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自己変革

2011年11月08日 18時58分45秒 | Weblog
ストレスとの戦いは自己変革できるチャンスです。

見通しが立たない逆境にある時というのは、自分の気持ちを他に転嫁したり、とかく他人のせいにしがちです。ここで「絶望」を「希望」に転化しようと言う発想はどうでしょうか。プレッシャーは、一見マイナスのように思えますが、そういうストレスとの戦いは、実は自己変革の試練という側面をもっており、偽りの自己であるかもしれない「社会的自己」を本当の自己である「本来的自己」へと成長させる大きな力として作用する絶好のチャンスでもあるのです。よく「ピンチはチャンス」と言いますが、決して楽観主義的な表現ではなく、まさにピンチを、人生の再スタートを切るチャンスへと変えることができるのです。

私は、愛されたいという他者報酬追求型中心の生き方から、自分を愛し人を愛する自己報酬追求型中心の生き方へと変えることで、ニッチもサッチもいかない見通しが立たない状況から抜け出すことができます。生き方を変えるということは、自分が生きている(生きていく)イメージを変えることです。いまある状態の自分を「自分らしい」と信じ込んでいる「現実の自己イメージ」について、それが本当の自分、つまり「本来的自己」とズレている場合、悪性ストレスが生じます。現実の自己イメージというものを、社会的に規定された「社会的自己」と称しましょう。例えば学歴や、所属する会社や組織、そこでの地位、あるいは人脈といった、社会において自分を自分らしくしている(自分たらしめている)と思い込んでいるものを後生大事に守り、つまりは社会的自己に必死でしがみついている人が多いですね。そういう社会的自己を守ることで愛されようとしている人生を、ここでは「他者報酬追求型」と定義しましょう。自分の社会的生き残りのために、他者の評価や評判を気にして、自分を殺してそれに合わせようとする。無理やりそうするからストレスが発生し、溜まりやすいのですね。不快物質であるノルアドレナリンを放出し続け、肩こりや冷えなどの血流障害をつくり、さまざまな心身疾患やがんを含めた生活習慣病をつくりだすもととなる生き方になってしまいます。そんなことを言われても、組織で働き、そこから給料を得ているのだから仕方がないじゃないか、と反論の声が聞こえてきそうです。かりに百歩ゆずって、そのように他者報酬追求型のスタイルを無視できないまま働くとしても、少しでもストレスフリーに近づけるよう、可能なかぎり「本来的自分」にのっとった生き方を守ることはできるはずです。他者報酬追求型の生き方をしている人は、まわりに評価され、愛されるために自己抑制度が高いのが特長です。自己抑制度が高い人は、いわゆるイイコと言われる人たちです。自分の自己抑制度は、いかがでしょう?世界と比して日本人は自己抑制度が非常に高い傾向が見られるそうです。物心ついた頃から、まわりからの評価を得るためイイコで頑張り、実は自分がやりたかったことを我慢して……それが習い性となって、いつしか自分を見失い、本来あるがままの自分で生きることを忘れてしまった、という人もいるのではないでしょうか。別な角度から「社会的自己」というものを見つめてみましょうか。その社会的自己がとる生き残り戦略(脚本)とは、一般の生物と似ていて、サバイバルするためにとる二つのスタイルをもって現れます。「社会的隠蔽擬態」か、または「社会的攻撃擬態」と言われています。(もっと簡単な言い方はないのかなぁ。)社会的隠蔽擬態とは、次の五つの現れ方があります。
・(余計なものは)見ない
・(余計なものは)聞かない
・(余計なものは)感じない
・(余計なものは)考えない
・(余計なものは)かかわらない
そこにいないふりや昆虫のように死んだふりをすることで、生き残ろうとする型です。または次のような社会的攻撃擬態で、まるで毒グモのように生き残ろうとする型です。
・威嚇する
・攻撃する
・軽視または無視する
・差別したり虐待する
・従わせる
その生き残り戦略が間違っているのは、言うまでもありませんね。本来的自己に忠実な人は、社会的自己の生き残り脚本を「愛情脚本」に置き換えることができ、そして自己報酬追求型の生き方ができます。その愛情脚本では、「社会的隠蔽擬態」を次のように置き換えるのです。
・(他者を)よく見る
・(他者の話を)よく聞く
・(他者について)よく感じる
・(他者のことを)よく考える
・(他者に)積極的にかかわる。
また「社会的攻撃擬態」に対しては、次のように置き換えられます。
・(他者と)おだやかに接する
・(他者に対して)笑顔やユーモアが絶えない
・(他者について)関心・興味を抱く
・(他者の)人格を尊重する
・(他者に)感謝する
愛情脚本というのは、まさに他者に対して身構えるような社会的自己の生き残り戦略(脚本)と違って、そうありたいと希望する心構えだという意味で、イメージによってつくり上げられる脚本にほかなりません。いまこそ、本来的自己による自己報酬追求型のイメージ脚本で生きたいですね。
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