適当に快適

の~~んびり、充実した日々を過ごしたいなぁ。

習慣3

2010年05月31日 21時54分17秒 | Weblog
「行動」の習慣

最近は、「やりたいことが見つからない」と嘆いている方が数多くいらっしゃるようですが、そうした方にひとつ言えるのは、経験不足を解消してみるということです。つまり、まだ本当に面白いものに出会っていないのではないかと思うのです。なにか映画を観るなり、いままでと違う友達と遊ぶなり、異業種交流会に行ってみるなりして、普段お会いしない方たちとお話する機会の場を、自らたくさんつくって、小さな刺激を受けることも大切なことではないでしょうか。いつか誰かが何かを与えてくれるだろうとか、今は動くときじゃないとか考えている人たちがいたとしたら、そうした人たちは「本当は動きたくない」と考えているだけに過ぎないのです。気になることや、わくわくすることや心がよろこびそうなことに、関わっていく、乗っかっていく、動いてみるということに積極的になってみましょう。
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習慣2

2010年05月26日 12時33分42秒 | Weblog
「人づき合い」の習慣

「感じがいい」というだけで、人も運もチャンスも成功も、自然に寄ってくるものです。感じがいいというのは、その人の言葉や話し方や、顔つきや、態度や、行為や、醸しだされているムードが、優しく、あたたかく、受け入れやすいものだということです。人は、心を持った人間だからこそ、感じの悪い人より、感じのいい人のほうと付き合いたいに決まっています。それが、友人であれ、仕事関係者であれ、恋人であれ、心地よい人ならば、「また会いたいな」と思うものですよね。そういう、「また会いたい気持ち」にさせる人と同じ良い要素を自分も持つことができたなら、自分も感じのいい人になれるはずです。お手本となる人、反面教師も含めて、身近にいるか探してみませんか。良い所はドンドン吸収したいですね。
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習慣1

2010年05月25日 12時44分50秒 | Weblog
「話し方」の習慣

自信なさげに話していると、相手から「この人に仕事を任せていいのかな?」と不安がられてしまうこともあるものです。自信ある声と言葉と顔つきと態度を、相手にはっきり伝えられることこそ、話し方の習慣の中では大切なことです。たとえば、上司から「このテーマでプレゼン出来る?」と聞かれたときに、「いやぁ~、どうかなぁ…できるかなぁ~困ったなぁ~」などとやるより、「それ、やれますよ!任せておいてください!」と、なにかをやれるというムードをしっかりと伝えて、堂々と言えるとしたら、そのほうが任されやすいわけですね。仕事でも何でもおもしろいもので、忙しい人や、やる気に満ちた人や、能力のある人に、多くまわってくるものです。その反対の事をしていると、、、、あぁ恐ろしやぁ。(苦笑)
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考え方

2010年05月22日 15時15分46秒 | Weblog
建設的に考える。

自信と勇気も、恐怖や不安と全く同じようにして生まれてきます。目標となるものが違うだけで思考回路は同じです。どうせあれこれと考えることになるのなら、建設的に考えてみる方が断然良いですよね。まずは、できるだけ望ましい結果を思い描きましょう。「もし」から始め、「もし、起こりうる最良の結果になったら」と考えてみましょうか。次にそれが起こりうると自分に言い聞かせましょう。この段階では、「起こるだろう」ではなく、あくまで「起こりうる」です。要は、そうした望ましい結果がありうると、自分に気づかせることが大事です。この楽観主義と自信をだんだんと取り込み、心の中で消化していきましょう。望みどおりの結果が確かにありうると思えたら、その望ましい結果がどんなものかイメージしてみましょう。このメンタル・イメージを入念に行い、細部まで正確に描写します。それをホントしつこいくらい繰り返します。そうしてメンタル・イメージの具体性が増すと、すでに望ましい結果になっているかのように、次第にそのイメージにふさわしい感情が現れてきます。昔、ヨーロッパの勇猛果敢な将軍の話が有ります。戦闘を前にして恐怖を感じたことは有りませんかと質問されたとき、大事な決戦の前や、ときには戦闘のさなかにも、恐怖を覚えることはよくある、と答えています。しかし、そのあとに、こう付け加えています。「恐怖を相談相手にしたことはないね。誰もがときどき感じるものだが、大事なことに取り組む前にネガティブな敗北感―恐怖や不安―を感じても、それを失敗する兆候ととらえてはいけない。」失敗するかどうかは、私たちが敗北感にどう対応し、どんな態度を取るかによって決まってきます。敗北感に耳を傾けたり、従ったり、相談したりしたら、間違いなく失敗してしまいます。その敗北感が真実とは限らないにもかかわらずですよ。まず、恐怖や不安や自信のなさといった敗北感は、神のお告げではないと理解しましょう。(苦笑)それは私たちの星回りでもなければ、絶対的な真理でもないのですから。失敗が定められているという運命でもないのです。これは、私たち自身の心の中に生まれるものですが、私たちの内なる態度を示しているだけで、不利になるように仕組まれた外部の事実ではありません。自らの実力を過小評価し、目の前の障害を過大評価して、過去の成功の記憶より失敗の記憶をよみがえらせてしまっているのです。このような不安感が芽生えた時は、危険を予知するアンテナにサインが送られ、成功へと導いてくれたのだと思いましょう。不安を不安そのもだと考えてしまうことこそが敗北感の正体なのです。未来の出来事についての真実を表しているわけではなく、ただ未来の出来事に関する自分の心構えを表しているだけなのです。これさえわかっていれば、こうした敗北感を受け入れるのも拒むのも、自由にできます。敗北感に従って相談するのも、無視してそのまま進むのも、私たちの自由なのです。
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錯覚

