適当に快適

の~~んびり、充実した日々を過ごしたいなぁ。

イメージは脳がつくり出した心象

2011年12月27日 16時45分49秒 | Weblog
不幸を生む「思い込みぐせ」から解放されよう。

心の悩みやストレスは、こういう自分はイヤだと思うから生じるのであり、しかし自分を客観視してみることで、そういうイヤな自分のイメージを修正することができます。専門的な言い方なのですが、「現実認知」と「過去記憶や未来予知」を混同するところから悪性ストレスが生まれてしまいます。つまり、過去に果たせなかったことがあると、それを思い出して「今度もダメだろう」と思ってストレスを感じてしまう。過去は過去のことであって、未来のことはどうなるか何もわからないのに、その未来は過去と同じようになると考えてしまう。こういう心の動きを「条件づけ」と言います。こんな実験があります。箱の中にラットを入れて電気ショックを与えると、次にまた同じ箱に入れると、電気ショックを与えなくてもラットはひどくおびえてしまいます。あるがん患者さんの場合です。どういうわけか毎年六月になると、体調がおかしくなって免疫力が低下する。よくよく聞いてみると、初めて診断を受けた主治医に「こんど再発したら、あと三ヶ月の命ですよ」と言われたのが、六月のことだったそうです。その後、再発しないのに、そう言われたときの恐怖心が六月の梅雨シーズン特有の湿度や温度が感じられると(感覚器官を通じて情報が入ってくると)条件づけられた当時のストレスイメージを思い起こして体調が悪くなってしまうのです。脳は、このように厄介な「思い込みぐせ」を持っています。脳の「これしか(こうとしか)考えられない」という「思い込みぐせ」が私たちの不幸をつくり出しているといっても過言ではないのです。

ある抑うつ感を訴える患者さんのお話しです。そのお母様は欠点だらけの人だったそうです。そんなお母様に育てられたから、今の自分は不幸なのだ、と言うのです。そこで、そのお母様を反面教師のように思えるよう導きました。そして幸い、その反面教師から学ぶだけの才覚がはたらいて、やがて自信のようなものが芽生えてきました。そして「不幸だ」と思う気持ちもなくなり、むしろお母様に感謝するようになったのだそうです。お母様をどう見るかは本人のイメージ次第で、自らが満足できるような生き方に変えられて、幸せだと実感できれば、どのような親御さんに育てられたのであれ、その親御さんに感謝でき、ひるがえって親御さんをも幸せな気分にすることができるでしょう。脳が記憶しているイメージ、すなわち条件づけられているイメージや学習して得たイメージを、マイナスからプラスへ、嫌悪系から報酬系へと変えて、イメージを書き換えましょう。私たちが現実ととらえて知覚しているイメージは、実は脳がつくり出した心象にすぎません。そのイメージの意味さえ変われば、現実認知が変わり、物事をポジティブにとらえることができるでしょう。心のあり方を変えるには、イメージの変更が欠かせません。イメージが変われば、脳の神経活動パターンが変わり、そうして神経や内分泌、免疫などの生体バランスまでもが変わってきます。自分が体験する人生は、自分の心のあらわれにほかなりません。「合わせ鏡」のように、自分の心のあり方のとおりに人生物語が展開しているにすぎないのです。

メンタルヘルス・ケアのカウンセラーから聞いた話です。不機嫌そうな苦々しい顔、怒ったような顔、悲しそうな顔、困ったような顔などと、みんながみんな嫌悪系の表情をして来院されるそうです。だから病院に行くのだと思うのですが、その先生が言うには、嫌悪系の顔からは、負のストレスが生まれ、場合によってはそれが心的外傷(トラウマ)を呼び覚まし、そうして事がどんどんこじれていくと言うのです。そして先生は、強いて「笑顔を忘れないように」と、訴えていました。笑顔は、つまり嫌悪系の対極にあるところの報酬系の顔であり表情で、愛の象徴的な表現になります。笑顔に接して、不快に思う人はいないでしょう。親御さんの写真アルバムのなかに笑顔の写真を探すことができれば申し分ありません。むしろ本人に会わず、笑顔の写真を見ているほうが癒やされるかもしれません。それが連れ合う配偶者や、わが子の写真であってもいいと思います。笑顔を一時的にせよ取り戻せたとき、孤独の恐怖のなかで生きる世界のとらわれから解放され、自分は本当は誰に愛されているのか、愛しているのかに気づくはずです。

見通しが立たない状況から脱け出すキーワードは、すなわち「(人に)愛され、(自分を)愛し、(人を)愛する」といえるような、そういう「自分」を取り戻すことなんでしょうね。
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「I」と「YOU」の上手な関係

