。ところで、私たちは自分自身のことをどういう人間であるか、明確にイメージしているでしょうか。「自分はおっとりした性格なので、人から何を言われてもあまり気にならない」、「どちらかというと神経質。だらしない人はキライ」、「プライドが高いから、人に意見を言われるとカチンとくる。そのくせ、人の評判を気にする」、まさに人それぞれですよね。このように、人は皆それぞれ「自分は何者か」という自己イメージについての思い込み(自己イメージ)があり、その思い込みに従って、同じ行動様式を繰り返すという行動特性をもっているのだそうです。ところが、「自分の性格はこうだ」と思い込んでいるそのイメージは、過去の記憶情報の寄せ集めにすぎない。「いや、自分は客観的かつ冷静に自己分析できる」という人でも、過去の人やモノとの関係性のなかで積み上げてきたイメージを、客観視しているにすぎないのだそうです。そして、このことは何も自分自身だけではなく、万物の認識に当てはまることなのだとか。イメージというのはとても大きな影響力を持っていますね。
心理学のコーナーで読んだものです。俗に「恋は盲目」と言いますが、人を好きになったら、その人のことはとかく好意的に解釈し、信じ込んでしまう傾向があるようです。同類のことわざに「アバタもエクボ」と言うのがありますね。好きになった女性なら、その顔にアバタがあっても、それはまるでエクボのようにチャーミングに見える、と言う意味ですが、いずれのことわざも、人の「思い込み」の強さを言いあてています。「なんてステキな人なんだろう」と思い込み、恋に入れあげている時期。人生はバラ色に輝き、希望に満ちあふれ、力が全身にみなぎるような充実感を味わうことができます。ところが一転、相手の欠点に気づくと、恋から覚めてしまう。そして「何であんな人を好きになったんだろう」と、急に現実に引き戻されたように白々しく感じてしまう。そんな経験をしたことのある人は結構いるのではないでしょうか。それだけ「思い込み」の力にはすさまじいものがあるのでしょう。いっぽうの相手からすれば、フラれることで大きなショックを受けるでしょう。しかし、そんなときは友だちに慰めてもらったり、あるいは思いきり涙を流したりすることで、気をまぎらわせて何とかフラれた相手を忘れようとします。そのうち、ほかに気になる存在が現れると、フラれた相手を「どうってことのない人」と思えるようになり、自分は、フラれた相手が好きで好きでたまらないと「思い込んでいた」ことに気づくわけですね。そうすると、失恋の痛手はサッと消え失せてしまい、「次の相手とうまくやろう」と切り替えることができてしまうと。一概にそう言うケースばかりではありませんが、まぁ、そのように、恋をしていた相手という「存在そのもの」は変わらなくても、その相手を見るイメージを書きかえ、相手を思う自己イメージを変えることで、失恋の心的外傷は解消できるのだと言う事を説明したいようでした。ところで、私たちは自分自身のことをどういう人間であるか、明確にイメージしているでしょうか。「自分はおっとりした性格なので、人から何を言われてもあまり気にならない」、「どちらかというと神経質。だらしない人はキライ」、「プライドが高いから、人に意見を言われるとカチンとくる。そのくせ、人の評判を気にする」、まさに人それぞれですよね。このように、人は皆それぞれ「自分は何者か」という自己イメージについての思い込み(自己イメージ)があり、その思い込みに従って、同じ行動様式を繰り返すという行動特性をもっているのだそうです。ところが、「自分の性格はこうだ」と思い込んでいるそのイメージは、過去の記憶情報の寄せ集めにすぎない。「いや、自分は客観的かつ冷静に自己分析できる」という人でも、過去の人やモノとの関係性のなかで積み上げてきたイメージを、客観視しているにすぎないのだそうです。そして、このことは何も自分自身だけではなく、万物の認識に当てはまることなのだとか。イメージというのはとても大きな影響力を持っていますね。