2010年05月13日 20時49分03秒 | Weblog
本物と間違える位の鮮明なイメージを持とう。

神経系が本物と勘違いするほど鮮明に失敗をイメージし続けると、私たちは失敗に伴う感情や肉体的な反応までも経験するんだそうです。逆にポジティブな目標を心に抱き、それを現実と思うほど明確にイメージし、成し遂げられたものとして考えてしまえば、私たちは「勝利感」―望ましい結果が得られます。自信や勇気や確信―も抱けるようになります。成功する単純な秘訣があるとすれば、それは「成功の感覚を呼び起こす」というものだそうです。成功の感覚を覚え、自信が持てれば、実際に成功できる。その感覚が強ければ、もう失敗のしようがないとか。凄い。しかし、そうした「勝利感」そのもののおかげで成功するわけではないのですね。それは、成功している状態、環境、空間に自分がいるからですね。温度計が部屋を暖めるわけではなく、温度を測れるだけというのと同じことですね。とはいえ、私たちはこの温度計を活用することができるのです。勝利感を味わっているときには、私たちの中のメカニズムは成功にセットされているのです。目標を鮮明にイメージしましょう。それから、望んでいる目標が成し遂げられたときに味わうはずの感覚を呼び起こしましょう。すると、自然に創造的な行動ができるようになり、潜在意識のパワーを使えるようになります。その結果、心のメカニズムのギアが「成功」に入るのです。
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惜しみなく許す

2010年05月07日 20時58分02秒 | Weblog
大きな自分として生きる方法は、人の失敗や欠点を惜しみなく許すことにある。

「惜しみなく」という言葉だけで「大きな自分」が想像できますね。この「惜しみなく」がなかなか難しそうですが。(苦笑)ある程度までは許せても「惜しみなく」まではどれ程の度量が有れば良いのだろうと思ってしまいます。無理をしないで少しずつで良いから器を大きくしていきたいですね。
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警告

2010年05月01日 23時11分09秒 | Weblog
災難とは私たちの考えが間違っており、自分の思考過程をすぐに改めなければならないという警告です。

今までの経験でこんなことはありませんでしたか?「今日、怪我しそうだなぁ」と、思っていたら本当に怪我をしてしまった、なんてことが。こういう時って、思い返してみれば、スポーツなら練習に行くのが嫌だったりとかします。ですから、行ってもいつもどおりの準備運動やアップなどをせずに、怪我に結びついてしまったのかもしれませんね。これは、自分の心からの「警告」で、いつもの自分を取り戻して「ネガティブな自分を捨てなさい。」ということだったのかもしれませんね。自分の身体や心は、自分自身にいろんな信号を送っています。それを敏感に感じ取り、修正していくことで、私たちはマイナスの要因を受けることなくプラスの道を進んでいくことができるわけです。こんな話があります。仕事で東南アジア方面に出張に行きました。現地では「水は買ったもの以外は飲むな!」と、言われていました。しかし、後輩の一人が水道水を飲んでしまったのです。周りの先輩たちに、「病気になるぞ!」と、からかわれ、その後輩はついに「腹が痛い」と言い、寝込んでしまいました。しかし、本当はなんともなかったのですが、先輩に言われたことを信じて、「腹が痛い」という錯覚に陥ってしまったのです。人は皆そうなのです。病気のことを考えれば病気がちな身体になるし、怪我のことばかり考えると、怪我ばかりしてしまうのです。これは、私たちにいい結果はもたらしてくれませんね。逆に明るいことを考え、いい結果をもたらすような思考を心がけましょう。
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