2011年12月15日 14時56分48秒 | Weblog
あくまでも心理学的見地からの考えですが。

Iを主語にしてみると、自分のなかにどのような気持ちや感情が起こっているかを、正しく自覚できるようになります。Iを主語にすると、(相手に認められたいからではなく)自分が満足するために話すのだと確認することができます。Iを主語にすることで、感情的ではなく、いわば感情中立的な表現で話すことができます。また、私はこう思うとか、私は…です、という私表現には、ようするに「あなたはどう?」と問うメッセージも含まれています。つまりは、相手を尊重する態度に持って行くことができます。相手が私を認めるかどうかは相手が決めることだと考える余裕が生まれ、自分の心の動きに納得できるようになります。相手を尊重する態度で接すれば、相手にどういう気持ちや想いがあるかを確認でき、次なる適切な言葉を発することにもつながります。夫婦の間で、御主人が、ふと「今朝は会社に行く気がしないな」と言ったとしましょう。ここで、つい「何言ってるのッ。しっかりしてよ」と言ったら、それは「ダメな主人ね」との評価や「困ったものだ」などとの判断をまじえた非難以外のなにものでもなくて、悪い結果へと導いてしまいます。何気なく「会社に行く気がしない」と言われたら、「そう、会社に行く気がしないの」と相手の言葉をいったん受け入れるように繰り返し、その言葉の背景にある想いを乗せた次なる言葉を待つのがいいでしょう。そうすると、御主人も「なんだか最近、上司とうまくいかなくてさ」などと、心情を吐露するかもしれません。それでこそ会話が成り立つし、なにより気持ちのコミュニケーションの中から、御主人は、どうするか自分で答えを見いだすに違いないでしょう。そして、例えば「でも、もう一度、俺の考えをわかってもらうよう上司と話してみるか」と重い腰を上げて「行ってきます」となれば、しめたものでしょう。

実は、がんやうつ病の患者を抱えている家族には、まったくといっていいほど気持ちの通い合い(コミュニケーション)のないケースが多いのだそうです。コミュニケーションとは、何も言葉の掛け合いによる会話だけから生まれるものではありませんよね。言葉にならない声と声で、目と目のアイコンタクトで、あるいは表情や身ぶり手ぶりで、共感し合ったり共鳴し合ったりして気持ちが通い合いますよね。Iを主語にすると、結局のところ、自分も、相手も尊重することができます。相手を尊重するというのは、その相手をよく観察し、話すリズムやテンポ、ニュアンス、その表情、身ぶり手ぶりなどの身体姿勢、振る舞い・行動など、相手の言語的ないしは非言語的なメッセージを読み取ってこそできることです。ひるがえって自分の話すリズムやテンポ、ニュアンス、その表情、身ぶり手ぶりなどの身体姿勢、振る舞い・行動など、自分が発する言語的ないしは非言語的なメッセージにも反映させることができます。すなわち、気に入った自分になることも大いに可能で、そういう自分であることができれば、自分自身も尊重できて、つまりは自己報酬追求型の生き方につながります。自分も相手も尊重できれば、そこにIとYOUとの良好な人間関係が生まれます。そうすれば、人生も愉しくなります。これまで述べてきた「本来的自己」についてですが、それは、すなわち「人生が愉しくなる自分」のことなんですね。他者からの評価によりドーパミン分泌を促す報酬資源をもらうのではなく、充実、共感、成長などにより自らドーパミン分泌を促す報酬資源を得ることができるのです。
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主語を「I」にする

2011年12月05日 17時37分11秒 | Weblog
ちょっと心のスイッチを切り換えるだけで、自分自身を変える事ができます。

ほかに誰もいない山の中ででも一人で暮らしていけるのが自己報酬追求型の人の生き方だと考えられるのですが、仙人ならいざ知らず、私たちは、現実には他の多くの人たちとの間で、さまざまな関係を持ちながら生きています。人間、といわれる所以ですね。私達自身が、他の人との間でどのような関係を築けているのか、そこに軋みが生ずるようなギャップがあれば、負のストレスを抱え込む事になってしまいますね。

ある主婦の話をしましょう。夜、御主人が風呂からあがって、テレビをつけっぱなしにして居間のソファで居眠りをしていました。そこで奥様は「寝るんだったらテレビを消して寝室に行ったらッ」と声をかけたのです。するとパッと目を開けた御主人が「うるさいッ、ほっといてくれ。会社から疲れて帰ってきて、こうやって家でくつろぐ時間が一番ホッとするんだ。ちょっと目をつぶっていただけじゃないか、細かいことにいちいち目くじら立てないでくれ」と怒りだしました。もちろん奥様にしてみれば、湯冷めしてカゼでも引くんじゃないかと心配してのことだったのです。しかし言葉足らずで、御主人からすれば「だらしない」とか「いつまでも片付かない」という非難の気持ちを読み取って傷ついてしまったのです。なにより「寝るんだったらテレビを消して寝室に行ったらッ」の主語はあなた「YOU」で、あたかも「あなたはこうしなさい」と命令していると受けとめられがちです。それに反発され、つまりは、こちらの言ったことに相手が「従わない」という行動パターンをとったことで、自分が認められない結果をまねいてしまった。奥様は、自分の存在価値を認められなかったも同然、というパターンに陥りやすいのです。また「うるさいッ」の一言で、相手から拒否されたとも感じてしまいました。こういうことが度重なり、だんだん奥様は自分を抑えて御主人に何も言わなくなってしまいました。自分を抑えれば、不満は溜まる一方です。そうして奥様のうつ気分が高じてしまったのです。

この場合、I(私)を主語にして自分が言いたいことをちゃんと言い、どうするかの判断はYOUにすれば良くなる傾向があります。例えば、「(あなたが)風呂あがりにソファで寝ていると湯冷めしてカゼでもひくんじゃないかと、(私が)心配だなぁ」と。この表現だと、Iが主語になります。そう言われると、ふつうの夫なら(あくまでも「普通」の夫なら(苦笑))「そうか。心配かけて悪かったな」と、ちゃんと起き直してテレビを見るか、寝室へ行くでしょう。日本語は、主語がわかりづらいというか、気持ちを伝えるのに言い回しを変えると雰囲気がガラッと変わってしまいます。意識して主語を、この場合「私」とした表現法をとればうまく気持ちが伝わったかもしれませんね。
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