ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

木簡から古代がみえる

2010-09-21 05:00:00 | 読書
木簡と聞くと長細い木の板に墨で字が書かれたものと思いがちですが、荷札や告知札なども木簡と呼ばれ、扉や木製食器の裏に書かれたものまで仲間に入れているようです。

近年、木簡の発掘や解読が進み、木簡そのものではなく、出土した木簡の相互関係、その遺跡との関連から理解が深められているのは、当然のことだろうと思います。

木簡という古代から中世、近世に至るまで発見されるものは、紙には無い『木』という特質を持ったものを使ったということも、木簡を理解する上では大切なことのようです。

この木簡の調査を進めていく過程で、『日本書紀』や『続日本記』などに書かれていることが、木簡という証拠と食い違った部分があることが解ってきました。

やはり最近の研究の成果として、『日本書紀』や『続日本記』は藤原家のために都合よく編纂された書物であることが明らかになってきました。

             


この本は今年6月に刊行されたばかりですが、もっと早く読んでおれば『天平大仏記』や『双調 平家物語』などが、もっと面白く読めたかも知れません。大仏造立では長門の国の長登銅山から多量の銅を集めたことを証する木簡(荷札)が発見されています。

最近、明日香村の牽牛子塚古墳が斉明天皇(皇極天皇重祚)の墓と認められ、大層な見物人が詰めかけているようですが、この墓からも木簡が出るかも知れませんね。

最近の木簡は、ひとところに捨てられたものが一度に出土するケースが増え、割れたものや折れたものが多いそうですが、それは何に使われていたのかという答えが面白い。

それは排便の後、お尻を拭くのに使われていたそうです。昭和に至ってもそういう風習が残っていた地域もあったのだそうです。

そんな木簡を筆や針を使って、へばり付いている土を落とす作業をしてると思っていたら、土ではなくて古代人のウンコだったのですね。

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